バスとバイクと入道雲

 夏休みもいよい終わりに近づき、リンを海に連れていってやる約束の日が来た。

 家の近くの小さな公園まで迎えに行くと、待ち合わせよりかなり早く着いたってのにヘルメットを持ってもう待っていた。そして走ってくる俺のバイクを見て、心底嬉しそうな顔で駆け寄って来た。

 今日のリンは、レースがあしらわれた黒のキャミソールに、下はぴったりとしたラインのデニムという恰好で、ハリウッド映画に出てくる若いヒロインのようにカッコいい。その上に、濃いピンクのパーカーを羽織っている。

 街を走っているとき、商店の大きなガラスに俺たちの姿が映った。青いバイクにまたがったふたりの姿を見て、我ながらホレボレしてしまう。誰がどう見たって、リンは中学生には見えない。あんな子をバイクに乗せたいとバイク乗りなら誰もが願うような女の子だった。

 八月も終盤だったが、気温は余裕で三十度を超え、真っ青な空はまだまだ夏そのものといった天気だ。止まるとアスファルトから湯気でも立ちそうなほど熱い。

 夏のバイクって、信号待ちが地獄なんだよな……。乗らない人間は、ベストシーズンくらいに思うんだけど。

 太陽がギラギラ照りつける市街地を一気に抜け、ひたすら海を目指す。

 俺ひとりなら渋滞する車の間を縫うようにしてさっさと進むところだが、後ろにリンを乗せてるだけに、乱暴な運転はできない。

「街を抜けたら少しは涼しくなるから、それまでは我慢しろよ」

 あごを伝わる汗を肩でぬぐいながら、後ろのリンに声をかけた。

「わたしなら大丈夫だから、ぜんぜん気にしないで」とリンは笑った。

『島』へ渡るフェリー乗り場は、北の臨海道路の先にある。

 そこまでは、信号の少ない綺麗な四車線の快走路が続いていく。

 ようやく、快適に走れる道に出た。

「あっ。海だ! うーーみーー!」

 背中でリンが叫ぶ。

 流れのいい湾岸道路を走っていると、それまで続いていた松林が唐突に途切れ、目に飛び込んでくるように光り輝く夏の海が現れた。

「うーーーみーーー!」

「わお。タキくんが叫ぶとはっ」

「夏の海だぜ。クールな俺も叫ぶってもんだ」

 首を少し傾け、後ろのリンに言った。風のうなりと、バイクのドコドコという排気音のせいで、どうしても声がでかくなる。

「うーーーみーーーー!」

「うーーーみーーーー!」

 俺たちは笑いながら一緒になって叫んだ。

 空には、怖いくらい立体感のある入道雲。

 道路は日を照り返し真っ白だ。

 ひたすら真っすぐの道の彼方は、陽炎のようにゆらゆら揺れている。

 羽ばたくカモメの形をした道路照明灯が、等間隔に重なり続く。

 青々とした松原と緩やかな弧を描く砂浜が遠くまで伸びていく。

 突然、意味もなく大笑いしそうになった。

 なんて馬鹿馬鹿しくも完璧な夏の景色だろう。

 広い二車線をのんびり走っていたバスに追いついた。後ろから見ただけで、行楽客をぎっしり乗せているとわかる。お盆はとっくに過ぎてるが、それでも粘って海水浴に行く客と、この先にあるリゾートプールの客だろう。

 おーおー。浮き輪なんて持ってすっかり浮かれてやがる。

 右ウィンカーを出して追い越し車線を走り、バスに近づいた。

 大勢の乗客の視線がこっちに集まるのを感じる。

 しばらく並走した。

 同じスピードで走ってるとお互い止まっているように見える。

 バスの中には子供たちや女の子のグループがたくさん乗っていた。まじまじと見られているのを感じる。

 左手を突き出し、ぐっと親指を立てた。

 それを見たバスの乗客が、一斉に同じポーズを取った。

 俺は、左手で軽く敬礼すると、スロットルをまわして速度を上げ、一気にバスを抜き去った。

 そのまま左手を水平に伸ばし、また親指を立てる。

 バックミラーの中に、苦笑するバスの運ちゃんの顔と、大きく手を振る子供たちの笑顔が見えた。

 フフフフ。

 ばこちんっ。いきなり後ろからヘルメットを叩かれた。

「……もうっ! ばかばかばかばかーー! お調子もの! 恥ずかしすぎる! なんでいきなりあんなことすんのっ!?」

 リンが耳元できんきんわめく。

「なんだよっ」と俺も肩越しに叫んだ。「バイクに乗ったカッコいー兄ちゃんに憧れた子供たちが、将来バイク乗りになったら、ウレシイじゃねえか!」

 五秒ほどの沈黙。

「ばーーーーーーか!」

 ごうごううなる風に負けないくらいの大声でそう叫ぶと、なぜかリンは、いきなり俺の背中に顔をうずめ、身体全体を押しつけるようにして、ぎゅうっと強く抱きついてきた。

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