第十章 鴨焼(6)


 目はメニューを追いながら場の話の流れをつかむため耳をそばだてる。杏児が甲斐先生に問いかけるのが聞こえた。


「先生、前からお聞きしたいと思っていたんですが、バナナ虫の飼育、されているんですよね?」


 甲斐和月先生は、紫外線と潮風でごわついているけれど、自慢のストレートヘアが垂れて来るのを左手で押さえ、揚げ出し豆腐を箸でつまんで口に入れたところで、杏児からそう質問を受けた。


「昔の話よ。今は鷹匠たかじょうになるために猛勉強しているわ」


「鷹匠って、鷹を操る人……ですか?」


「そう。鳩の駆除で需要があるのよ」


「……って、甲斐先生、転職考えているんですか」


 続いてビールをグイッとやる。なかなか豪快な飲みっぷりだ。


「去年は、うなぎのかば焼き職人を目指してたんだけどね、うなぎが獲れなくなって、今から目指すのは厳しいかなと」


「甲斐先生、一昨年は、飛行機の誘導をするマーシャラーを目指しておられたのござろう? やめられたのかな」


 ほうぶん先生が酒蒸しのアサリの身を口先でこそげとって、殻を手で取り出しつつ訊く。


 甲斐先生は頷いた。


「空港がないのよ。チンステしかないの。だから需要がない」


 杏児が何か言いたそうな顔をしているが、口は開かない。普段思ったことをすぐ口に出す杏児でも、言葉を飲み込んだようだ。おそらく、「先生、よく考えてから始めればいいのに……」と言いたかったが、さすがに失礼と考えたのだろう。


 ユキを挟んで反対側に座っている万三郎が、少し身を乗り出すようにして、甲斐先生とほうぶん先生を等分に見ながら問いかける。


「空港がないこととか、逆にチンステがあることとか、そういう事実については、先生方は何の疑問も抱かれないのですか」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る