第十八章 告白(12)

十二


 強い風が二人を襲った。ユキの濡れた髪が万三郎の前ではためいて、鼻をくすぐったか、万三郎は顔を横に向けて勢いよくくしゃみした。


「万三郎、風邪ひくよ」


 万三郎は苦笑いする。


「誰のせいだよ」


 ユキはクスリと笑ったようだ。もうユキの気分が落ち着いて、冷静さを取り戻したように感じた。


「ねえ、私も寒いよ。万三郎に動き、封じられて、雨風に吹きさらされてるよ」


「ユキ、もう早まったことしないって約束するか」


 後ろから首に回された万三郎の腕の下でユキはコクリと頷いた。だが万三郎は、その腕に少しだけ力を込めた。


「いいかユキ、死んじゃダメだ。君は救国官だろ? 君を必要としている人たちがたくさんいる」


「……」


「俺も――」


 ユキの耳元で万三郎が小さく言った。


「君が、必要だ」


 冷たい風が一瞬、止んだ。ユキの視界の隅で、万三郎の言葉が白く空気に溶けた。


 ユキは目を閉じる。


「……分かった」


「良かった。じゃあ、急ごう」


 万三郎はユキの拘束を解いた。そしてフェンスの上辺に飛びついて向こう側に戻り、身を翻して今度はフェンスから身を乗り出し、ユキを引き上げるために、手を出すよう求めた。


「ほら、ユキ」


 ユキは手を出すことなく、黙って万三郎を見上げたままだ。


「ほらって」


 やはりユキは動かない。前髪からしずくがぽたぽた落ちるに任せている。


「ユキ!」


 万三郎は顔色を変えて、目一杯体を乗り出して、ユキの手を取った。取られるままに彼女は右手を預けた。握手する形になったまま、ユキは口を開いた。


「万三郎、私は、あなたと杏ちゃんをずっと裏切り続けてきた。私は、あなたたちがことだまカンパニーに来た経緯も聞かされているし、二人の本名も知っている。一部のワーズたちやマスター・ジロー白洲田は、私の任務を知っていたけど、古都田社長から固く口止めされていたから、誰も二人には言わなかった。私は、万三郎や杏ちゃんが、研修中に限らず、ことだまワールドでの生活の中で、どんなことを言い、どんなことを考えていたか、毎日、今神秘書室長にメールで報告していたの」


「……」


 万三郎はユキを引き上げることも忘れ、ユキの手を取ったまま凍りついたように静止して話を聴いていた。


 その時、万三郎の真横で声がした。


「へえ、それはスパイ活動、ご苦労様でした」


 杏児が傘をさして、すぐ横に現れたのだった。


「杏児!」


 万三郎は驚いたが、杏児は万三郎ではなく、厳しい表情でユキの目をじっと見ている。それから杏児は、傘を手にしたまま目を閉じた。


 その時、ユキの手の力が急に弱まって、万三郎の手からするりと抜けた。杏児に気をとられ、うっかり力を入れるのを忘れていた万三郎の不覚だった。万三郎の意識が杏児からユキに戻った時、雨ではなく、ユキの目からあきらかに涙が一筋流れた。


「杏ちゃん、万三郎、ごめんね。やっぱり私……」


 涙が頬を伝った直後、ユキはかすかに微笑み、身を翻して張り出しの縁を蹴って宙に浮いた。


「!」


 万三郎が目を見開いた時、ユキの身体はもう落下を始めていた。考える間もなくコンクリート・フェンスを力いっぱい蹴って、万三郎は、ユキに向かって反射的に身体を跳躍させていた。


 二人の身体は相次いでイースト・リバーへ落下していった。




◆◆◆

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