第三章 由紀(6)

  六


 私が状況を理解するのに二、三秒かかり、もう一人の男性客もこちらを振り返った。


 マサヨが私に微笑む。


「ユキさんがおやすみ中に入りました」


「ふーん、あ、そう」


 私は、それからさらに二、三秒、そのテーブルの状況を確認すると、急に興味を失って前に向き直った。男性客たちも、一瞬の不思議な光景はすぐ忘れて席に着いたようだ。


「初めてなんですけど、何かお店のおすすめありますか」


「てごねのハンバーグ定食はいかがでしょうか」


「あ、じゃあ、それお願いします」


「僕も同じで」


「かしこまりました。お飲み物はいかがなさいますか」


「じゃあ、先に生ビール持って来てください」


「僕も」


「かしこまりました」


 マサヨはカウンターのマスターにオーダーを伝えると、私の後ろを通ってカウンターの向こうに戻り、ビールのジョッキを取り出した。マスターはさっき冷蔵庫に入れたハンバーグのたねを取り出した。


 私はまた頬杖をついて、マサヨの様子をぼんやり眺める。二人は無言でそれぞれの作業にとりかかっているので、私は必然的に後ろの男性客二人連れの会話を聞くともなく聞いてしまう。


「あんなことになったってのに、食欲、あるんだ」


「ああ、お互いに」


「今日はいろいろありすぎたな」


「俺たち、言われるがままに、あそこを後にして良かったのかなあ。誰も死んだり、怪我してなけりゃいいけど」


「あれだけ大変なことになって、気にするな、もう行けって言われても、気にしないなんてできない」


「そりゃそうだ、だけどさ、もう気にしてもどうにもならない。飯喰わずにいれば、なかったことにできるってわけでもないし」


 マサヨが私の後ろを通って、ビールを運んで行った。


「じゃあ、共に健闘を祈って」


「うん、よろしく」


 それからしばらく無言になった。二人はビールを飲んでいるところのようだ。マスターはカウンターを越えてさらに奥にある、小さな厨房スペースに入ってハンバーグを焼き始めていたが、カウンターに戻ったマサヨを呼んだ。


「マサヨたん、ちょっと……」


「はい」


 マサヨが奥へと歩いて行く。私は、バッと男性客の方を振り返った。

 

――ああ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る