大人になった俺たち
通学路の大通りに面したイタリアンレストランに入った。中学生時代は、背景でしかなかった店だ。
「ここ、ずっと入ってみたかったのよ」
「こんなとこあったんだな」
小ぢんまりとした感じのいい店で、サラミやキッシュ、自家製ピクルスが上手に盛られたオードブルや、香辛料とハーブの効いたチーズリゾットが絶品だった。
「大当たりね」とシノが笑った。
「こんな穴場の前を、毎日登下校していたなんてな」
普段、酒はほとんど飲まないが、せっかくだからと白ワインで乾杯した。よく冷えたフルーティな白ワインだった。バイクだけど、どうせここまでも押して歩いてきた。
「……それにしても、シノはいつもいきなり現れるな」
「待ちぶせしてたからね。タキくんのこと。あのときも、今日も」
「ぶっ」とワインを噴き出しそうになった。
「うそ。冗談。グーゼンだよ。あのときも。今日も」
シノはクスクス笑う。
「……はは」冗談キツイぜ……。
「タキくんバイク乗ってるんだね。かっこいいよ」
「ああ。カッコいいバイクだろ?」
「ううん。タキくんが」小首を傾げてにっこり。
「ぶっ」とまたワインを噴き出しそうになった。
なんでこの子は昔から俺をいじってくるんだ。それも、実に余裕しゃくしゃくと。
「タキくんこそどうしたの? 中学校になんて来て」
「あ、ああ」と俺はしどろもどろに答えた。「久しぶりに近くに来たもんでさ。なんとなく足が向いて」
「だよね。タキくん、いま大学の近くに住んでるはずだもんね。隣町の」
なにげに俺の個人情報を把握しているシノに、またもドキッとしてしまう。
「そういうシノは?」
「うん。ちょっと学校に用事」
「あれ? でも教育実習はもう終わったんだろ?」
「いま大学夏休みで帰省しててね。仲良かった先生に会いに来てたの。実習期間は忙しすぎてぜんぜんゆっくりできなかったから。ほら。音楽のタカノ先生」
シノにピアノを聴かせてもらったときの、あの音楽教師だ。
「ところで」とシノは言った。「どうしてタキくんが教育実習のこと知ってるの?」
「あ? ああ……妹に聞いたんだ」なんとなくリンのことは言いづらい。
「タキくんに妹さんなんて居ないでしょ。たしか」
「……うん、そう、友達の妹」
「なんて子?」妙に鋭くシノは突っ込んでくる。
「友達の友達の妹だから、詳しい名前までは……」俺は苦しい言い訳。
「ふーん」とシノは意味深な笑みを浮かべる。
さすがに今は前髪も切っていて、目元は隠れていない。いかにも上品な女子大生という髪型だ。シノの印象が昔と全然違う一番の理由はそれだろう。
シノは実習中すごい人気だったってリンが言ってたけど、確かに今のシノは華がある。顔かたちもさることながら、身にまとった色気というか、全身すみずみにまで女としての意識が漲っていて、それがひとの目を惹きつける。
リンやフジムラアヤメのような、選ばれた人間だけが持つ圧倒的な美しさじゃない。もっと、身近で、親しみやすい美しさだ。
そのあと俺たちは、やっぱり通学路の途中にある小さなショットバーに入った。夕食はシノが誘ってくれたから、二軒目は俺が誘った。子供のころ好きだったゲームのタイトルと同じ名前で、昔から気になっていた店だ。
その時にはもうすっかり夜になっていた。
「なんか、中学校のころ、毎日通っていた道にあるバーに入るなんて、不思議な気分ね」
「俺たちもオトナになったもんだな」
カウンターに並んで座り、ちんっとグラスを当てて笑いあう。
ほどよく抑えられた照明が心地いい。店は、表から見る印象より奥行きがあった。静かなジャズピアノが流れている。ビル・エヴァンス。
俺は、チャイナブルーというカクテルを頼み、シノも「私もそれで」と言った。
「教育実習、どうだった?」
「もう大変だったよー。緊張したし、ほとんど寝られなかったし」
「中学生、どうだ?」
「もうね。別の生き物って感じ。私たちとは違う世界に生きてる」
そうだろうな。自分をかえりみても。学校と、塾と、テレビと、ゲームだけが世界のすべてだったあのころ。
「あの子たちにとっては、今という時間が永遠なんだろうなって思う」
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