第十九章 前夜(14)

十四


 ショルダーハーネスをつけてジャンプシートに並んで座っている三人の所へ、副操縦士がコックピットから移動してきた。


「申し訳ないですが、離陸前に警告してあった通り、直接小牧基地へ戻ります」


 救国官三人を代わる代わる見ながら、副操縦士は大きめの声でそう言った。


 杏児が訊き返す。


「航空自衛隊の救助ヘリでも、この風ではやはり難しいのですか」


 副操縦士は、口をゆがめ、言葉に詰まった。サングラスをかけているので表情までは分からないが、おそらく悔しかったのだろう。もちろん杏児は単純に残念だという思いがあって訊いただけで、皮肉を言ったわけではない。副操縦士は一度、口を真一文字に結ぶと、やがて言葉を絞り出すようにして丁寧に説明した。


「伊勢湾海上の気圧は今すでに九百六十ヘクトパスカル、平均風速は二十ノットを超えています。すでに普通の台風の真っただ中と同じレベルです。それでもこのヘリは巡航は可能ですが、現在、伊勢のヘリポートや中部国際空港のヘリポートは、暴風の方向が安定しておらず、着陸やホバリングについては困難です。残念ですが……」


「着陸できるか、様子を見に行って、ダメなら小牧基地へ、というわけにはいきませんか?」


「燃料が足りません」


 もちろん不可抗力なので三人にはどうすることもできない。分かりましたと言うほかなかった。


 副操縦士がコックピットに戻ると、杏児が万三郎に言った。


「小牧基地って、名古屋市の十キロか二十キロ北の、元名古屋小牧空港だよな。どうする」


 万三郎が答える。


「隊にお願いして、車を借りよう。高速道路を使って伊勢に行こう」


「国家非常事態宣言発令中だぜ、通れるのか」


「自衛隊の車なら大丈夫だろう。杏児、お前、運転できる?」


「体が覚えている感覚がある。運転はできると思うが、免許証は持ってきていないぜ」


 万三郎はニヤリと笑った。


「道中パトカーに出会わないよう、祈るよ」


 杏児も笑いを誘われて頷き、それから反対側に座っているユキに車で行こうと伝えた。ユキが頷くのを見た杏児は、もう一度万三郎の方に顔を向けた。


「ところで万三郎、顔色悪いぞ。大丈夫か」


 万三郎は笑って答える。


「こんな暗い機内で顔色の良いも悪いもないもんだ。大丈夫だよ」


「そうか。それならいいんだ」


 杏児は正面を向いて黙った。


 冗談とは裏腹に、万三郎は予定が狂ったことに焦りを感じ始めていた。


 ことだまワールド内を伊勢まで移動することもできるのだろうが、作戦の前に移動エネルギーはできるだけ消耗したくない。


 ――平時なら車で三時間もあれば伊勢に着くだろうけれど、史上最強の台風が上陸する前にたどり着けるだろうか。道中で足止め喰って、そのままアポフィス衝突の時を迎えるなんて、情けなさ過ぎるが……」


 ヘリは名古屋市街上空を横切るように飛行していた。まだ雨はさほどひどくなく、空は薄いねずみ色だった。

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