島へ
真昼のフェリー乗り場は不思議な静寂に満ちていた。半端な時間だからか、島に渡る人数も多くはない。
ふたり分の切符と、コーラのペットボトルを買って、ベンチに座るリンのところに行く。
窓の外は光が圧縮されたような凄まじい白さだった。眩しさに慣れた目には、日陰になっているところはひどく暗い。そのギャップが静けさを作っているように思えた。時間の流れが、引き伸ばされたように、変にゆっくりになってしまっている気がした。
リンは、そんな光と影の境目にぼんやりと座っていた。
生気がない姿は、途方もない執念で造り出された美しい人形のようだった。思わず見惚れてしまう。
俺が近づくと、リンは顔を上げた。命を吹き込まれたように、顔に生気が宿る。
キャップを緩めたコーラを差し出すと、リンは「ありがと」と言ってはにかんだ。
ボトルを受け取る時、右手に付けたラブラドライトのミサンガが見えた。この前買ってやったヤツだ。
「疲れたろ?」
リンはふるふるっと首を振った。綺麗な黒い髪が左右に揺れた。
「ずっと太陽にさらされてるし、風も受けるからな。バイクで長い距離走るの、思ってる以上に疲れるんだよ」
だから、上着を持ってこさせたのだ。その濃いピンクのパーカーは、折りたたまれてひざの上に乗せられている。
「怖くなかったか?」
「ううん」とリンは笑った。「全然。タキくんの運転、安心だもん」
リンは、飛び抜けて綺麗な見た目ばかり目立つけど、こういうところが凄く可愛いと思う。こんな素直さは、容姿に関係なく、女の子誰にでもあるものじゃない。
「そりゃ頼もしいな。お前、けっこうバイク合ってるんじゃないか?」
「え。そうかな?」と嬉しそうな顔。ご機嫌にコーラをくぴくぴ。
「そのうちバイクの免許取るってのもアリかもだな」
「わたしでもバイク乗れる?」
「乗れる乗れる。リンより背が低い女の子で、免許取った子知ってるぞ」
「………………」
「沖縄に行ったときたまたま出会った子なんだけど、飛行機の時間に遅れそうになってて、俺がホテルから空港まで送ってあげたんだ。那覇って渋滞ひでーからな。その、たった三十分くらいでバイクに目覚めたらしくって、家に戻ってからすぐ免許取って、バイクも買ったって手紙が来たよ」
「………………」
「聞いてる?」
「………………それで?」
「白のバイク買ったんだけど、それがまた似合っててさ。カッコよかったよ。お前にも」
白いバイクなんて似合いそうだ、という俺の言葉は、
「その子、いくつ?」という突拍子もない言葉に遮られた。
「え? いくつかな……。たぶん、ちょっと年下くらいだと思うけど」
「あっそ」
聞いてきたくせに、物凄くどうでもよさそうだ。
「男ばっか乗せてるって言ってたけど、けっこう女の子も乗せてんじゃん」鼻で笑うようなはすっぱな口調。
「……おまえ、よく覚えてるな」祭りのとき、俺が言った台詞だ。
「タキくんが言ったことばは、一字一句忘れないよ」
「ああ、そう……?」
「わたし、免許はいいや」普段の八割くらいの早さで、静かにリンは言った。「タキくんの後ろに乗るから」
タキくんの後ろ、と言われて、さっき唐突に抱き着かれたことを思い出してしまった。
細くて。小さいのに。ちゃんと柔らかかった。正直、ドキッとした。
それを思い出すと、一度は落ち着いた心臓がまたバクバク言い出してきた。
「俺トイレ行ってくるわ」
洗面所に向かい、バシャバシャ顔を洗った。日に焼けて火照った顔に、冷たい水が気持ちよかった。
鏡の中の俺を見る。
何ドキドキしてんだ、俺は。あの子は十三歳で、妹みたいな子だろ。
リンは妹。
リンは妹。
唱えながら、何度も顔に水を叩きつけた。
乗船アナウンスで待合所を出ると、青とシルバーの俺のバイクは、夏の光を受けて眩しく輝いていた。
空には相変わらず白い山脈のような入道雲。
生ぬるい風が吹いて、タンクの上の俺のグローブが飛ばされる。
リンが素早く走り、それを拾ってくれた。
火傷しそうなほど熱いシートにまたがってエンジンをかけた。
旗を持った誘導係のところへドコドコと走らせる。
一速にギヤチェンジして、橋のように架けられた金属板の段差に気を付けながら、ゆっくりフェリーに乗せた。
ふたり分のヘルメットを持ったリンは、のんびりと歩いて船に乗り込む。
係員が手際良くバイクをロープと金具で固定した。
顔を合わせた俺とリンは、お互いに笑みを浮かべながら細い階段を上って、客室へ向かう。夏らしい開放的な恰好をした女子大生っぽい三人組が目についた。待合室では見かけなかったが、どこかに別の場所に居たのだろう。
「おー」
外に出るなり、リンが歓声を上げた。
白いカモメが船と並走するように何匹も飛んでいる。
海の上に真っ白な泡の道を残しながら、いつのまにか港を離れていた。左右に揺れながら少しずつ船は進み、海鳥が異様に並んだ防波堤の間をするすると通り抜ける。
俺とリンは、デッキに並んで、少しずつ遠ざかる街を見つめた。
「気持ちいーねー」
「船乗ると、なんかテンション上がるよな」
潮風が強く吹いていた。リンの長い髪がデタラメに舞い上がった。
リンはポケットからピンク色のシュシュを取り出すと、暴れる髪を苦戦しながら両手でまとめ、手早くポニーテールにした。そんな女らしい動作は、結構ドキッとさせられる。
腕を上げた時、裾がめくれてチラッと見えたぺたんこのお腹が可愛かった。
船の進行方向には、肉眼でもはっきりと、緑のかたまりみたいな島が見える。
時々、風に舞いあげられた水しぶきが船の中にまで飛び込んでくる。
俺はリンの前に立ち、水がかからないように壁になった。
「ありがと」風に紛れそうなかすかな声。
さりげなくやったつもりだったが、リンはめざとく気づいたらしい。
「その髪型、似合ってるよ」
照れ隠しのような気持ちで軽く言った。ポニテにすると、リンのツンと尖った鼻やシュッとした細い口まわりが際立って、さらに大人っぽく見える。
リンは目をまん丸に見開いて俺を見た。と思ったら、時間差でいきなり顔がボッと赤く染まった。
恥ずかしそうに俺から視線を逸らすと、モジモジしながら、
「……ずっとこうしよっかな」
そんな風に言うリンはとても可愛いと思ったけど、さすがに今度は口に出さずに止めておいた。どうも今日は、俺のちょっとした言葉に対するリンの反応に戸惑ってしまうことが多い。
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