第十章 鴨焼(1)
一
中村美耶が通う中学校では、一学期の期末テストが終わった後も、終業式までの数日間、二学期と称して夏休み前に授業が行われていた。だが一年生に限って言えば、もう生徒たちは気もそぞろだ。晴れ晴れとした表情を隠しきれず、授業中でさえ浮かれ騒ぎする生徒がいる始末だ。今になって思えば、『無理もない、こいつらは半年前はまだ小学生だったのだから……』そう、先生も大目に見ていたのだろう。
「こら、大輔! いい加減どおくるん(1)やめろ。聞こえちょったぞ。何が『冷麺、ラーメン、そうめんそーれー』じゃ。お前、家族で沖縄旅行に行くんちお盆(2)じゃろ? テンション上がるんが早すぎるんよ」
英語担当でクラス担任の太田圭司先生が苦笑いしながら注意する。先生が大輔の下手なダジャレをそのまま真似して言ったので、クラス中が大爆笑だ。注意された園田大輔は、ウケたのが嬉しくて頭を掻いている。
「じゃあ、大輔! お前、次、読んじみい」
「えーどこどこ?」
すぐさま隣近所の女子たちが教科書を指さして「大ちゃん」に教えてやる。
「えーっと、アイ・ワント・ツー・ビー・ア……ア……コック」
「クックや。日本語ではコックじゃけど」
「えー、シェフやろ」
「シェフはフランス語由来なんよ。次、読んで」
「オー、ザッツ・グレート!」
「よし、そこまでや。大輔、お前、沖縄言葉もいいんじゃけど、英語ちゃんと覚えよな。料理人は英語で?」
「コ……コッ……ク」
「クックや」
教室が笑いに包まれる。伊藤航平も笑っていた。その航平の横顔を教室の後ろの席から遠目に見て、美耶はいよいよ陰鬱な気分になる。同じクラスで毎日顔を合わせるだけに、そのダメージは計り知れない。事情を知っている友人たちからの同情の視線も今朝から加わって痛みをさらに増幅させている。夏休みに入るまであと三日。痛みに耐えながら、ひたすらおとなしく、目立たなくしていようと美耶は固く心に決めていた。
本当は、心の奥深くにしまい込んでおくべきだったのだ。詠美たちにそそのかされた自分が今は愚かしい。
「大丈夫やけぇ、美耶ならいけるで」
体育倉庫の裏に航平を呼び出した。マンガのように物陰から顔を出す詠美と友麻。控えめな性格に育った美耶の十三年間の人生で、たぶん一番勇気を振り絞った瞬間だった。
航平が言った。
「俺、お前んこと、そげん対象で見たことなかった」
それで充分だ。日本人なんだから、それだけでちゃんと意味が理解できる。そこへ航平がさらに付け加えた。
「中村、ずっと思っちょったんやけど、お前、何でいつもほっぺたが赤いん? アニメとかで出てくる昭和の子供みたいや。いつも何か恥ずかしがっとるみたいでおかしい。男子はみんなお前んこと『赤ホッペ』っち呼んどる。俺、赤ホッペとはよう付き合わん」
「……分かった。ごめん……」
教室の笑いはいったん収まったのに、先生が黒板に、”I want to be ~.”と書いている短い間に、皆のおしゃべりがまた大きくなる。そんな中、自分一人だけ、聞こえる声が小さくこもって、何も見えなくなって、息が苦しくなった。小学六年生の修学旅行の夜、ふざけて友人たちに布団で顔を覆われたときのように。
――私、どうして昨日あのとき、謝ったのだろう……。もちろんほっぺたのことは自分も気にしていたけれど、そんな、マンガみたいに、そこまで赤いわけじゃない。
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