ナンパ

「たまには別の場所に行きたーい!」とリンにせがまれた。

 ずっと探している品物があるらしい。確かにいつものショッピングセンターじゃ品ぞろえに問題がある。それで珍しく、駅四つほど離れた繁華街で買い物することになった。

 山の町や海辺の街よりもずっとにぎわった繁華街で、大きな駅には、駅ビルやデパート、大型雑貨店、高速バスのターミナルにシティホテルまである。特急だって停まる。

 リンのほうはお母さんの車で現地に行ってるという話だ。何か家族の用事があるらしい。途中で母親とは別れ、俺と落ち合うことになっている。

 今日は俺も電車を使った。駐輪場があまりないくせに、路駐するとあっという間に違反シールを貼られる、バイク乗りにとって厄介なエリアなのだ。

 大勢のひとに混じって電車を降り、リンとの待ち合わせ場所を目指す。

 うんざりするくらい混雑した中央出口を避け、比較的手薄な東出口の改札を出た。ショートカットのつもりだった。でも、気づいたらぐるりと遠回りさせられて、現在地を見失ってしまい、自分がどこに居るのかまったくわからなくなった。

 東京とか大阪には迷宮のような駅があると聞くが、それと比べたらさすがにショボいであろう駅で迷子になるとは……。俺もどれだけ方向音痴なんだ。絶対に大都市には住めない。

 やっとのことで待ち合わせの『拍手するネコの像』に辿り着くと、ベンチに座ったリンが小さくなってうつむいていた。表情が固い。

 すぐにその理由がわかった。

 隣に腰掛けた若い男が、ニヤつきながら気安くリンに話しかけている。

 ナンパだ。リンがナンパされてる。

 リンは、その男からの声をかたくなに無視している様子だった。虚ろな顔で下を向き、閉じた膝の上に両手を置いて、叱られている子供みたいに身体を硬直させている。

 金に近い明るい髪の浅黒い男は、一生けんめい無視するリンの態度をまったく意に介さず、チャラい笑顔で一方的に話し続けていた。

 俺もリンに突然声をかけた身だから、あまりエラそうなことは言えないけど、こうして客観的に見ると、ナンパってのはなんてみっともないんだろうとウンザリする。特に、嫌がってる女の子に、空気も読まずしつこくするのは。

 今日のリンは、白いフリルのオフショルダーにデニムのショーパン、足元はサンダルという露出度の高い服装だった。肩も足も出てる。

 なんというか、遠くからでも、リンが可愛く見える理由がわかった。骨格からして普通とは違う。なにより脚の美しさに驚かされた。すとんとした小さな膝と、柔らかな曲線、引き締まった足首。リンの脚がこんなに綺麗だったとは。

 おっと。脚に見惚れてる場合か。早いところ助けてやらないと。

「おもしれーことやってるな」

 俺はあえてのんきな調子で言った。

「あ?」と男が知性の感じられない顔で俺を見上げる。

「タキくん!」

 リンがとてつもなく嬉しそうに俺を見た。感情のリモコンで『笑顔』というボタンでも押したかのように、いきなり切り替わった。

 俺は二人の前に立つと、なるべく余裕の態度で、ひらひら手を振った。

「あんたもういいよ。どっか消えてくれ」

「なにオマエ?」

 男はどう猛な顔で俺を睨んでくる。

「知らない相手をおまえ呼ばわりかよ。見たまんまだな」ため息。呆れて思わず口元が緩んでしまう。でもたぶん目は笑っていない。「俺はその子の……」

 アニキだよ、と言おうとした。

「カレシ来たからあっち行ってよ!」その前にリンが強気な様子で鋭く叫んだ。

「カレシ?」男がバカっぽく繰り返す。

 パッと立ち上がったリンが、驚く俺の腕に抱き着くように背中に隠れる。

 チャラい男ものっそり立ち上がった。

 浅黒い身体はかなり筋肉質で、黒の半袖シャツはワンサイズ小さいみたいにピチピチだ。タトゥーの入った太い腕を見せつけるかのように組んで、俺とリンを露骨に見比べてる。

 俺もそんな男を見つめ返した。

 なるべく冷静に。

 相手の小さな目のさらに奥を見通すように。

 俺の腕をつかむリンの力が強くなる。

 男は、薄っぺらな笑いを浮かべると、両手の中指を突っ立てた品のない仕草をして、酔っ払いみたいに大きく左右に揺れながら去っていった。

 犬でも追い払うように、しっしと手を振ってやった。

 首を曲げ、自分にぴったりくっ付くリンを、苦笑しながら見下ろす。

「おまえ、なに声かけられてんだよ」

「……ごめんなさい」

 リンはついさっき男に威勢よく叫んだのが嘘みたいにまた小さくなった。俺の腕をきつく握ったままだ。さぞ怖かったのだろう。とくとくとく。小動物のような鼓動が腕越しに伝わってくる。

「それに……」カレシって。アホな男追い払うためかもしれないけど。

「……いやいやいやいや。なんでわたしが謝ってるんだっ」リンは、思い出したかのように急に顔を上げた。「タキくんが遅れて来るからこんな目にあったんでしょ!?」

「う」

「もうっ。おそいよっ!」

「悪い。久しぶりに電車なんか使ったもんで、ホームで道に迷ってさ」

「はあ? 迷う? 電車降りて中央出口の階段降りるだけなのに、いったいどこをどうしたら迷えるの!?」

「ショートカットしようと思ったんだけど」

「方向音痴はショートカット禁止!」

「……はい。すいません」

 俺はしょんぼり謝った。リンの言う通り、ショートカットを試みて、時短になったためしがないのだ。実は。


 蒸し暑いコンコースからクーラーの効いた地下街に降り、人ごみの中をふたり並んで歩く。密着していた身体は、リンが我に返るとパッと離された。

「……なんで男ってナンパとかするんだろ……」

 歩きながらリンが唐突につぶやいた。

「おまえと仲良くなりたいからだろ」

「わたしの気持ちはどうなるの? 知らない男にいきなり声かけられて、なんにも嬉しいことなんてないよ?」

「むう。耳が痛い。俺だってそのひとりだったからな」

「タキくんはナンパ男なんかとはぜんぜん違うよ」

「そうか?」

「わたしが勝手にバイクに座ってたわけだし」

「でも、最初話しかけたときは無視してたじゃねえか」

「そりゃ最初はね。怖いよ」とリンは素直な表情で俺を見上げる。「でも、すぐ怖くなくなった。イヤらしい感じ全然しなかったし」

「それは、そうだな。へんな下心はなかったぞ。その点は自信ある」

「でしょ? さっきのヤツとかジロジロわたしのカラダ見てたんだよ。やらしー目で」

 あーいやだいやだ、と自分の身体を抱くようなポーズで、左右にふりふり身体を揺らす。

「夏祭りの時のお前って、なんかそういう変な目で見ちゃいけないような神聖な雰囲気だったんだよ」

「しんせーなふんいき」リンはたどたどしくおうむ返し。

「例えるなら、そうだな…………キレイな夕焼け空見てる時みたいな感覚かね。胸があったかくなるような。ちょっと切なくなるような。そういう、汚しちゃいけないものみたいな」

「も、もう……!」

 リンがいきなり俺の肩にパンチしてきた。このこのこの、と軽く三発。そして、恥ずかしそうに小声で「……なに、恥ずかしいこと、言ってんの……」

「ちょっとクサかった?」

「だいぶ」

 うーむ。やっぱりか。

「タキくんてさ」迷子の子供みたいな雰囲気でリンが言った。「すぐ恥ずかしいこと口走るよね」

「なんだと」

「歯が浮くようなセリフが得意というか。物語の登場人物みたいなことサラッと言うよね」

「そうかな」

 自分じゃそういうつもりはまったくないんだが、あらためてリンに指摘されると、なんだか妙に恥ずかしくなってしまう。シノもそんな風なこと言ってたっけ。

「でも、そういうとこ、いいと思うよ」

 リンはそう言ってニッコリ笑った。

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