第十二章 騒乱(5)
五
さっき一階ロビーから昇ってきたエスカレーターの降り口手前辺りで右側を見ると、なるほど向こうにトイレの表示が見えた。
各階の吹き抜けを縁取る廊下を歩きながら、万三郎がふと階下のアトリウムを見下ろすと、例の集いの会場が何やらざわついている。ステージの上で数人の男たちがもみ合いになりながら肉声で何かを罵り合っているようだ。一人の男がマイクを手にしきりに何か言っているが、マイクのスイッチが切られているようで聞こえない。聴衆も半分ほどはその場で立ち上がってステージに向かって何か言っている。数人のホテルスタッフたちが心配そうに会場を取り巻いて、騒然たる事態を見守っていた。
何かトラブルが起こっているなとは思ったものの、さほど真剣に気に留めることもなく、万三郎はトイレに入る。
せっかくだからと用を足して、洗面台で手を洗いながら、鏡に映った胸元のラペルピンを見やった。
――こんなちっぽけな社章が、こんなに強烈な影響をワーズたちに与えるんだな……。
そのとき、トイレのドアが開いて入って来たのは、杏児だった。
「おい万三郎、大丈夫か」
「心配して来てくれたのか」
「いや、飲み物持ってテーブルに戻ったら、難しいワーズたちの自己紹介ラッシュだ。万三郎はどこかと訊いたら、『なんでも、ご体調がすぐれないとのことで……』だと。うまく逃げたなと思ったから僕も真似した」
「ユキは?」
「女性ワーズの集団に絡め取られていった。どこかのテーブルで軟禁状態になっているだろう」
「可哀そうに……」
杏児は澄ました顔で万三郎の横に並んで鏡を見ながら身だしなみを整える。
「なあ万三郎、今さらだけど、ETって、すごいな」
「ああ。だが、勘違いしちゃいけない。ETというステイタスに皆集まって来ているだけだからな。俺たちはまだ駆け出しでしかない」
杏児は鏡越しに意地悪く笑いかける。
「だったらET中浜さん、戻って一人でも多くのワーズの名刺もらって顔を覚えておいた方がいいんじゃないのか」
「そうかもしれないけどさ、小難しい病名とか、なかなか使う機会がないんじゃないか。そのうち、名刺もらったことも忘れちゃうよ。俺たちはまず、もっと基本的なワーズたちを使いこなせるようにならなくちゃいけないんじゃないのかな」
その時、結構な勢いで再びトイレのドアが開いた。明るいグレーのスーツを来た男が入って来た。
「あっ!」
鏡に映り込んだ男を含めた、三人が同時に驚きの声を上げた。男は、祖父谷義史だったのだ。
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