プロローグ(6)

  六


――一機九百八十万。回収不能になるくらいなら、ターゲットを動かすか……いや、それが何の解決に……?


 スペードが声を殺しつつ叫ぶ。


「ジョーカー、どうしますか!」


「……」


 斎藤はとにかくターゲットをどうにかしようと、鬼気迫る表情で立ち上がろうとした。


 まさしくその時。


 ――あーっ!


 予期せぬことに、まったく別の一人の客が、斎藤の左奥の席から通路を早足で横切って行ったのだ。文字通り、あっと言う間だった。


 斎藤のタブレットの画面は真っ赤に点滅し始めた。


 ダイヤの慌てた声。


「緊急事態発生! 乱気流です。フラッフィーの姿勢制御不能。現在位置捕捉不能」


――何てことだ! これは始末書じゃあ済まんぞ。


「じ、状況が判明次第、知らせてくれ」


 斎藤はダイヤにそう使えると、鬼気迫る表情のまま、ターゲットの胸の辺りを凝視した。むろん、大きさ一ミリメートルになるかならないかの物体を三メートルの距離から発見するのは無謀だ。そもそもターゲットの胸の辺りをさまよっている保証などないのだ。それでも斎藤はそうでもせざるを得ない心境だった。


 あまりの細部に注意を払っているせいで斎藤は、摘美鈴が自分の視線に感づいたことに気付いていない。正面の男はどう見ても自分の胸を凝視していると警戒した摘美鈴は、表情を険しくして胸の上で固く腕組みした。


 摘美鈴のその動作は乱気流を引き起こす。


「ジョーカー、フラッフィーの現在地が判明しました。ああっ! 今ターゲットの周りで乱気流発生! ただ、位置は捕捉可能。激しく回転しながら、通路側に押し戻されています。軌道計算中……あっ! 落下中! フラッフィーは落下しています。繰り返します、フラッフィー落下中! 通路の床面に衝突する可能性大! ジョーカー、あなたとターゲットのちょうど中間辺り、いや、少しターゲット寄りです。衝突まであと十秒!」


 ダイヤの報告の末尾はスペードにさえぎられた。


「ジョーカー! 床に汚染されたらもう使えませんよ! どうするんです?」


「どうするんですって……」


「八、七、……」


「斎藤さん、指示をッ!」


 必死で空間を凝視していた斎藤は、いらだちのあまり舌打ちをして、声に出して言った。


「クソッ! ダメだ、見えないんだ」


 それを聞いた摘美鈴は驚愕の表情を浮かべ、組んだ腕にさらに力を入れる。


「六、五、……」


「斎藤さーんッ!」


「おおッ!」


 斎藤は嬉しそうに大声で叫んだ。


「よし、見えたぞッ!」


「み、見えたって……?」


 摘美鈴は目を丸くして、固くガードしているはずの自分の胸元に視線を落とす。

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