嫌われ者

 リンをバイクに乗せてやるためには、ヘルメットを用意する必要がある。

 誰かに借りるのが一番現実的だが、あいにく俺にはろくに友達が居ない(威張って言うことでもないけど)。

 大学には同年代の人間が腐るほど居るが、考え方や価値観のあまりの違いに、まったく仲良くする気にはなれなかった。大勢でツルんでバカ騒ぎするのも、右へならえの思考回路も、弱者に対する無自覚な酷薄さも、何もかもが気に食わなかった。そんな風にまわりが見えた。

 どんどん孤立するイタい俺を心配し、やたらと構ってくるただひとりの物好き。それがカスヤだった。

 長い付き合いだし、お互いバイクに乗ることもあって、以前はよくあちこちに走りに行ったものだ。

 レディース用のヘルメットを借りるあてがあるとしたら、カスヤ以外には居ないだろう。カスヤのカノジョは、夏場、日に焼けるバイクには一切乗りたがらないと聞いたことがある。

 カスヤの恋人もまた、俺たちと同じ高校出身だ。

 ふたりが付き合い始める前から俺はその子のことを知っていた。高三の冬、その子に受験合格のお守りをもらったからだ。

 いつも見ています、という手紙が添えてあった。

 でも、あまり女に免疫がなかった俺は、戸惑ってしまい、何も返事を返せなかった。

 しばらくして、その子の友達の女生徒三人に放課後呼び出された俺は、

「なんで返事してあげないのよ」とクレームをつけられた。

「どこがいいかわかんねーんだよ」

 俺のどこがいいのかわからない、というつもりで言ったその言葉は見事に誤解された。

「なにそれ最っ低」「エラそうに」「あんた何様?」と散々に言われ、やがて俺はクラス中の女の子から嫌われるハメになった。『アマイロノカミノオトメの物語』とはまた違った、甘酸っぱい青春のメモリィだ。

 大学一年の冬、「ついにカノジョができたー」とはしゃぐカスヤに紹介されたのが、まさかのその子だった。

「アイツ、なんでか、タキのことめちゃくちゃ嫌ってる」しばらく経ったあと、カスヤは困った笑顔で言った。「理由はわからんけどね。なんか心当たりある?」

「知らねーよ」

 俺とカスヤがあまり遊ばなくなった理由は、その子の存在も大きい。


 大学のすぐそばにあるカスヤのマンションを訪れた。実家が裕福なカスヤは、家賃の高そうな小奇麗なマンションに住んでいる。

 俺からの珍しい頼みにカスヤは驚いた。そして快く承諾してくれた。でも、やっぱりひととおり説教された。

「タキはとげとげしすぎる」「もっとまわりの人間を大切にしたほうがいい」「自分から壁作ってたら、誰もおまえと仲良くできない」などなど。

 俺は適当に「そうだな。でも、仲良くってそんなに大事か?」と返した。

 カスヤはため息をつきながら、そこがタキらしさなのかもしれないけど、と諦めるように言った。

「久しぶりに昼飯食おうよ」と誘われ、さすがに断るのは悪いと思い、オッケーした。

 シノとの予期せぬ再会を聞いてもらいたくもあった。俺とカスヤとシノは同じ中学校だ。

 せっかくだから、バイクで大学近くの山の中腹にある牧場に行こうと提案した。この街は、そんなものが三十分圏内にあるのだ。

 牧場には、ランチでラム肉を手ころな値段で食えるレストランがあって、以前カスヤと、「いつか行ってみようぜ」と話したことがあったのを思い出した。

「牧場……?」だが、カスヤは露骨に面倒くさそうな顔で苦笑した。「いや、牧場とかはいいよ……。暑いし。どっかそのへんのファミレス行こうよ」

 それからカスヤはモタモタと出かける支度を始めた。

 出る間際になって、急に「ケータイの充電が切れそう」だとか言い出し、しばらくコンセントに繋いで待たされた。ようやく充電も少しでき、俺たちはエレベータで下に降りた。

 ところが、今度はカスヤのバイクのエンジンが、ウンともスンとも言わない。

「おかしいなー」

 真夏の日光にじりじり焼かれながら、ふたりで汗まみれになってカスヤのビッグスクーターを点検した。

「最近全然乗ってなかったからなー」

 あいまいな笑顔で悪びれず言うカスヤに、段々腹が立ってきた。

「もういいからケツに乗れっ」

 結局、俺のバイクにタンデムして行くことにした。

 大学近くの道路はそれなりに混んでいて、車の流れも悪かった。俺よりさらに体格のいいカスヤを乗せてるもんだから、バイクが重く感じる。リンとは全然違う。

 太陽は眩しく、目が開けていられないほどだ。こんな日は、車の少ない快適な山道を走り、芝生の綺麗な牧場に行ったら気持ちいいだろうな、と未練がましく思った。

 排気ガスくさい道を走ってファミレスに向かってると、後ろのカスヤが突然、

「ごめんバイク止めてっ」と叫んだ。

 路肩にバイクを寄せるや、カスヤは、普段ののんびりした動きからは想像もつかない素早さでバイクから飛び降り、ポケットのケータイを取り出した。

「もしもし……あー。外。うん。タキといっしょ。昼飯でもと思って……え? 今から? すぐ? でも……うん。あ、いや。そういうわけじゃないって」話しながら、困ったような笑顔になる。

 コイツがこういう顔をするときは、ろくなことを言いださない。

 案の定、電話を切ったカスヤは、「タキー、すまん!」と突然両手を合わせた。「アイツから緊急の呼び出しっ」

 カノジョからだった。

「なんか、今からふたりでいっしょに昼ごはん食べたいって」

 それが完全無欠の言い訳であるようにカスヤは言った。

 お前が俺とやろうとしていたことはなんだ、と口から出かかった。

 カスヤは自分を、『友達を大事にする義に厚い男』と思い込んでるフシがあるが、その行動原理は常にカノジョ最優先だった。こういうドタキャンも初めてじゃない。

 バイク二台で来てるなら別行動も取れるが、ふたり乗りで来ている以上、俺が家まで送らないといけなかった。昼飯にもありつけず。

 ……他人と一緒に行動するとすぐこれだ。

「ごめんなータキ。久しぶりにいっしょに飯食いたかったけど」

 たいして深くも考えず発しただろうその軽い言葉にムカッときた。

「誘ったのはおまえだろうが」カスヤを見据える。自然、唇に笑みが浮かんだ。本当に腹が立ったとき、つい笑ってしまう癖が俺にはある。「ドタキャンするくらいなら最初から誘うな。うっとうしい」

「うっとうしいって……」カスヤの顔が赤らんだ。「そこまで言うことないだろっ。フツー、友達にそんなこと言うか!?」

「友達じゃなけりゃ、そのへんに捨てて歩いて帰らせてる」

「いいよそれでっ。歩いて帰りゃいいんだろうが!」

 カスヤは激した口調で叫び、メットを被ったままの姿でくるりと踵を返した。

 俺はため息をついて、バイクを動かし、ドルンとカスヤの横に付けた。

「いいから乗れ。家の前に捨ててやるから」

 カスヤは、立ち止まり、憐れむような顔で俺を見た。

「……そんなんだから、おまえはひとから嫌われるんだぞ」

 ぽつり。カスヤはつぶやく。

 俺はカスヤの目をじっと見た。

 カスヤは、ヤバイっという顔をした。

 場が固まった。空気が目に見えて重くなった。

 お互いに黙りこくる。

 カスヤは上目遣いで俺の顔色を探るように。

 しばらく沈黙が続いた。

 俺は、なんだか無性に可笑しくなって、鼻の奥で笑った。

「そうだな。お前の言う通り」

 こんなんだから、俺は他人に嫌われる。言われるまでもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る