第十二章 騒乱(6)


「お前たち、ここで何してる」


 祖父谷は威嚇するような低い声で二人に訊く。万三郎が答える前に、祖父谷により近いところにいる杏児が祖父谷に向き直って答えた。


「トイレでやれることはそう多くない。僕たちはもう用は済んだ。祖父谷、お前も、用があるのは僕たちじゃなくて、あっちじゃあないのか?」


 杏児は祖父谷を見たまま、後方に三つほど並んだ男性用小便器を指差す。祖父谷はそちらをちらりと見て杏児に言った。


「このホテルで何をしていると訊いている。まさか、『集い』に関わっている訳じゃないだろうな」


 祖父谷の眉根に立て皺が寄った。どうも彼の意に沿わぬ行動を二人が取っているのではないかと疑っているようだ。


「何だ、『集い』って?」


 万三郎が祖父谷に訊き返す。すると祖父谷はわずかに表情を和らげた。


「なんだ、違うのか」


「祖父谷、お前こそ、このホテルで何してる」


 祖父谷は問いを連ねた万三郎の方に目をやって、答える代わりに逆に質問してきた。


「ここに小学校高学年くらいの子どもが来なかったか」


「いいや」


「そうか、来てないか……」


「なあ祖父谷、お前こそ何やってるんだ、なんで子どもを探してるんだよ」


 万三郎が再度問うたが、祖父谷はそれを無視して身を翻して出て行こうとした。その背中に杏児が声を投げかける。


「おい、用を足して行かないのか」


 祖父谷はトイレのドアを開けかけたまま立ち止まって振り返り、二人を代わる代わる見ながら言った。


「ここは空気が悪い。劣った者たちの臭いがする。場所を変えることにする。いいかお前ら、俺の邪魔をするなよ。こんなところでうろうろしてないで、良い子は早く家へ帰れ」


 そう言い捨てて、祖父谷は出て行った。残された二人は目を見合わせる。


「くーっ! 本当にいちいちむかつく奴だよ。よくよくついてないな、こんなところでさえあいつに会うなんて……」


 杏児はそう言って怒りを露わにしたが、万三郎は冷静だった。


「杏児、祖父谷がどこへ向かうか見届けてくれよ」


 万三郎の言葉にハッとした杏児は、分かったと頷くと、急いでトイレから出て行った。 


 残された万三郎は、祖父谷の追跡は杏児に任せて、自分の濡れた手をまず乾かそうと、ハンドドライヤーに手を入れた。


 ウイイーン……。


「万三郎……」


 勢いよく温風を拭き出す音に混じって、ふとどこからから自分を呼ぶ声が聞こえたような気がして万三郎は振り返る。そして声を上げて仰け反った。


「うわッ!」


 黒い半ズボンをサスペンダーで吊るした、小学校高学年くらいの男の子が一人、そこに立って万三郎を見上げていたのだ。その頬には【hope】(希望)と彫られている。


「万三郎、僕を助けて」

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