第十章 鴨焼(5)
五
お店の看板娘、
「いらっしゃいませ! あ、ユキさん、あちらに皆さんいらっしゃいますよ」
ほうぶん先生がここだと手を挙げる。それに笑顔で応え、五郎八に「生ビールを」と注文しておいて、あらかじめ空けておいてくれていた杏児と万三郎の間の席についた。
「先に始めておった。許されよ」
「こちらこそ、遅れてすみませんでした」
「あらっ、ユキちゃん、なんだか色っぽいわね。髪をほどいているからかしら」
――さすが同じ女性。甲斐先生、私が気合い入れて来たの、すぐ気づいたわ……。
「ちゃんとまとめる時間がなくて……」と笑顔で返す。それからちらりと万三郎の方を見た。けれども万三郎は、特段私に関心を示していないようで、手元のお通しに箸をつけている。
着席するなり、隣に座っていた戸井久美子先生が耳打ちしてきた。
「二時間飲み放題なんだけど、テーブルごとのスタートだから、私の時計を基準に進行してるの。途中、スタート時間が遅かったからとか、注文が通っていないなどの理由による、飲み放題時間の延長ややり直しは一切認められないから、そのつもりでね。それから……」
ビジネス英語のテスト前さながらの注意事項の伝達を愛想笑いで受け流しながら、戸井先生をマジマジと見つめる。髪は束ねられ、眼鏡もかけていて、アクセサリー類も小さく地味なものしかつけていないのは相変わらずだけれども、黒いスーツの下に着ている白いブラウスの前面に、控えめなフリルがついていた。
すかさず褒める。
「戸井先生、今日は、オシャレされてますね!」
それまで淡々としゃべっていた戸井先生の言葉が突然止まった。髪を束ねているせいで露出している両耳がみるみる赤く染まっていく。視線が右に左に目まぐるしく動いて、声は上ずった。
「そ、それから、メニューに関する質問には一切お答えできません」
ブラウスのフリルが精いっぱいのオシャレなんだわ。戸井先生、カワイイ!……とは思ったが、目上の方に失礼な言い方かもと、あえて口には出さず、表情だけにしておいた。
うろたえても口上だけは途中で止めるわけにはいかないらしい。
「そ、それから、体調がすぐれないとき、および、お手洗いに行きたいときは、静かにその場で手を上げて、試験監督者にお知らせください。それではこのまま、試験開始までしばらくお待ちください」
「はい、分かりました、戸井先生」
あえて試験関連のおかしな言葉はスルーして、戸井先生に柔らかく微笑んで会釈しておく。
「おお、今夜の福沢、マジかわいくね? 女子力、
そう嬉しそうに言う文ちゃん先生モードの片井文吾郎先生を、ほうぶん先生が苦笑いして諫める。
「先生、ダメでござるよ、先生が生徒に手ェ出しては」
文ちゃん先生はあわてて咳払いをして釈明する。
「はあ? ほうぶん先生何言ってんの、チョー訳わかんね。俺が出すのは手じゃなくて、メニュー」
文ちゃん先生が差し出す、塩ビのシートに入れられたメニューを私は苦笑しながら受け取った。
「文ちゃん先生、ありがとうございます。えーっと、何頼もうかな……」
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