第十八章 告白(1)
一
ハッと我に返った。
いつの間にか目を原稿から離し、両手を大きく広げて、無我夢中でしゃべっていた。もちろん、暗記し、何十回も暗誦して完全に身に付けていた内容だ。文字通り、目をつむってでも言い切れた。意識では、その一語、一語にはなく、この提案をどうしても理解してほしい、協力して欲しいと、その想いだけが無限に膨らんでいた。
原稿を見ずして最後まで話し終え、想いを乗せるべき言葉がなくなったのに気付いて、万三郎は口が麻痺したかのように、二、三度パクパクさせ、同時に、目の前に振り上げていた拳を無為に二度空振りした後、ついに演台に下ろして、茫然と聴衆席を見つめた。
総会議場ではなお、咳払いひとつ起こらない。凄まじい静寂の重圧だ。万三郎は再び激しい恐怖を感じた。
――お、俺は、終わった……。
目が宙を泳いだ。口は緊張を失って、だらしなく半開きになっている。呼吸がそのまま止まりそうだ。立っている足が、上体を支えきれなくなっていく。膝が笑い始める。上体が揺れ始める。
――これはいけない。誰か、何か言ってくれ……。
万三郎は、ついにいたたまれなくなって、両手をついて上半身の体重を演台に預け、若干前かがみになってマイクづてに小さく声を発した。
“Uh,……Th……Thank you.”
パン!
静寂を打ち破る音が、議場にこだました。万三郎はびくりとしてその場に固まる。
パン……パン……パン……。
音波が議場の隅まで行って万三郎の耳に戻って来た。音源は万三郎の頭の上後方だ。振り返って見上げたそこには、万三郎のいる演壇より一段高いところに議長席が並んでおり、ビヌワ議長がいた。そして隣にいるのは、ベン・ジャミン事務総長だ。
パンパン、パンパン……。
音がずれて二つになった。いや、三つだ。万三郎が正確な音源の数を見失うのと、その数が一気に対数的増加を見せるのとが、ほぼ同時だった。
万三郎は最初、総会議場に夕立が降り始めたように思った。だがそれは雨粒ではなく、拍手の音だったのだ。万三郎の立つ演壇から、一列目の席までは数メートルは離れているので、万三郎は人々がどのような動作をしているか理解するのに時間がかかったのだ。
――この拍手は、どういう意味だろう。
思わず会場を見回す。すると万三郎が顔を向けるそばから、その辺りの席に座っていた人々が次々と立ち上がり始めるではないか。
万三郎はようやく、自分の主張が認められ、受け入れられたのだということを理解した。理解した途端、鳥肌が立つ。やっとのことで、ぎこちない笑顔を浮かべる。右手を軽く上げる。
「サンキュー」と口ずさむ。今や議場内の皆が、スタンディング・オベーションをしている。
万雷の拍手の中、万三郎を呼ぶ声がかすかに後ろから聞こえる。振り返るとビヌワが上段の議長席から身体を乗り出して腕を伸ばしてきている。万三郎が握手に応じると、ビヌワが何か言っている。万三郎は握手をしたまま背伸びして耳を近づけた。
「ミスター・ナカハマ、君のおかげで世界は希望を手にした。ブラボー。君の同僚のユキが今回も話すのかと、ちょっと不安だったが、君は堂々としたものだった。ユキに伝えてくれ、『君には将来、名誉挽回できるチャンスがきっとある。なぜならば、人類は滅びないからだ』と――」
万三郎は彼のアフリカ訛りの英語は聞き取れたものの、何のことを言っているのか意味が理解できなかった。それで一瞬怪訝な顔をしたが、あえて問い返すことをせず、そのまま笑顔で礼を言った。
「議長閣下、心より感謝します」
誰が言い出したか、歓声はチャントに変わり、手拍子が揃い始めた。
“Hope for the earth! Hope for the best!”(地球にホープを! ベストへの希望を!)
事務総長と握手を交わしたのち、万三郎は降壇し、グプタ典儀長に導かれて退場した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます