エンショクハンノー

 横目でこっそり女の子をうかがう。

 細い体に、アサガオ模様の浴衣が似合っていた。

 様々な色に照らされる顔は、恐ろしいくらいに整っていて、間違いなく、今まで見た一番綺麗な女の子だと思った。

 いや、綺麗なだけじゃない。

 なんというか、愚かさや汚さといったあらゆる人間の負の要素と、無縁の存在に思えた。

 普通の女の子とはまったく違う。特別な雰囲気。

 なんなんだ、この子は。

 怒涛の花火が終わる。

 終了のアナウンスが流れた。

 大きなうねりのように人々が動き始めた。

 こりゃ、しばらくは身動きとれそうにない。でも、今は一歩だってここから動くつもりはない。

「ねえ。花火、何色のが好き?」

 会話が途切れると、女の子がどこかに消えてしまいそうで、なんでもいいから話を振ってみた。

「…………」

「俺はね、青が好きなんだ」

「…………」

「なんであんなにいろいろな色があるんだろ。花火って不思議だよなー」

「エンショクハンノー」とその子がやっと口を開いた。

「エンショク……なに?」

「炎色反応」

「はい?」

「『リアカーなきケーソン、動力借るとするも、貸してくれないから、馬力が必要』」

 女の子はひと息でつぶやく。

 その不思議な呪文のような響きと、無口だった子が、とつぜん歌うようにスラスラしゃべったことに俺は戸惑う。

「リアカー?」その子には全然似つかわしくない単語だ。「なんだそりゃ」

「義務教育受けたんでしょ」

「まあ、一応は」受けたはず。

「青は、セシウムの炎色反応」

「いや、そういうカガク的な話じゃなくて」なんだか変わった子だ。「俺が思うに、花火ってのはね、ムカつくものを夜空で燃やしてんのさ」

 今度はその子が戸惑った顔をする番だった。

「燃やしたいくらい世の中ムカつくものであふれてるだろ」

 場つなぎに、俺はあいまいな笑顔を向けた。

「年に一回、それまでに溜まったムカつくものを、夜空で盛大に焼却処分すんのさ。そう考えると、なんか色々なことにガマンできる気がしない?」

「わかんない」とその子は言った。「そんなに色んなことにムカついてんの?」

 ははは、と俺はごまかすように笑った。

 ムカつくことは多い。だけど、コツさえつかめば、毎日はわりと楽しい。

 ……って、俺、なにを話してんだ。

 その子があまりに非現実的過ぎて、非現実的なことを口走ってしまっている。

「みどり」

 小石を拾い上げるような話し方で、その子が言った。

「ん?」

「好きな色。たぶん……みどり」

「ああ」

 それもさっきの質問の答えらしい。ちょっと会話のテンポが独特だ。

「緑か。何かムカつくものってある?」

「学校」

 その子は即答した。高校生なのかな、とふと思った。

「俺も学校はキライだよ」と笑いながら「んじゃ、緑は、学校にあるいろいろなムカつくものが燃えてるってことにしよう」

「たとえば?」

「たとえば、二人組作れー、四人組作れーとか簡単に言ってくるアホな教師とか、ツルまないとデカい声出せない姑息な連中とか、他人の心の痛みがわからない想像力のないバカとか、みんな同じ枠にハメようと強制してくるくだらない仕組みとか」

 その子は、どう答えていいかわからないって顔で、小首を傾げて言った。

「いっぱいあるね」

「うん。学校ってとこはムカつくもんばかりだ」

「じゃあ、青は?」

 じっと覗き込むように、その子は俺の目を見つめた。

 深みのある、不思議な瞳。

「青はなにを燃やしてるの?」

「うーん」と俺は少し考えるフリをして、「さびしさ。……ってことにしとくか」

「しとくか、って」

 その子の淡々とした物言いに、少し感情の色が着く。呆れてる。

「ムカつくくらい寂しいの? 全然そんなふうには見えないけど」

「そうだな。べつに寂しくはないかな」と俺はうんうんうなずいた。

「へんなひと」

 その子は締めくくるように言った。

「よく言われる」と俺も答えた。

 俺たちが居る公園の外れにも、メイン会場から少しずつひとが流れてきた。

「みんな、とことん無邪気な笑顔だねえ」と俺はしみじみ言った。

「え?」

「こういうところが、夏祭りってのはいいよな」

 女の子のほうを見て笑う。

「……………」

 バイクのシートに腰掛けたその子は、黙って足を前後にブラブラさせている。

「ねえ。……なまえなに?」思い出したようにその子が言った。

「ん?」

「なまえ」

「なまえ?」

「そ。なまえ」とその子はなぜか怒ったように言った。「なに」

「マグナ」

「まぁぐぅなぁ?」その子は、ちょっと声を張り上げるように言った。

「そ。ホンダが生んだ名車だ。熟成のVT系エンジンは、壊すほうが難しいと言われ……」

「ほんだ? 本田まぐな?」

「ホンダマグナ?」と俺はその響きが妙にツボに入り、ウッと笑ってしまう。

「本田まぐなさん……もしかして、からかってる?」

 その子はキツい目を向ける。

「え」と俺は慌てて「いや。ホントだけど……そのバイク。ホンダのマグナの限定カラー」

「ちがうっ」とその子は地面に向かって怒鳴るように言った。「そっちじゃなくてっ」

「そっちじゃなくて?」どっち?

「ふつうなまえきいたら自分の名前こたえるでしょ」

 その子は子供を叱るみたいな口調で言った。

「あ」

「あ。じゃないよもう」とその子はため息。

「タキ」

「たき? こんどはなんの名前? 飼い犬?」とその子は俺を横目でにらんだ。

「いやいやちがうちがう」イヌとは失礼な。「俺の名前だよ。タキ」

「タキ」

「そう。タキ」

「…………」その子はゆっくりつぶやいた。「タキ……変わった……なまえ」

「それも良く言われる」

「タキ……でもちょっと、かっこいい」

「まあ。名前はね」

 その子はとてもフラットな表情で俺を見た。

「なに? 顔もカッコイイよ、って言ってもらいたいの?」

 ぐは。言う言う。

 こんな風にズバズバ言う子は正直好みだ。

 それに話しててすごく面白い。顔が可愛いだけの女の子じゃなかったことに、俺はなんだか、ものすごく嬉しくなった。

「なにニヤニヤしてんの」

「え。俺? ニヤニヤしてた?」

「うん。感じわるい」

「ごめんごめん。なんか……すげえ楽しくて」

 言ってしまって、俺は急に恥ずかしくなった。慌てて、照れ隠しのように「そっちは? なんて名前? 飼ってるネコのじゃなくて」

「イヌもネコもインコも金魚も飼ってなーい!」とその子は小さく叫んだ。ボケにはツッコまずにはいられないタイプらしい。おもしろい。

「……リン」とその子はぶっきらぼうに言った。

「リン?」

「わたしの名前」

「へえ。いい名前だな」

「キライ。自分の名前」

 リンと名乗った女の子は、素っ気なく答える。

 リン。可愛いし似合ってると思うけど。

「タキくんって、何歳?」

「二十一だよ。大学生」

 リンは、あっそう、という顔をした。

 興味なさそうにも、何か真剣に考えているみたいにも見える。

「リンは? 何歳?」

「言いたくない」

「ひとに聞いといてそれはないだろ」

「……………………」

「おーい」

「……才……」

 リンが早口かつ小声で何か言った。

「え?」と聞き返す。

 思わず、バイクに腰掛けるリンの細い身体を、上から下までじろじろ見た。

 胸元のふくらみを重点的に。浴衣だと体形はじつにわかりにくい。

 リンは面倒くさそうにまた繰り返した。

「いやいや。そーいう冗談はいいから」

 リンがもう一度、ゆっくり、ハッキリ言った。

「ははは」

 俺は口先だけで笑うしかない。

 ムッとにらまれた。

 目まいがする。夏祭りの喧騒が遠くなっていく。さっきまで胸にあった、素敵な物語が始まっている予感は消え去った。

 今年の夏こそは、特別な夏になりそうな気がしてたのに。

 十三歳。

 ……はマズイだろ。さすがに。

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