第十五章 紐育(11)

十一


 杏児はユキからスマホを受け取ると、受信メールのタイトルから佐東書記官のメールを見つけて開いた。


 開きながらユキに言う。


「誤解だったってさっき言ったじゃん……。ユキが佐東さんと何かあるなんて思ってないよ」


 ユキがはっとして悔しがった。


「かついだのね! メールを見るために」


「万三郎に誤解されたくないって気持ちがこんなに強いとはね……」


 画面を見ながら杏児が皮肉っぽい笑みを浮かべるのを見て、ユキは頬を赤らめて唇をかみしめた。


「ほら、やっぱり、佐東さんのメールの下に、ユキが送った文章が引用で残ってる」


「ああ……」


「『>前に私がNYに来たこと、国家機密です。誰にも郊外しないで』。これ、あのときお迎えの車の前で佐東さんのアドレスもらって慌てて打ったメールだな。口頭で言えないから文字にした……と。もう僕が車に乗り込んで待ってたから慌ててたんだな。コウガイって字、間違ってる……」


 ユキは完全に気が動転して半分涙目で杏児を見上げている。杏児はしばらくメールを見つめていたが、スマホをユキに差し出して、厳しい顔で言った。


「第一に、僕や万三郎には貸与されていないスマホが、どうしてユキにだけ研修の最初から貸与されていたのか。第二に、何のために僕や万三郎と一緒に研修を受けていたのか。第三に、君は本当は何者なのか。さあ、ユキ。説明してもらおうか」


 まっすぐ伸ばした手の先にユキのスマホがある。もう嘘や言い訳は許さないという杏児の表情だ。


 その時、ユキの後ろで瞑想室のドアがノックされた。


 ガチャ。


 精神的に追い詰められたタイミングでドアが開いたので、ユキは心中ホッとしながら振り向いた。だが、ドアの向こうから現れたのは、たった今、杏児に責められるきっかけとなった佐東書記官と万三郎だったので、ユキは驚愕し、狼狽した。


 目を見開いたユキの向こうで杏児が万三郎に声をかける。


「来たか。心定まったのか?」


 万三郎は頷きも否定もせず、目を伏したままそこに立っている。毎日その顔を見てきた杏児の目には、万三郎は、とても心定まったようには見えなかった。あれから何度も吐き気におそわれたのかも知れない。顔色は、悪い。目にも力がない。


「時間が近づいてきましたので」


 代わりに佐東が静かに答えた。


――これは、まずい。


 杏児は、万三郎がこれから一世一代のスピーチをぶつような精神状態にはとても至ってないことを直感的に理解した。想定外のことだ。


 目の前のユキも、杏児に追求されて不安定な精神状態になっている。だが、この、人類の命運を左右する一大事を前にして、杏児には、ユキが自分と万三郎の二人に何を隠しているのか、それを知らずして先に進めない思いがあった。


 杏児は困惑した顔で大きくため息をつく。


 その時、杏児が手にしていたユキのスマホから、山寺の和尚さんのメロディーが鳴り出した。杏児よりもむしろ、ユキと万三郎の方がビクリとした。


 コールは続く。杏児は画面に“Ishikawa”と出ているのを確認すると、自分が答えようと応答ボタンを押しかけて、止めた。顔を上げてユキと目を合わせたまま、ユキにスマホを差し出した。


「石川さんだ。秘密指令かな」


 それを聞くや、佐東は気を利かせて、「外にいます」と部屋から出て扉を閉めた。


 ユキは杏児の一言に一瞬凍り付いた。杏児が自分を疑っているのだと気付いたのだろう、杏児を見返して一瞬ふくれっ面を浮かべ、スマホを杏児の手のひらにあえて残したまま、スピーカーモードにしてから応答ボタンを押した。

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