イタリアの妹

 俺は別にロリコンじゃない。断じてちがう。ちがうのだ。

 我ながら、お節介というか、面倒見のいいところはあるが、年下が好きでたまらないってわけでもない。

 リンのことが気になるのは、見た目がめちゃくちゃ綺麗とか、そのくせナマイキで不器用そうなところが可愛いからなんだけど、実はもうひとつ理由がある。


 ある夏、俺はしばらくイタリアに滞在したことがあった。

 イタリア人と結婚して、ローマに住んでいる叔母が招待してくれたのだ。

 ローマ市街中心部『via Nazionale』(ナツィオナーレ通り)。

 コロッセオまで歩いて行けるの距離の、古く重厚な茶色のアパートメント。

 縦長の長方形の窓を押し開けると、眼下に石畳の路地と、サックスを吹いている外国人の姿が見える……叔母の家はそんな場所だった。

 叔母の仕事は、お灸を使ったオリジナルの東洋式マッサージで、それをイタリアで開業したところ、叔母自身も驚くほどウケて、企業家や政治家といった、たいそうなVIPが顧客についた。

 リッチな客たちは、高級ホテルの宿泊費用込みで叔母をイタリア各地に招待し、自分を施術させた。

 おかげで俺は、イタリア中を飛び回る叔母にくっ付いて、便乗旅行できたのだ。


 そしてその夏、俺は、初めて顔を合わせた、十二歳の従妹と仲良くなった。

 多くの幼いハーフがそうであるように、天使のように可愛らしく、飛び抜けて頭がよく、そして大人びてナマイキだった。

 バイリンガルであるその子が通訳兼ガイドになってくれたおかげで、普通の観光客とはまったく違ったイタリア暮らしを送ることができた。

 俺たちは、真っ青なインクのような夏空の下、コロッセオまで歩き、ワゴン販売の、信じられないくらい美味いジェラードを食べた。

 頂上から天使像が見守る『サンタンジェロ城』に行き、中庭の優雅なオープンカフェで、貴族のようにお茶を楽しんだ。

 芸術の都『フィレンツェ』では、ヴァーミリオンの街並みを散歩したし、水の都『ヴェネツィア』では、カンツォーネを聴きながら、お約束のゴンドラに乗った。

 全然興味なかった『バチカン』の美術館に何気なく行ったときは、人の手で造られたとは思えない奇跡の作品たちに、ふたりで感動した。

 海の街『アマルフィ』では、世界一美しいといわれる海岸で海水浴した。

 絶壁に建つ古城のホテルに泊まり、その真下、紺碧のプライベートビーチで、恥ずかしそうな水着姿の従兄弟と一緒に泳いだ。

 売店というにはオシャレすぎる露店で、『amo Amalfi』と書かれたアホっぽいTシャツを買って、ペアルックもした。


 外国暮らしに少し慣れたころ。

 ひとりで『スペイン広場』に散歩に出た俺は、近寄ってきた黒人の物売りから、カラフルな糸束を突然腕に巻き付けられた。

 素晴らしい手際でみるみる編まれていく美しいミサンガに感心していたら、そのまま強引に買わされてしまったのだ。

 家に帰ってそれを見た従妹は、

「タキくんタキくん。それ日本円だと三千円くらいだって! たっかいねえ!」

 と、ひとを小馬鹿にしきった爽快な笑顔で言った。そして「わたしを置いてひとりで行っちゃうから、そんなめにあうのよ」と可愛らしくお説教してきた。

 今度はふたりでスペイン広場に行き、同じ場所の、たぶん俺のときと同じ黒人と、流ちょうなイタリア語で会話した従兄弟は、おそろいのミサンガを編んでもらった。

 従妹は、嬉しそうにそれを見せて、

「わたしのは日本円で三百円くらいにしてもらったよ。やっすいねえ!」

 滞在中は、その子の部屋を俺の個室として使わせてもらったのだが、本棚の日本語版『りぼん』『なかよし』を感心しながら読みふけったり(「ふむふむ。女心ってのはこんな感じなのか……」)、枕カバーが男臭くなったと文句を言われたりして(「洗濯すりゃいいだろ……」)、ってこんな気分なのかなーと、俺は口元を緩めながら思ったものだ。

 俺たちは本当の兄妹のように過ごした。

 帰国する日、従妹は空港で、俺の頬にそっとキスして泣いた。

 なんて声をかけるべきか考えているうちに、背を向け、従妹は雑踏の中を走り去った。

 それっきり。一度だけ手紙を出したが、返事は来なかった。

 大事なものをもぎ取られたような喪失感だった。

 たぶん、リンに代わりの何かを求めている……そう自分で納得した。


 ◆


 気づいたら、俺とリンは自然に会うようになっていた。

 俺の住む『海の街』からバイクにまたがり、リンの住む『山の町』まで走る。

 公園と一体化したような、緑あふれるショッピングモール。

 客の姿はいつも多くない。時間はゆるゆると流れている。

 今日はあいつ居るのかな。居ないのかな。

 出会いの予感を胸に、田舎のモールを歩き、行きかう他人の中から、希少な美しい花でも見つけるように、その姿を探す。

 女性雑誌を立ち読みしてるか、フードコートで水を飲みながらぼんやり外を眺めているリンが、俺に気づき、ムスッとした美しい顔に、注意しないとわからないくらい微妙な笑顔を浮かべて、手を挙げる。

 そんな風にして会うのは、なんというか、とても楽しかった。

 やがて、夏休みが来ると、俺たちは毎日のように会った。

 他人と長く居るのが苦手な俺にとって、リンは不思議な存在だった。一緒に居ても全然苦痛じゃなかった。むしろ、その逆だった。


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