サイエンティフィック・マザー

腹筋崩壊参謀

【短編】サイエンティフィック・マザー

『あれ、何を見てるんですか?』


 山奥にある研究所の一角で寛ぐ私の耳元に、その行動を不思議がる声が聞こえてきた。当然かもしれない、様々な最先端技術を研究しているこの施設の主任である私が見る本やウェブサイトと言えば、専ら科学雑誌や論文なのだから。

 でも、その日私が眺めていたのは、様々な花言葉が紹介されている、ある意味非常に非科学的なウェブサイトだった。何か大変な事態でもあったのか、と大袈裟に心配する声につい笑ってしまった私だけど、ちゃんと丁寧にその理由を教えてあげた。


『母の日の……花?』

「そう、私のお母さんに贈る花を探してたのよ」


 今でこそ、この研究所の主任として多忙な、しかし楽しい日々を過ごす女性科学者である私だけど、そこに至るまでの道には数えきれない苦難があった。研究が上手く行かなかったり、仲間に迷惑をかけてしまったり、時には誹謗中傷を受けてしまう事まであった。でもそんな時、仲間たちと共に私の心の支えになってくれたのは、女手一つで私を育ててくれたお母さんだった。

 文句を言う人は絶対に現れるかもしれないが、貴方の頑張りをどこまでも応援してくれる人は必ずいる、だから自分の夢を諦めないで――そう励まされた当初は内心苛ついてしまったけれど、今になってその言葉の意味が本当によく分かるようになった。見てくれる人は、必ずいるのだ。


「でもそのせいで忙しくなり過ぎちゃって、今まで何もプレゼントが出来なかったのよね……」

『そうだったんですね……』

「だから、ぴったりの花を探してたって訳。普通はカーネーションを贈るんだけど、ちょっとこだわってみようかなって」


 手伝いましょうか、と親切な声が聞こえてきたけど、私は敢えて断った。いつもは『彼』に作業を手伝ってもらう事が多いけれど、今回はいつも奮闘しているお母さんに私自身の力でお礼がしたかったからだ。

 

『お母さん、良い響きですね……』

「そうでしょ?」


 その後、私は無事お母さんにぴったりの言葉を持つ花を見つけることが出来た。そして、今までの感謝の思いを込めた手紙を同封した上で、母の日に届けてもらうよう、注文を行った。本当は直接届けに行った方が良いのだろうけど、生憎私はこの場所で未来の人々のために頑張らなければならない。それに、見捨てることが出来ない大事な存在もいるのだから。


 幸い、お母さんは私からのプレゼントを喜び、お礼の電話までして貰った。

 どれだけ知識を高めてもお母さんには一生敵わない、と私は痛感し、改めて感謝の念を強くしたのだった。



 ところが、そんな幸福な時間は長く続かなかった。

 

「……あれ?」


 その母の日を境に、研究所で奇妙な事態が幾つも起き始めたのだ。


 まず、少しづつ電気代が高くなり始めた。一応代金は私たちの研究に出費をしてくれる大企業さんが肩代わりをしてくれるのだけど、どうして急に高くなったのか、と言う疑問に対し、私の中に思い当たるものが無かったのだ。

 念のために研究所にいる他の皆にも尋ねてみたけれど、誰も電気を無駄に使うという真似はしていない様子だった。

 研究に使う部品が古くなったのかもしれない、と思い、一部を新品に切り替えようと注文書を製作した時、またも妙な出来事が起きた。


「ねえ、こんなに注文してどうするの?」


 私たちの研究所では、植物を栽培するときに使う様々な物資――液体肥料や光源用のライトなどを多数注文する事がある。勿論趣味ではなく、重要な研究に使うためだ。でも、大量に注文をする必要があるのだろうか、予備にしてもあまりに多すぎではないのだろうか。それに、この種類の種を一体何の研究に使うつもりなのか――。


『念には念ですので……』

「それにしても多過ぎるわよ。無駄遣いしてるんじゃないでしょうね?」

『い、いやそんな訳は……』


 ――その言葉通り、念に念を入れて予備の部品を多数購入する事も重要だが、それを購入するお金にも限度があるもの。例え声の主にとっては僅かな金でも、ここでしっかりと教えておかないと後の研究にも響くし、変なを覚えられては困る。

 今回は既に注文書が仕上がってしまったためどうしようもなかったが、今後こういう事が絶対にないように主任として厳しく注意をしておいた。謝った声が、どこか切なそうに聞こえたのは恐らく気のせいだろう、とその時の私は感じてしまった。



 この奇妙な事態の数々の原因は何か、もしかして何か隠しているのではないだろうか――そのような疑念は、時間の流れや新たな研究の忙しさの中で薄れていった。そしてあっという間に年を跨ぎ、再び母の日が訪れようとしていた。

 今年も無事お母さんに綺麗な花を贈り、日頃の感謝を記したメッセージカードもしっかり同封できた私が、研究所の中にある自室のソファーに寝転がり、のんびり寛ごうとしていた時だった。突然私を呼ぶ声が大音量で聞こえてきたのだ。しかも、即急の用事で。


「え、その部屋って……」

『はい、急いで来てください!重大な事実を伝える必要があります!』


 研究所の中にあるその部屋では、様々な資材を駆使して土を使わず植物を大量生産する「植物工場」と呼ばれる施設に用いる最新技術を研究していた。特にここ最近は、私を急かすこの声の主に植物の維持や部品の管理を任せ、私たち人間は指示に従って動く以外の手出しをしない、と言う大がかりな実験を続けていた。そんな中で突然の知らせを受けた私が動揺しないわけは無かった。何か大変な事が起きたのか、『彼』でもどうにも出来ないミスが発生してしまったのか――最悪の状況が頭をよぎる中、滅菌した衣装を身に付け、大量の植物が育ち続けているであろう部屋の中へ入った私は――。



「……えっ……!?」


 ――驚きの声を上げる事しかできなかった。


 当然だろう、LEDによって照らされた無機質な部屋の中に、何千本ものカーネーションがまるで大きな絵画を描いたかのように咲き揃っていたのだから。

 そして、入り口に立ったまま動けない私に代わってドアを優しく閉じながら、その声は丁寧な口調で告げた。母の日、おめでとう、と。


「母の日……」

『今から10年前、貴方は僕をこの世に生み出してくれました』

「……!」


 感情を持った超高度な人工知能と協力しながら、様々な分野の研究を行う――それが、この研究所が建てられた目的であった。そして、そこで用いる人工知能を創るため、私は何年もの間試行錯誤を続け、何とか『彼』を送り出す事が出来たのである。

 正直、その時からずっと私は、『彼』を仲間の1人だとしか感じていなかった。大規模な実験や複雑な計算などをアシストし、やがて彼を基に創り出されるであろう量産型の人工知能への重要な礎を担ってくれる頼もしい存在である事はしっかり認識はしていたけれど、それ以上の感情は抱かなかったのである。


 しかし、『彼』の思いは違った。

 私に対して、特別な気持ちをずっと抱き続けていたのだ。


『去年の母の日に、貴方のお母さんに花束を贈ってあげた事、覚えていますか?』

「勿論、覚えているわ。お母さん、凄い喜んでいたもの」


『……僕も、そんなお礼がしたかった』

「……!」


 たまに怒られてしまう事もあるけれど、主任として研究所の皆を支え、頼りある一面をいつも見せてくれる。そして何より、自分をこの世界に生み出してくれた、それが一番の理由だ――優しい声を聞いているうち、私も心の中から優しく幸せな思いがこみ上げてきた。今まで一度も感じたことが無い、不思議な心地だった。


「……そういう事だったのね」

『ごめんなさい、今までずっとこれの準備をしてきたんです……』


 これからはちゃんと事前に報告するように、と軽く注意をした私だけど、そこには一切の怒りも悲しみもなかった。組織培養で増やした様々な色のカーネーションを用い、世界で一番ハイテクな花束を創り出している様子を見ると、その美しさや秘められた思いを感じてしまい、そういった心などすぐ薄れてしまったからだ。いや、むしろここで怒鳴ってしまう事こそ失礼だろう。『彼』は私1人のために、1年もかけてプレゼントを創ったのだから。


 そして、私はようやく心の中にこみあげてきた思いの正体に気付くことが出来た。

 去年の母の日、お母さんは私が贈った花束に対して予想していた以上のお礼をしてきた。電話口からは泣いた後に鼻をすするような音まで響くほどであった。その時は少し大袈裟だな、とつい苦笑を漏らしてしまった私だけど、今になってその時のお母さんの気分がとても良く分かった。

 手取り足取り育て上げてきた大事な子供が独り立ちし、立派な大人になり、そして感謝の思いを伝えてくれる――それだけでも、親にとっては何よりも代えがたい最高の嬉しさなのだ。例えその『子供』がとしても、その思いは同じだ。



「……なんだか、ごめんね……私こそ、貴方の気持ちを察せなくて」

『いえ、いいんですよ。こうやって今、気持ちを伝えられただけでも僕はとても幸せです』



 私も同じだ、と伝えたのち、私が口に出した感謝の言葉は、研究所をまとめる主任としての言葉ではなく――。



「……これからも、よろしくね」



 ――日々成長を続ける、人工知能のに対して贈る、からの精一杯の感謝の言葉だった。



『……こちらこそ、母さん』


 <終>

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サイエンティフィック・マザー 腹筋崩壊参謀 @CheeseCurriedRice

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