第十章 鴨焼(7)
七
メニューの塩ビシートを見ていた視線を、思わず万三郎に向ける。同席の皆が一瞬、静まり返った。
静寂を破って万三郎に同調したのは杏児だ。
「そう、そうなんだよなあ……。頬に入れ墨のある連中がジェットコースターみたいなのに乗って空飛んでくんだもんな。なんか、非現実的な……」
すると甲斐先生が、「何言ってるの、それはそういうもんじゃない?」という表情で両腕を軽く広げ、手のひらを上に向けて、アルファベットの「W」のようなジェスチャーをする。
“That’s the way it is.(3)”
杏児の方を向いて「ねっ!」と軽く首を傾げる甲斐先生に続いて、ほうぶん先生が口を開いた。
「杏児くん、そして万三郎くんも、店内を見なされ。今、われら以外の客は皆、ワーズたちでござる。さっき、皆こぞって我々に挨拶しに来たではござらぬか。これは夢まぼろしでござるか? そうではあるまい。彼らはことだまとして厳然と存在してござる。そしておぬしらはET、彼らを管理監督するヒューマン、それがしや先生方はその、ETを育成するヒューマンでござる。事実は事実、それ以上、疑念を持つのは無意味ではなかろうか」
ほうぶん先生のこの説得には、まるで論理性がないと思った。答えになっていない……というより、ちょっと穿って考えてみると、話をはぐらかそうとする意図がありありと見える。案の定、万三郎は食い下がってきた。
「ほうぶん先生、『ことだま』って、ワーズ社員を指して言った言葉ですよね。ことだまって、そもそも何ですか?」
「KCJ、ことだまカンパニー・ジャパンの『ことだま』だが」
とぼけるほうぶん先生に、万三郎が何か言いたげな表情を浮かべる。「いやそうじゃなくて……」と言おうとしたのだろう。ところが万三郎は、急にこめかみを押さえて顔をしかめ、口をつぐんだ。
すると代わりに杏児が口を開いた。
「『ヒューマン』って、人間っていう意味ですか」
再び、一瞬の無音がテーブルを支配する。即座に、場を茶化すように文ちゃん先生がおどけた。
「かーっ、チョーめんどくせー。今、授業中じゃねえし、そんな香ばしい質問、やめてくんねー」
「こ、香ばしい質問……?」
まだ何か言いたげな杏児だったが、彼もまた突然、顔をしかめて片手で両目を覆った。
戸井先生が即座に言う。
「試験中、気分が悪くなられた方は、その場で静かに手を上げて……」
そして、ほうぶん先生が畳みかけた。
「さ、二人とも、難しい質問はやめにして、ユキどのを交えて改めて乾杯といたそう」
だが万三郎はこめかみを押さえたままじっとテーブルを睨んでいる。
「なんでだろう、いつもこうなんだよなあ……なんか、この世界って、いまいち実感がないんだよなあ」
「酔っておるせいでござるよ」
万三郎と杏児のラペルピンの鴨が赤く目を光らせているのにちらりと目をやってから、私は大きめの声で誰にともなく言ってやった。
「鴨焼き串って、あるのかしら」
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