第十五章 紐育(10)


「な……何言い出すの?」


「佐東書記官とは今日が初対面か?」


「そ、そうよ、なんで?」


 ユキは目をクリクリさせて、記憶をたどっている。何て分かりやすい女なんだろうと杏児は思った。


「僕は目がいいんだよ。あの時、助手席の佐東さんが打っていたメールの本文が、僕の座っていた斜め後ろから見えてた。覚えてるから言おうか? こうだ。『分かった、君と僕だけの秘密だ。しかし、また君かと思ってクラクラしたよ。本国は何考えてるんだって』佐東さんが送信ボタンを押してケータイをポケットにしまいこんだ。その直後にユキのスマホが、バッグのポケットでビーッって振動してた。あのときはなんだかよく分からなかったけど、佐東さんはさっきのメールをユキに送信したんだということは分かった。車に乗る直前に二人で話をしていたりしていたから、おおかた彼は、ユキに好意でも持ってるのかなって思ってた。でも、それは誤解だった。さっきビヌワ議長の言葉を聞いて、僕の中でつながったんだ。ユキ、君は以前にここ、ニューヨークの国連総会議場に来ていたんだ。そうだね?」


「……」


「それも、スピーチをした、そうだね?」


「……そんなこと……してない」


「じゃあ、ビヌワ議長が言ってた、『今回は倒れないでうまくやれよ』ってのはどういう意味なんだ?」


「そ、そんなこと言ってたかな」


 ユキの声は震えていた。


「今の僕のリスニング能力をなめんなよ! あれくらいのアフリカ訛り、楽勝だ。ユキ! 総会のスピーチ前かスピーチ中に倒れたんじゃないのか?」


「……」


「この建物には図書館が併設されている。今から図書館へ行って、何があったか議事録検索しようか? それとも佐東さんと秘密のデートの約束でもしてるのか?」


「違うよ、そんなんじゃない」


「じゃあ、メール見せてみろよ。違うなら証明してみせろ」


「あのね、人類の一大事って時にそんな浮かれた……」


 杏児の声が大きくかぶさった。


「ユキッ! 何隠してんだ!」


 ユキはビクリとした。杏児の目をまっすぐ見すえているが、その目は少しうるんでいたし、足が震えていた。


「なんだ、秘密のデートか? 万三郎を裏切るのか?」


「な……なんでここで万三郎が出てくるのよ?」


「機内でしゃべってた話が聞こえてたんだよ」


「えっ! 杏ちゃん、寝てたんじゃ……?」


「あんな話の中、起きられるかよ! 寝たふり続けるしかないじゃないか」


「ああ、最悪……」


「最悪とか言うな! 僕は仲間として祝福したい気分だったよ。二人はお似合いだと。だけど、なんだユキ、その節操のなさは」


「佐東さんは違うのよ、そんなんじゃない」


「なんだ? 裏切りを正当化するのか?」


 杏児の「裏切り」という言葉にユキは驚いて辟易したように反論する。


「だからあ、違うって言ってんじゃない!」


「僕は万三郎の親友としてユキの裏切りは許せない。今から万三郎に言いに行く」


「ちょっ……何言ってんの! 彼は大事なスピーチの前なんだから、そっとしておいて!」


「一年間も一緒に学んだ相手を裏切る方が、人類滅亡の危機より深刻な悲劇だ」


「んーっ……もうっ!」


 ユキは半ベソをかきながらバッグからスマホを取り出し、操作して受信メール画面を開いて見せた。


「ほらっ、そんなんじゃないんだから!」

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