第八章 善悪(10)



「はい、分かりました」


 ネクタイの男はそう答えると、手を下ろして、左右の男たちに命じた。


「テーブルを戻せ」


 このネクタイの男の部下とおぼしき二人の男たちは、言われた通りテーブルを元に戻し、部屋の両脇に分かれて立った。


――スーツの腕にインカム・マイクを仕込んでいるのか。セキュリティーサービスみたいだな。ここは組事務所か、アジトか何かか。


 万三郎がそう警戒して部屋の中をあらためて見回す間もなく、奥の、ただの壁だった部分が音もなくスーッと開き始めた。


 ネクタイ男【ruthless】は、開いた壁の傍らに立って、その向こうに向けて敬礼する。


 スキンヘッド【nefarious】が小声で三人に言う。


「お前ら、頭を下げろ」 


 それからスキンヘッド自身もネクタイ男と同様に上体を折った。頭を下げろと言われても、今まで壁だったところが開いて、いったい何が現れるのか、興味と恐怖で三人はその場に茫然と立ち呆けている。


 開いた壁の向こうに、こちら側の半分ほどの大きさの部屋が現れ、その中央辺りに、古都田社長の社長室に置いてあったものと同じくらいの大きさの机がひとつ、どんと鎮座していた。


 そして、机の向こうに二つの人影があった。


 一つは、こちらに背を向けて車椅子に座っている、やせ気味の男のようだった。


 そして車椅子の傍らにこちらを向いて立っていたもう一つの人影は、アイボリーのスーツを着てネクタイを締めた長身の男で、サングラスをかけてこちらを向いていた。立っている男を見たユキと万三郎が、驚いてほぼ同時に声を上げる。


「ああッ! あなたは……」


 驚かれたその男は、にやりと片方の口辺を吊り上げて、それからサングラスをゆっくり外した。見覚えのある切れ長の一重まぶたが現れ、鷹のような目で、三人をねめ回した。


 男は万三郎たち三人を自らの目で確認し終えると、静かな声で言う。


「ここのモニターで一階の様子を見ていてまさかとは思ったが、やはり、あんたたちだったか」


 再びサングラスをかけようとする男の方を見ながら、祖父谷は小声で万三郎に訊く。


「顔見知りなのか」


「ああ、ワーズ社員【bad!】だ」


 万三郎が答えたその小声は、男の耳にも入ったようだ。男は、かけようとしたサングラスの手を止めて、突然、威圧的な大声を出した。


「おい小僧、【bad!ベァーッド・ハッ!】だぜ。この社会にゃ【bad】は何人もいるが、俺はそいつらとは違うんだと、この間も言ったはずだ。気をつけろ。『ベアーッド・ハッ!』と発音するんだ。そして、書くときゃ『!』をつけるのを忘れるなよ」


 ドスの利いた声に驚いて、万三郎は再び【bad!】の方を向いて硬直した。


「す、すみません」


 車椅子の、やせ気味の男が、こちらに背中を向けたまま傍らの【bad!】に静かに訊く。


「で、間違いないのか」


 【bad!】はたった今とはうって変わって、少し身をかがめるようにしてかしこまって答えた。


「はい、雉島きじしまさん。三人のうち二人を、俺は知っていますが、さっき一階で自分たちはETだと喋った男も、金鴨の社章を着けています。間違いなく」


 それを聞くと、車椅子に座っていた男は、車椅子をゆっくり回転させて、三人の方を向いた。

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