第十九章 前夜(15)

十五


 航空自衛隊の、通称「ロクマル」ヘリは、着陸の少し前に激しい電波障害を受け、管制塔と連絡が取れなくなったが、幸いにもまだ雨が強くなく、視界が効いたので、熟練したパイロットの腕でなんとか小牧基地のヘリポートに着陸した。


 数時間前、羽田空港内の特別待合い室で、遅れているヘリの到着を待つ三人の元へ、山下和明やました かずあき空佐が自ら、わざわざ遅れを詫びに来てくれた。万三郎はその時にお願いして、メモ用紙に一筆したためてもらっていた。彼ら救国官にあらゆる便宜を図るようにと、関係諸方に要請する署名入りのメモだったが、これが小牧で絶大な力を発揮したので、万三郎は内心舌を巻いた。


「ほう、先ほど首相の国民向けメッセージで言っていた、えーっと、何でしたっけな、グレート……」


「グレート・ボンズ、偉大なる絆作戦です」


「ああ、そうでした。それをアメリカまで行って、国連総会で訴え、世界の協力をとりつけてきた政府の役人というのは、何とあなた方でしたか」


「はい、その作戦の仕上げが伊勢神宮での祈りになります」


 基地の副司令である井関いぜき一等空佐は、羽田警備隊の山下空佐とは防衛大学校の同期だということで、そのメモのおかげで、非常にスムーズに協力を取り付けることができたのだ。


「国家非常事態宣言が出ているので、各部隊とも配置についていて動かしにくいのですが、一台だけ使える車両があります。主に基地構内の機材運搬に使っているピックアップトラックですが、公道も走れます。ただ、三人乗りであって、あなた方三人が乗ると、護衛の自衛官をつけられないが」


「構いません、私たち三人で大丈夫です。すぐにでも出発したいのですが」


 井関副指令はその場で部下に内線電話をかけ、トラックを回すように指示した。


「予備のガソリンは、荷台のポリタンクに用意すると言っています。それから、私の名前で道路の通行許可証を発行して差し上げましょう」


「副司令、感謝いたします」


 通行許可証に判子を押しながら、並んで起立して、それを見ている三人に、井関は言った。


「総理の国民向けスピーチが終わると同時に、太陽嵐による電磁波障害がはじまりました。今はもう、ラジオはおろか、ネットもケータイも使えません。暴風域はもう伊勢神宮辺りにさしかかっているようです。気圧が一番低くなるのが真夜中十二時ごろだと思われます」


 許可証を両手に持って確認した後、井関は席を立って、自分の机を回り込んで三人に近づき、交互に見つめながら柔らかく語りかけた。


「私には、皆さんとそう歳が離れていないであろう一人娘がおりました。私の影響か、娘は防衛大学校に入学しました。その娘が休暇で実家に帰って来た時、夕食を摂りながら私を叱ったんです。お父さん、冷静で客観的でなければ自衛官の仕事はできないけれど、最後の最後で人間を救うのは、根拠のない自信なんだよ。人間はロボットじゃないんだから。お父さんみたいに偉くなって最前線に立たなくなると、それを忘れがちなんじゃないのって。小娘が利いた風な口をきくなと反対に叱り飛ばしましたけどね」


 井関はそう言いながら、許可証を杏児に手渡し、それから視線をユキに移した。


「その娘が去年、訓練中の事故で亡くなりました」


 ユキがハッとして顔を上げる。


「自分の体を預けたロープが少しずつちぎれていく中、娘は、ヘリに引き上げられていく遭難者役の同僚を見上げて笑いかけたそうです。私は大丈夫だから、と」


 井関は穏やかな目でユキを見つめ続ける。


「娘は結局、助かりませんでした。私は自問しています。ロープがちぎれるその瞬間まで、娘は、救われていたのだろうか、救われなかったのだろうか」


 井関は、山下自筆のメモを万三郎に差し出した。万三郎は黙って受け取る。


「総理の訴えを聞きました。私もこれから、『ホープ』を唱えようと思います。小賢しいと娘の気持ちなど分かろうとしなかった私でも、今夜なら、分かるかもしれませんから」


 井関は、メモを受け取った万三郎にさらに握手を求めた。万三郎はしっかりと握手に応じた。次にユキ、次に杏児と、井関は握手を交わす。


「若いお三方。もしまたお会い出来たら、この私の問いの答えを教えていただけませんか」


 杏児が軍隊式の敬礼を返した。


「お借りする車を、お返しに上がりますから」

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