無敵の女

 険悪なムードではあったけど、それでもカスヤはちゃんとメットを貸してくれた。

 俺はいつものモール横の大池公園でリンと待ち合わせ、それを手渡した。

 会って俺の顔を見るなり、リンは目ざとく、「なにかあった?」と聞いてきた。

 よせばいいのに、つい俺は「ちょっとひとと揉めてな。どうも俺は他人から嫌われるタイプらしい」と言ってしまった。

 それを聞いて、リンは急に考え込んでしまった。

 リンはずっと黙って、俺が言ったことを考えているように見えた。

 屋根のある石造りの展望スペースからは、公園全体が絶妙な角度で見通せた。若々しい枝葉を伸ばす大木や、遠くに見える緑の山脈、勢いよく盛り上がる純白の入道雲。

 アシのそよぐ青い池には、指先でそっと撫でたようなさざ波が寄せ、それらすべてが、乾いた夏の光で輝いていた。

「あのね」ずっと黙っていたリンが、やっと口を開いた。「わたしも……ひとからよく嫌われる」

 思わずリンを見た。

 リンは手に持ったコーラの缶をじっと見ている。

「そうなのか?」

「うん。まあ。えーと。ひょっとしたら、ちょっと、イジめられてる? なあんて」

 リンはおどけるように言ったが、俺の顔は引きつったように真顔になった。

「……おい。それ、ホントか? どんなこと、されたりするんだ?」

「…………………………」

 リンからの返事はない。

「……あ。いや。いいんだ。言いたくなかったら別に」

 なんとなく俺たちは休憩所を出て桜並木を歩いた。

 照りつける日差しは、頭上の濃い緑が遮ってくれている。

 左手には夏の池。

 光が踊る水面を滑って来る風が心地いい。

「…………無視が多いかな。一番は」

 いきなりリンはぽつりと話し始めた。

「……あとは、もの隠されたり? と言っても、証拠がないから考え過ぎなのかもしれないけどね」

「無視? 物隠す? ガキかよ」

 と言って、あそうか、中学生か。と思い直した。

「…………それと」のどまで出かかった言葉を、出そうか出すまいかためらってるという顔で、リンは俺を見た。口はへの字に、眉毛はハの字になってる。

「……言ってみろ。聞くよ」

 俺はなるべく柔らかい笑顔を作って、助け舟を出した。

「……『年上の男に遊ばれてる』とかって言いふらされてる」

「……どういう意味だ?」

「なんかね。ほら、タキくんも見たモールの男。あの男がそんなこと言いふらしてるっぽい。年の離れた男と……その、色々、やってるとか」

 あはは、とリンは元気のない顔で無理して笑った。

「俺のせいで、そんなことになってんのか?」

「タキくんのせいなんかじゃないよ」

「……リン。俺、そいつと話してやろうか?」

「ありがと。ボコボコにしてくれるの?」

 リンは妙に嬉しそうに言う。

「しねーよ。暴力はよくない。話し合いだ」

 実力行使はそれがダメだった時だ。

「顔とセリフが合ってないですよ。タキくん」

 リンが上目遣いで言った。

 どうも怒りが顔に出てるらしい。

 そう。俺は頭に来てる。

 ただでさえイジメとか許せないのに、こんな話聞かされて冷静でいられるわけもない。なにより、俺のせいでリンがひどいことを言われてるってのが我慢ならない。

 すーーはーー。すーーはーー。大きく深呼吸した。

 すーはー。すーはー。リンも面白そうに真似をする。

 声の澄んだ女の子は、呼吸する音も妙に可愛く聞こえるな、と感心してたら、怒りもだいぶ落ち着いた。

「でも、夏休みになってよかったかな。学校あってたら、そーいうウワサ、ちょっとメンドくさかった」

 リンが場を取り繕うように言った。

「夏休みがずっと終わらなければいいのに。そしたら学校なんて行かなくていいのに」

 リンのその言葉は、俺にとってなんだか無性に悲しかった。

「……リン」と俺は名前を呼び、目の前の少女をしっかり正面から見据えた。「お前は確かに可愛い。俺が出会った女でたぶん一番だ。でも、見た目だけじゃないんだ。お前のよさってのが他にもちゃんとある。筋も通ってるし、マトモだし、面白いし、頭もいい。だから、変に自分を曲げなくていいからな。学校で誰に何を言われたって気にすんな。そんな連中、放っておけ」

 我ながらいいこと言った。言ったのに、リンは真っ赤な顔で、

「……いま、可愛いって言った」

「え」

「初めてタキくんが可愛いって言った。しかも、一番かわいいって」

「いや、そこじゃなくて……」

 リンの顔が、ストーブに近づけた温度計みたいに下からきゅーっと赤くなった。

 恥ずかしそうにうつむく。

 その反応に驚いて、次になんて言うつもりかを忘れてしまった。

 俺たちはしばらく黙った。

 リンは、ぼんやり下を向いたまま、手だけは落ち着かない様子で延々と髪をいじっている。

 いったいなんなんだ。

 リンをじっと見た。

 リンはちらちら探るようにこっちを横目で見て。

 目が合った。

「可愛いよなあ……やっぱり」反射的に本音が出てしまう。

 ぼん。と小さな爆発音がしそうなほどリンはさらに赤みを増し、髪をいじるスピードが倍速になった。

 もしかして、これ照れてんのか?

 やっぱりコドモだな、と俺はちょっと可笑しかった。

 気が付いたら、リンの耳元の髪が綺麗なお下げに編まれていた。見事なもんだ。

「リンにはリンのままで居て欲しいんだよ」そう。これが言いたかった。

「……こんな……みんなに嫌われてるようなわたしで……?」

「どこがだよ。何度も言うけど、おまえ面白いよ」

 それに、と慌てて俺は続けた。突然リンがくしゃっと泣く寸前のような顔をしたからだ。

「今は色々大変だろうけど、お前が俺くらいの年になるころにゃ、無敵になってるぞ。それだけ可愛くて、頭もよくて、芯がしっかりしているんだ。そうなりゃ、意地悪してくる連中になんて、もう負けやしないさ」

 リンは指で目頭を押さえながら、くすりと笑った。

「むてき」

 その笑顔にホッとする。

 と思いきや、笑ったままの顔に、涙がほろり。

「……まあなんておバカな響き。タキくんらしいですわ」

 すんすんと涙声で笑うリンを見ながら、俺は、成長して大人になったリンは、きっと向かうところ敵なしの美女になるだろうな、と苦笑した。

 そして、今リンの中に確かに存在する、はかなくて大切なものが、なくなって欲しくないな、と思った。

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