第十二章 騒乱(14)
十四
【wish】はこれまで余程腹に据えかねた思いがあったのか、立て板に水を流すように訴え続けた。
「貧困。日本でも多い。貯金の残高五百円であと三日間暮らさなくちゃいけない独り暮らしの高齢者に、希望を持てと言えますか? 心の病を患っている人に、希望を持ってがんばれと、あなた、激励できますか? もっと大きなこともあります。地球温暖化。二酸化炭素の排出を減らさなくちゃいけないことは皆が認識しながら、国のエゴがぶつかり合って、問題が顕在化してから二十年以上たっても解決できない。それでも希望を持って良いのですか? 紛争と難民。かの国で長く続く内戦を絶好の商機ととらえて、政治的に終わらせないように画策する他国や武器商人が多いそうです。それでも、平和へ希望を持てますか?」
動けない【hope】が叫ぶ。
「それでも! それでも……希望は、捨ててはいけないんだ」
【wish】は厳しい顔をしたまま、潤んだ目で【hope】を見た。
「【hope】に何が変えられるっていうんだ。いや、何も変えられない。僕らワーズに……そこまでの力はないんだ。力がないなら! 【hope】、それは根拠のない気休めじゃないか!」
「……」
「雉島さんが言ったことが、僕は正しいと思う。雉島さんは、こう言った。ささやかながら好ましい結果を願う、というなら構わない。だけど、希望を持つことで、あたかも結果を好ましい方向へ変えられるかのように吹聴するのは、偽善以外の何ものでもない」
【wish】は口元からマイクを離して、肉声で呼びかけた。
「【hope】、あらためてお前に言う。僕は、人間の『後悔』を運ぶ。人間の『できないこと』を表現する。雉島さんから言われたんだ。それが【wish】、お前の使命だと。それが、切望も失望も絶望も感じ得る、ありのままの人間の姿なのだと」
【wish】は再びマイクを近づけ、聴衆に向き直った。
「皆さん、パンドラが箱を開けなければ、【hope】はこの世界に存在しなかったでしょう。だけど、箱が開かなければ、そもそも、他のあらゆる邪悪なものが人類を悩ませることもなかったのです。パンドラは、
I wish I hadn’t...(開けるべきではなかった)
……と後悔したはずです。いいですか皆さん、根拠のない希望は、何も変えることはできない。そんなものはまやかしだ」
「そ、そ、そんな……ことは……ない!」
【hope】の顔面は蒼白だった。その【hope】の顔の真ん中にぴしゃりと指を指して【wish】は声を上げた。
「【hope】、今のお前は偽善者だ!」
「う……うぉ、うぉーッ!」
【hope】は怒りに任せて身体を力任せに大きく揺すった。小学生の体格とはいえ、さすがに祖父谷も身体をつかみきれない。祖父谷の腕を離れた【hope】は【wish】にタックルするように身体をかがめて駆けだそうとした。
次の瞬間、【hope】はもんどりうってステージの床に倒れ込んでいた。赤いヒールを履いた足に、【hope】は躓いたのだ。いや、足をひっかけられて、転倒させられたのだった。
次に、倒れ込んだ【hope】の襟首をつかんで身体を引き起こしたのは、頬に【iPad!】と書かれた、赤いドレスの筋肉質の女だった。【hope】をつかんだまま、女が低い声で言う。
「そこまでだ」
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