夕暮れの母校

 当時の俺の家から中学校まで、毎朝歩いて三十分近くかかっていた。

 その道をバイクで走ると、びっくりするくらいあっという間だった。

 道は、記憶よりもずっと狭く感じた。文房具屋と駄菓子屋とたこ焼き屋は健在で、遠目に見たたこ焼き屋のおばちゃんは、白髪が少し増えたように思えた。

 校門前の懐かしい坂を一気に駆け上がる。春は桜が綺麗な坂道だ。

 一瞬迷ったが、そのままバイクで外来用の駐車場に入った。夕暮れの駐車場はがらんとして、白い乗用車と水色の軽自動車が止まっているだけだった。

 バイクを止めてエンジンを切り、オレンジ色に染まった校舎に近寄った。カナカナカナと、ヒグラシが鳴いていた。夏休み期間の夕方ということもあって、静かだった。学校のような場所にひとが全然居ないと、余計に静けさが増す。


 その日、お母さんと出かける用事があるというリンといつもより早く別れた俺は、なんとなく、母校であるこの中学校に来てしまった。

『吉野先生、六月ごろに教育実習でうちの学校来た』とリンは言っていた。『キレーなひとで、男にも女にもすごく人気あったよ。ばかな男子が、「中学校のとき好きなひと居ましたかー」って聞いて』

 じっと俺を見る。

『……アマイロノカミノオトメの話、してた。好きな男の子が、いつも放課後に音楽室でゲームしてたから、ピアノを聴いてもらいたくて死ぬほど練習したんだって。それで、やっと聴いてもらって、いい雰囲気になったけど、あたまがへんになるほど緊張して、気持ちは伝えられなかったって。恥ずかしそうに頬染めちゃって。……はいはいそうですか、って感じだよね』


 さすがに校舎に入る気にはならず、グラウンドを横切り、体育館の脇を通り、プールを見上げ、中庭や自転車置き場なんかをなんとなく一周してから、バイクに戻った。

 三年間、散々通った場所なのに、卒業してから来ると、自分がすごく場違いな存在に思えた。

 ハンドルに引っ掛けておいたヘルメットを取る。 

「タキくん」

 いきなり名前を呼ばれ、驚いて振り返った。

「なにやってるの?」

 見ると、紺のふわっとしたレーススカートに、品のあるライトグレイのVネックニットという女の子が、夕日の中に佇んでいた。なかなか居ないほど髪の美しい子で、まずそこに目が行った。

 その子は口元に淡い笑みを浮かべ、ふっと一度視線を下げ、一拍置いてから、もう一度上目遣いに俺を見た。じっと俺の言葉を待っている。頬が紅い。夕暮れの光のせいだろうか。

 記憶をたどるが思い出せない。

 いや、もちろん、ひとりだけすぐ思いあたった名前があるが、いくらなんでも、その子といま、ここで再会するなんて、あまりにドラマチックすぎる。だいたい見た目も別人だ。

 と思っていたら、その子が、「はあ」と諦めたような顔でため息をつき、おもむろに自分の髪の先をつまみあげ、目元に垂らして「ほれ」と顔を半分隠した。

 思わず息を飲む。

 うそだろ。本当に今、ここで会うなんて。

 そんな俺の顔を見て、シノは満足そうに、

「ひさしぶり」と言った。

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