後悔のキス

 そのキスのあとの罪悪感と自己嫌悪はひどいものだった。

 血の繋がった従妹に、子供相手に、妹のように思っていた子に、叔母が危惧した通りに、そんなことをしてしまった自分を俺は許せなかった。吐き気すらもよおした。

 後悔しても、自分を責めても、その罪悪感と嫌悪感は消えなかった。

 その夜以降、俺はもう、従妹とどんなふうに接すればいいのかわからなくなってしまった。

 俺のその態度ははっきりと従妹を傷つけたし、叔母は俺たちの間に起きた何かを敏感に察し、帰国の瞬間までどこかよそよそしい目つきで俺を見ていた。

 あんなに楽しかった海外暮らしが台なしになった。

 精いっぱいもてなしてくれた叔母の好意を裏切った。

 孤独の中、俺には心を開いてくれた従妹の気持ちを踏みにじった。

 ただ運が良かったというだけで手に入った、身分不相応に価値あるものを、俺は自分の手でぜんぶブチ壊したのだ。


 そしてリン。

 俺が勝手に決めつけただけの……血なんか繋がってない……だけど八歳も年下の……中学生の……妹。

 左右のミサンガを見て唇を噛む。

 ……キスなんてできるわけがねえ。していいわけないだろ、くそっ。

 瞳を閉じたリンの顔。ため息が出るほど美しい。

 両手をそっと伸ばした。

 情けないことに小刻みに震えている。

 グッと力を入れて震えを止めた。その手が、かすかに頬に触れると、リンは鋭く眉間にしわを寄せ、ビクッと身体を硬直させた。

 そのまま頬をムニュリ。

「ふっ?」艶のあるピンクの唇を突き出し、ヒョットコみたいな顔になる。「え?」

「おおっ。へんなかお」

 わざとらしくフザけた声でリンの頬を上下に引っ張った。綺麗な顔は、いくら変顔にしてもやっぱり綺麗だと、場違いな感銘を受けながら。

 リンは、髪を振り乱し、首を振って、激しく俺の手を払った。

 俺は、顔を見ないように背を向け、そそくさと離れた。

「さ。そろそろ帰ろうぜ。暗くなる」

 階段のほうへ歩く俺の尻にドカッと衝撃が来た。

「うおっ」振り返ると、リンが右足を上げていた。「お、おまえっ、いきなりなんてことしやがるっ」

 リンは真っ赤な涙目のまま凄まじい顔で俺をにらんでいた。

 思わず気圧され言葉を飲み込んだ。

 すーっと鼻先を天頂に向け、目をぎゅっとつぶったリンは、大股で踏み出し、すれ違いざまわざとらしく肩をぶつけてきた。

 でも体重差で、むしろ自分が跳ね飛ばされてよろめいた。それでも、無理した態度でズンズン階段を降りていく。

「………………」

 らせん状の階段を三階から二階に降りるとき、顔が向かい合った。

「信じられない……」どす黒い怒りのオーラを全身にまとったリンは押し殺した声で言った。

 二階から一階に降りるときは「ありえない!」と目頭を押さえながら小さく叫んだ。


 帰り、リンはひと言も口をきかなかった。

 本当に、ただのひと言も。

 港で切符を渡したときも、不機嫌そうにひったくっただけだった。

 船の中では、俺の前の前の列のシートに座り、窓の外の暗い海をぼんやり見ていた。話しかけても完璧に無視した。

 町に戻ってから、「なあ。夕飯でも食っていくか? なんでも好きなモンおごってやるぞ」と俺は声をかけたが、首をゆっくり振っただけで何も答えなかった。

 そのときにはもう、怒っているというよりも、脱力しきって、放心しているように見えた。

 結局、どこにも寄らず、薄暗い夜の町をバイクで走ってリンを送った。

 山の手の土の匂いのする夜道。

 花火大会の日に送った小さな公園。

 エンジンを切った。

 秋の足音を感じさせる森閑とした空気が公園に満ちていた。

 リンは静かにバイクを降り、のろのろとヘルメットを脱ぐと、そのまま無言で去ろうとした。

 立ち止まり、うつむき、顔を上げ、振り返り、

「……わたしの気持ち、とっくに気づいてくれてると思ってた」

 泣き出す寸前の震える声。

 苦しそうな笑顔で。

 何も言えなかった。

 リンは駆け出した。

 その背中が消えてもしばらくの間、俺は動けなかった。

 ずいぶん経って、大きく息を吐いてから、エンジンをかけた。

 リンの気持ち。俺に対する好意。そんなもの、とっくに気づいている。

 だけど、俺はそれを真に受け、本気にするわけにはいかない。

 それは、『本当』の好きじゃないのだから。


 ◆


 こうして、妹みたいに思っていた女の子との夏が唐突に終わった。

 俺たちはそれからぱったりと会わなくなった。夏休みも終わり、連絡先も知らず、会いようがなかった。

 そのうちに、俺も大学の授業が始まり、リンと遊ぶのにかまけて休んでいたバイトを再開した。

 夏休みのためにと、春からずっとバイトして貯めた金もリンと遊ぶのですべて使い果たし、生活のためにも働かなければならなかった。

 慌ただしい日常に飲み込まれ、日々のやらなくてはならないことに追われた。

 俺は再び孤独になった。

 季節はめぐり、風は冷え、秋はどんどん深まっていった。

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