サナギと蝶

 シノは落ち着いた顔でイヤリングをいじりながら言った。

「今の中学生ってすごいわよー。カレシカノジョなんて居るのは当たり前。中一くらいでも、やることもう済ませちゃってる子、たくさん居るし」

「そうなのか……?」

 ふいにリンの美しい姿が頭に浮かんだ。俺は頭を振って、その妄想を追い出した。

「私たちの中学生のころって、男の子と女の子が仲良くなんてできなくて、みんな、なんか初々しかったよね。付き合うなんてもってのほか」

「目が合ったり、身体がちょっと当たっただけで緊張してな」

「……好きな男の子を遠くから見ているだけでドキドキして……」シノが遠い目をして言った。「毎日、そのひとの姿見られるだけで、学校行くの楽しかった」

「へ、へえ」俺は、グラスを引っつかんで口に当てた。

 きたっ。いきなりきたっ。

「タキくんは好きなコとか居た?」

「どうかな……俺なんて、ほんとガキだったからな。肉体的にも、精神的にも。まあ、中学生くらいのころって、女の子のほうがオトナだよな。肉体的にも、精神的にも……」上ずった声でぺらぺらぺらぺら。

「タキくん、お正月の同窓会、来なかったよね」相変わらずシノの話は飛ぶ。

「興味ないからな」

「フジムラアヤメ……覚えてる?」

 いきなりシノの口から出た名前に俺は息を飲んだ。

「同窓会で会ったわよ」シノは俺の反応をうかがうように言った。

「へえ」動揺を悟られないように短く答える。

「私、フジムラって大嫌いだった」

「え?」

「あの子、めちゃめちゃ性格悪かったからね」

 その言葉に俺は驚いた。明るく快活なフジムラアヤメは、男女問わず誰からも人気があるとばかり思っていた。

「男の前と女の前じゃ別人だったのよ。陰険だし、他人を見下すし、自分は可愛くて、いい思いしてあたりまえって感じだったし」

「……そうなのか」

「私もすごく意地悪されてた」

 自嘲気味にシノが笑う。

「………………」

「あの子、クラスの地味な男の子に愛想よくして、自分の可愛さ確かめてたって話もあったのよ」

「……もうフジムラの話はいいよ」

 フジムラアヤメの本性なんて今さらどうでもいい。でも、フジムラの悪口を言うシノを、それ以上見たくはなかった。

 薄いグラスを口に当てる。酸味のある青い液体を口に含む。

「じゃあタキくんの話しよっかな」

 楽しげにそう言うと、シノは首を曲げて俺の顔をのぞき込んだ。

「タキくん、変わったねえ」細部まで観察するみたいにまじまじと。落ち着かない。「……すごくオトコらしくなった」

「こ、高校になってから、成長ホルモンが一気に分泌されたみたいでさ。背も高くなったし、筋肉もついたし、顔つきもなんか変わってさ」

「タキくんと同じ大学行ったコから、噂は聞いてたのよ。タキくんが化けたって」

 クスクス笑う。昔のシノを思い出させる笑い方だ。

「化けたって、おばけか俺は」

「中学校のころは、カワイイ感じだったのに」なぜか不満そうにシノは唇を尖らせた。「こんなに立派になっちゃって」

 シノは俺の肩から二の腕、肘、そして手の甲までをすっと撫でた。ごく自然な、さりげない、大人の手つきだ。いきなりのその大胆な仕草に身体が硬直する。

「なんか、裏切られた気分」とシノ。

「裏切る?」

「私の知ってるタキくんじゃなくなってるんだもん」

 シノは水色の宝石のようなカクテルをひと口飲んだ。細い首の喉元がコクッと微かに動いた。「ちょっと悔しい」

「また、そんな、コメントしづらいことを……」

 動揺を悟られないように明るく言った。

 シノに撫でられた腕は、釘で打ち付けられたみたいにピクリとも動かない。

「男の子って変わるよね」

「じ、十代なんて、サナギみたいなもんだからな。そりゃ変わるよ」

 俺はグラスの底に残った酒をくっと飲み干した。この店暑いな。ちゃんとクーラー効いてんのか。

「でも私だって、キレーな蝶になったでしょ?」

「自分で言うかぁ?」

 まったくその通りとはいえ、少し呆れる。

「女はね」シノは冗談っぽく。「羽化してからが勝負なのさ」

 髪の毛の先を右手と左手でそれぞれつまみ、くるくるまわす。そんなシノの綺麗な髪を見て、俺は言った。

「もう、あの髪型してないのな」

「あの髪型?」

「ほら。中学の時の」長い前髪で目元を隠す。

「ああ」とシノは眉を上げて苦笑した。「私ね、中学生のとき、自分の顔が大嫌いだったの。特に目が。だから、少しでも隠したくてあんな髪型してたんだよ。髪だけは少し自慢だったから」

「あっちのほうが可愛かったよ」と俺は新しく頼んだジントニックをちびりと飲みながら言った。

 考えなしに俺がそう言うと、シノは隣でうつむいて真っ赤になってしまった。その、ウブな反応にびっくりした。さっきまでの余裕のある佇まいが嘘みたいだ。

「……中学生の私なんて……地味で暗かったでしょ……」

「いえ。その。ピアノの妖精さんみたいでステキでした」思わず丁寧語。

「ありがと」シノは恥ずかしそうに。

 いつもだったら、女の子のこういう思わせぶりな態度に「勘違いするなよ」と自分に言い聞かせるところだ。フジムラアヤメのとき、痛い目見て思い知った。ましてや、相手は妙に俺をいじってくるシノだ。でも。

 ――シノさん、中学生のころタキくん好きだったんだよ――

 リンからそんなことを聞いたあとだけに、どうしても意識してしまう。これから俺たちどうなるんだ。頭に血がどんどん昇っていく。

「タキくん」

 シノはテーブルの上に置いた俺の手を白い指先でそっと撫でた。

 同じ仕草でも、さっきのような、色っぽい印象は受けなかった。ピアニストが鍵盤に触れるような、ごく自然な動作だった。

「そういうところはちっとも変わってないよね」

 そう言って微笑むシノは、なぜか、ちょっと悲しげに見えた。

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