第二章 杏児(15)
十五
“No, thank you. I don’t think we need your products. Good bye, gentlemen.”
(もう結構だ。あなたのところの商品を我々が必要とするとは思わない。失礼するよ)
スミス社長は、書類を自分のブリーフケースに戻し、契約書関係の書類を日本側に突き返した。そして取り巻きと共に席を立つ。日本側は慌てた。
「待ってください、スミス社長。どうか、私どもの言うことを今一度……」
四人の部下を引き連れて、応接室から大股で出て行くスミス社長に、日本の中小企業の高橋社長以下、幹部社員たちが追いすがる。
「製品にお気に喰わない点があればすぐ改善します。アフターサービスについても無償で技術者をアメリカに派遣いたします。この後、料亭を予約しています。スミス社長、どうか行かないで……わが社の命運が尽きます。ああ……」
モニターを見ていた中浜は愕然としてつぶやく。
「俺だ。俺の乏しい英語力のせいだ。ああ、どうしよう……」
一瞬頭を抱えた中浜は、ハッと顔を起こすと、真剣なまなざしでタブレットを操作し始めた。僕と同じことを思いついたようだ。オーダーを受けてはいないが、中浜自身の思いでシートレを飛ばそうというのだ。状況からいって、僕でもそうしただろう。
間もなく、ホームの付け根に二台のカートが競うように止まり、そのうちの一台からは、僕が召集したワーズたちがわらわらと降り立ってきた。
【please】や【don’t】が見える。僕は彼らを案内した。
「早く来て乗ってください。みんな殴ったり蹴ったりしています。彼らはプロだから、怪我でもしたら生活にかかわる」
そこへ、中浜の声が重なる。
「あ、【please】さん、こっちこっち。早く来てくれないと、スミス社長がエレベーターに乗っちゃう。【don’t】さん、こっちです」
ええっ、このワーズたち、僕の方でしょ!
「中浜くん、このワーズたちは……」
「えっ、三浦くんも同じワーズ呼んだのか」
「うん、しかも僕の方が早く……」
そのとき、立往生しているワーズたちの後ろから、さらに別のワーズたちがやってきた。似たようなワーズたちがたくさん、僕らを先頭にひしめき合っている。
「おい、前の方、早くしろよ、何つっかえてんだよ」
「どっちなんだ? 百十七番線か、百十八番線か」
「ちょっと待て、クラフトマンたちが打ち合わせしてんだからよ」
「何で? 今頃、何を打ち合わせるってんだ! おい、ビープが鳴るぜ」
ワーズがそう言うとともに、ビープ音が鳴り始めた。ビーッ、ビーッ……急げの合図だ。僕はイライラした。
「僕の方が先に編成オーダー出したんだよ。【please】とか、僕が呼んだんだ」
「俺も【please】呼んだよ。カートが二台同時に着いたじゃないか」
「じゃあ、どっちがどっちの……」
「知るもんか! だけど、三浦くん、数は同じじゃないのか。俺が呼んだ【please】と、君が呼んだ【please】を合わせた数の【please】がここに来ているはずだよな? だからどっちでも乗せていきゃあ、最終的に足りなくなったり、余ったりしないって」
中浜がそう言っている間にも、僕が手にしたタブレットの画面いっぱいに、“Hurry up!”(急げ!)の文字が……。
僕は、ホームにあふれ出そうなほどたくさんのワーズが「早くしろよ」という表情でこちらを見ているのを確認して、中浜に言った。
「よし分かった。このワーズの皆さんを共用しよう」
「よし。そうと決まれば……」
中浜はてきぱきとワーズたちを自分のシートレに案内し始めた。急いで送り出さなければ、スミス社長がエレベーターに乗って帰ってしまうのだ。引きとめられなければ、クライアントの会社は終わりだ。
「【please】一人目、来てください。ここ、一号車に乗って! そう、あなたです。次、【Mr.】、はいあなたは二号車です。そして【Smith】、三号車にお願いします。あ、【elevator】は、まだ待っていて。あ、そうだ、【the】を探して、一緒に手をつないで、私が呼ぶまで待っていてください。えーっと、次、あと三人【please】いますかぁ? 急いでください!」
中浜が素晴らしく早い編成作業をこなすのにしばらく見とれていたが、なんだか、自分が呼んだはずの【please】たちがどんどん取られていく気がして、ハッと我に返って、僕は慌てて作業を開始した。
「百十八番線、【oh】、【my】、【God】のお三方、来られてますかぁ? 急いで先頭の一から三号車まで乗ってください。次、【please】三人、次々乗って!」
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