第十三章 選別(9)


 スピアリアーズ側のホームから発進したシートレが英文となって、楊の口から発せられた。みどり組の三人はモニターを通してそれを見ていた。



“Masaya, I’m expecting.”


 

 将也はきょとんとしている。


 斗南が慌てる。


「まずい、クライアントが理解していない。この分だとクライアントからオーダーが来ない。お三方、クライアントの代わりに適切な返答を返さないと……どう返します?」


 杏児が、万三郎とユキにも聞こえるような声で斗南に答えた。


「『将也、私、あなたに期待してるわ』って、離婚を期待してるってことだろ? そんなの、ダメに決まってる。今井家の幸せが崩壊する。ごめん、できないと謝るしかない……斗南さん、【sorry】を呼んでもらえますか?」


「ほ、本当にいいんで?」


 戸惑う斗南に杏児が返す。


「いいも何も、早くしないとコミュニケーションが成り立たない」


 さっき自分自身が言った言葉で諭されたら、返す言葉がない。斗南はしぶしぶ【sorry】を召喚する。


【sorry】はすぐ到着した。百十八番線に三浦杏児が立っている。【sorry】は、見たことのある光景だと気付いて、途端に警戒の色を浮かべた。


「今日は川井摘美玲嬢のオーダーで珍しく僕が呼ばれなかったから、何か良からぬことが起こるんじゃないかと嫌な予感がしてたんだ。こういうことだったのか。百十八番線にET三浦さんなんて、一年前の悪夢を思い出すよ」


 【sorry】はそう言いながら、表面に【!】の大きなステッカーが貼ってあるキャリーケースを抱えて、二両編成のシートレの、後ろの座席にそれを置き、自身は先頭車両に乗り込んだ。


「もう、墜落だけは嫌だからね。頼むよ」


「ああ。ほかのワーズが連結しないから大丈夫だよ。すぐ行って!」


 【sorry】の言葉を聞いて、アドバイスが禁止されている斗南が、何か意を決したように顔を上げた。そして杏児に対して口を開こうとしたその時、ユキが杏児に言った。


「杏ちゃん、やっぱり違う気がするの」


 杏児は、【sorry】に行けと言った直後に横槍が入って不機嫌になる。

「なんだよ、ユキ。今、斗南さんから、『間違いを恐れるな』って言われたばかりじゃないか」


 その杏児の反論に万三郎も同調する。


「そうだよユキ、間違えてもいいんだ。間違えても、余程のことじゃなければ、そんなにめちゃくちゃな間違いにはならない」


「いや、これは、その余程のこと……」


 斗南が、もごもごとそうつぶやきかけたところに、ユキが答えた。


「でもたしか、”expecting”って、『妊娠している』って意味があったと思うの」


 万三郎と杏児が揃って驚愕の声を上げる。


「ええーっ?」


「だから、”Sorry.”って言っちゃうと、妊娠させちゃったことに対して謝っている、つまり、自分の子だと認めたことになって、あとあと大変なことに……」


「ユキ、それは確かなのか」


 せきこんで訊く万三郎にユキが頷く。


「なんてこったい、ホーリー・マッカラル!」


 そうつぶやいた万三郎の隣りで、杏児はカシャンという音に振り向いた。見ると、

【sorry】の乗ったシートレが発進、急加速を始めた音だった。


「うわあ、待って、待って!」


 杏児の必死の制止むなしく、身軽な二両編成のシートレは、あっという間に充分加速してホームを飛び立っていった。慌てる杏児の姿を横目で見た【sorry】の絶望的な声を残して。 


「今度はなんだってんだよおぉぉー!」


 杏児は斗南を振り返って声を絞り出す。


「斗南さん……【sorry】は、キャ……キャンセル。行かせるわけには……」


 感情を押し殺した声で斗南が復唱する。


「【sorry】、キャンセル、します」


 タブレットに出ている ”Are you sure to abort?”(本当に、キャンセルしますか?)の画面の「OK」をクリックして、斗南は目を閉じた。みどり組の三人が見上げた上空、かなり遠くで、【sorry】のシートレはバラバラになって、花火の燃えカスのようにゆっくり落下していった。


 万三郎とユキは思わず目を背ける。


「ごめん、【sorry】……」


 杏児は小さくつぶやきながら、【sorry】の壮絶な結末を見届けた。

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