第十章 鴨焼(2)
二
小学校の時とは違って中学に入ると、髪型についてうるさく言われるようになった。短めに切るか、くくれ。額と頬を出せ。気がつけば美耶はこの一学期の間に、両手で頬を隠すように深い頬杖をつくのが癖になった。
今もそうして目を伏せていたのだ。
「中村、どげぇした浮かん顔して」
板書を終えて振り返った先生がうつむく私を認め、心配する風な顔でわざわざ生傷をえぐる。皆の視線が美耶に集中する。そりゃあそうだ。浮かない顔ってどんな顔なのか、誰でも興味がある。
「じゃあ次、中村、読んじみい」
教科書を持って起立すると、針の束で刺されるような気分だ。それらの針のうち一本は航平だろう。美耶は元々英語に苦手意識があり、どちらかというと嫌いな教科だった。
「アイ・シンク……」
「スィンクや。こう、歯と歯の間に舌を挟んで息を出す」
まるで窒息寸前までビーチボールを膨らませ続けろと言われている気がする。少しつまむと空気が逆流してくるイメージが浮かんで、息苦しさにすべてを投げ出したくなるのを危うく抑える。
「アイ・スィ……スィンク・ユー・キャン・ドゥー・イット」
「続けて」
「アイ……アイ・ホッ……ぺ……ユア・ドリーム・ウィル・カム・トゥルー」
「中村、ホッペじゃねぇで、ホープや。希望を持つっち意味やな」
教室の半分は爆笑、もう半分ははにかんだような笑いに分かれた。そのとき美耶は自分がどういう表情をしていたか分からないが、顔のどこの筋肉がどんな緊張をしていたかは感覚ではっきり覚えている。だがきっと二度と再現できないだろう。
調子に乗った大輔が立ち上がり、大声でおどけた。
「ホッペち……赤ホッペ、自爆やん。女子から聞いたんじゃけど、お前、昨日航平にコクって断られたち? そらあそうじゃろ、ホッペ赤いもん。無理。希望なし。ノー・ホープ。はい、赤ホッペ終了」
再度、クラスの半分は大爆笑だった。おそらく昨日のことを最初に漏らしたであろう詠美と友麻は大輔に抗議した。
「園田サイテー。なんでバラすんよ!」
クラスが騒がしくなり始めたので太田先生が言った。
「大輔、もういい座れ。中村も座れ」
それから太田先生は黒板に“cheeks”と書いた。
「頬っぺたはチークや。左右あるけぇ複数形にする。『赤い』は“red”もねぇことはねぇけど、“rosy”の方がいいな。『バラ色の』ちゅう意味や。伊藤、中村は赤ホッペじゃねぇで、バラホッペやで。返事、考え直したらどげぇな」
航平は皆の手前、多少の照れがあったのだろうが、本当に迷惑そうな顔をして、それからかすかにかぶりを振った。
そして、この瞬間、美耶は英語が大嫌いになった。
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