夜の風
「では俺はそろそろ」
とっとと離脱だ。冗談じゃない。いくらとびきり可愛くても、八つも年下の中学生には興味ない。
「もう帰るの?」少し慌てたようにリンが言った。
「だいぶ人の流れも落ち着いてきたしな」
「帰りってバイク?」
「そりゃそうだろ。見ての通りだ」
「ねえ」とリンはそこで一度言葉を切った。しばらくの間、黙ってうつむいて、難しい顔をする。
やがて、決心したかのように勢いをつけて顔を上げると、「家まで送って」
「はあ? なんで?」
「だって、足が痛くて歩けないんだもん」
「いや、だからって、なんで俺が」
「……いいよ。送ってくれないなら、適当なおっさん探す」
「おい。ちょっと待て」
「けっこう、ひとりの時、声かけられたんだから」
困ったことを言い出す。妙に必死な感じだ。
「そんな危ないことするな。男を甘く見てると痛い目あうぞ」
「だったら危なくないタキくんが送ってよ」
「……そうしてやりたくても、ヘルメット、俺のぶんしかないんだよ」
そう言えば諦めるかと思ったのに、
「なくていいよ」
簡単に言ってくれる。
あのなあ、とちょっと強い口調で言おうとしたら、突然、バイクのタンクのほうに耳を傾けて、
「……え? ふんふん。バイクもわたしを乗せたいって。もう、男ばかりはイヤだって」
う。可愛いことを。
俺はため息をついて、「わかったよ」と観念した。
十三と聞いて、我ながら、俺の態度はぞんざいになっていた。
逆にリンのほうは、急に気安くなった気がした。
髪を下ろしたリンに俺のヘルメットを被らせる。
明らかにサイズが合ってなくて、アゴヒモも余っている。
この顔の小ささはなんだ、と
親に洋服を着せられる幼児のようにぼんやりした表情のリンを間近で見下ろす。
伏し目がちのアーモンド形の瞳は、信じられないほど綺麗な二重まぶただった。
先にバイクにまたがり、両足を踏ん張る。
リンは、無頓着に足を開いて後ろに座ろうとした。白い脚が太ももの付け根くらいまでいきなりむき出しになり、俺は反射的に目を逸らしながら、
「足開くなっ。パンツ見えるぞっ」と言った。
リンはパッと弾かれたように浴衣の裾を押さえ、慌てて足を閉じた。そのまま、窮屈そうにタンデムシートのステップに足をかけ、よじ登るように腰掛ける。
かなり不安定な横座りになった。
「……見た?」リンが耳元で恥ずかしそうにささやいた。
「なにを?」すっとぼけた。水色。
「………………」
「マジで落ちるから、しっかりつかまってろよ」平静を装って偉そうに言う。
「けっこう筋肉あるね」俺の肩を触ってリンが言った。
「そういうことは言わなくてよろしい」
「わたし、バイク乗るのはじめて」
「……ゲタ落とすなよ」
スロットルを回す。
いつもより少しだけ重みを感じて、バイクが動き出す。
こんなに綺麗な女の子のパンツを見るなんて、生まれて初めてだ。
たぶん、一生忘れられない。
ばかな。相手はコドモだろ。でもドキドキが止められない。
俺のほうこそ中学生かよ、と自分にツッコミながら、バイクを走らせた。
公道でのノーヘル運転は止めましょう。
オマワリさんに見つかりませんように。
ノーヘルの俺と、浴衣姿でアメリカンバイクの後ろに座るリンを、祭り客たちがジロジロ見たが、混雑がひどく、それどころじゃなさそうだった。
渋滞して動かない車をすり抜け、公園から離れた。
リンが「家あっち」と適当に指した方向には、低い山の上に、赤くライトアップされたテレビ塔が、ロケットのように見える。
「鴻巣山か」
医者や社長、弁護士なんかが多く住む山の手の高級住宅地。
イケすかない場所だが、雰囲気はいいので、たまに散歩したことはあった。
リンって、もしかして大金持ちのご令嬢なのか。キャラには合ってるけど。
鴻巣山まで行くと、とたんに車通りがなくなって、ホッとした。
むき出しの頭に夜風が気持ちいい。
小山に沿って緩やかなカーブを描く坂道を上る。
道路沿いの森からは、湿った夜気が染み出してくる。
土と木の匂い。
夏の夜の甘い匂い。
バイク乗りでよかった。こんなときは、心底そう思う。
あっち。そっち。とぞんざいに指さされながら走っていると、
「そこでいいっ」耳元で突然叫ばれた。「その公園入って」
「足痛いんだろ? 家の前まで送るよ」
「いい」
素っ気ない返事。俺が黙っていたら、付け足すように「お母さん、厳しいからっ」
それで俺も納得した。
ドドドという排気音が小さな公園の駐車場に響いた。
エンジンを切ると、急にしんと静まり返った。
ささやくような虫の声に包まれる。
「あーあ。もう着いちゃった」とリンがボソリ。「もっと乗りたいのに」
フテくされたような口調のくせに、可愛いことを言う。
「ダメだ。ノーヘルだと警察に捕まるんだよ。ここまでだってヒヤヒヤだ」
リンを降ろして受け取ったヘルメットを被ると、やっと気も落ち着いた。ヘルメットからは女の子のいい匂いがした。
この不思議な時間も、そろそろ終わりなんだな。
そう考えると、急に寂しい気分になった。だが……しかし……十三歳……中学生。
なんて考えていたら、髪をおろしたリンが、ぐっと顔を近づけてきた。
「ねえ」
肩より長い毛先が風で跳ねて、ちょっと色っぽい。でも十三歳。
「またバイク乗せてよ」
「もしまたどこかで会えたらな」
素早くエンジンを始動させた。どるんどるん。わざとらしく空ぶかし。
「……そんときは乗せてやるよ!」
シフトペダルを蹴ってスロットルをまわす。
バイクが、ぐんっと動き出した。
素早くギアを二速に入れて、その場を離れる。
遠ざかっていく俺を、きっと後ろで見てるであろうリンに、左手を振った。
カッコよく立ち去って、もうこれっきりだ。さすがに十三歳に関わる気はない。
いくらとびきり可愛くても、俺にだって分別というか良識はある。(ついでに法律も)
せめて、高校生だったらな……。
まあ、こんなのも夏の思い出か。
夏祭りで出会った、とびきり可愛い浴衣姿の女の子とタンデムして、夜の街をバイクで走る。
じっさいにそんなことがあると、すごく気分よかった。物語みたいだ。
でも……中学生。
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