純真な子供には「理」と「情」の区別などない

あるのは、快か不快。あるいは、喜びか怒り。打ち返されたそれによって、人は相手にとっての己がどういう存在であるのかを、初めて知る。何気なく、意図せず与えていた───相手が受け止めていたものが、優しい何かとなって返ってくる時、それは驚きを伴った温かさとなって、改めて相手と己とを繋ぐだろう。
たとえ相手が、どんな存在であろうとも。
これはそんな、とても優しい話です。