ひと夏の妹

山の町の花火

『海の街』から、バイクを走らせて三十分。

 大きな池があるから「大池公園」という、安直な名前のお祭り会場には、露店がひしめいている。

「りんごあめ」「かた抜き」「当たりヒモくじ」

 そんな変わらないものから、「揚げじゃがバター」「鮎の塩焼き」「台湾屋台」なんて変わりダネまで。

 人ごみなんて嫌いだ。

 だけど、夜空にとろける笛の音や、発電機のうなり、ずらりと並んだ赤い提灯は、夏を感じさせて、気分はよかった。

 ああ、また夏が来るんだな、と俺は思った。

 子供のころから、夏祭りは大好きだ。

 小高い丘に座る。

 白い月を映す夜の池、他人事のようなざわめきを眼下に、行列して買ったイカ焼きと、生焼けのタコ焼きを食べた。

 色とりどりの浴衣姿の女の子たちは、優しいオレンジ色の光を泳ぐ金魚みたいだ。

 遠いざわめきが心地いい。

 幼いころに読んだ絵本みたいな風景。

 前に誰かが、「ひとりで夏祭り? やべーよ、それ」と俺に言ったことがある。

 そんなことはない。

 ひとりだから、いろいろなものを眺めたり、自分の世界にひたれる。黙り込んでも、誰もイヤな顔はしない。

 夜空が爆発したようにずんと鳴った。

 待ちかねたように花火が上がった。

 暗い水面に光の破片が降り注いだ。

 まばらに散った人影が、はやし立てたり、写真を撮ったり。

 花火大会としては、おおよそ、のどかな雰囲気だ。


 しばらく眺めたあと、早めに切り上げ、バイクに戻った。

 みんなが空を見上げているうちに、さっさと離れるのが正解だ。

 駐輪場に行くと、俺の青いバイクに、誰かが腰掛けていた。

 メタリックブルーのバイクと、和風な浴衣姿という異質な取り合わせが、ひどく印象的だった。

 ……ていうか、浴衣姿の女の子?

 どん。どどん。

 夜空で花火が弾ける。

 そのたびに、きゃしゃなシルエットが浮かび上がる。

 呆然とした。

 それは、見たこともないくらい美しい女の子だった。

 息をするのも忘れて、俺はじっとその子を見つめた。

 少しでも視線をそらしたら、次の瞬間には消えてしまう幻のように。

 とても気安く声なんてかけられない。

 でも、いつまでも見とれているわけにもいかない。

 なにしろ、バイクに乗れないと帰れない。

 自分自身に「俺には、あの子に声をかける、正当な理由があるんだ」と言い聞かせた。

 意を決して……近づく。

 ぼんやり花火を見つめるその子は、接近してくる俺に、まるで気づいていない。

 そこだけ世界が違う。空気が澄んでいる気すらしてくる。

 真横に並んだ。

 耳元に顔を近づけた。

 この時まで俺は、この世に『美しい耳』があるなんて、思いもしなかった。

 よし、いけ。

「こんばんは」

 なるべく快活で無害そうな声を出す。

 その子がゆっくりこっちを見た。

 黒い瞳がキラキラと光っていた。圧倒されるような、美しい瞳だ。

 アップした黒髪に、丸いおでこ。鼻は気高くツンと尖り、あごは信じられないほど細い。薄く開いた唇は、見たこともないくらい形がよくて、整った小さな顔には、無駄な余白はまったくない。

 女の子は、こっちを見て、無感動にぼんやりしていたが、やがて視線を戻すと、あっさり俺を無視してくれた。

 めげずに俺は続けた。

「……花火。キレイですね」

 女の子は何も反応しない。

 そのまましばらく黙る。

 ひゅるるる。ドン。花火を見上げた。

 頑張れ、俺。

「……なに?」

 隣に立ったままの俺を、うっとうしそうに横目で見て、その子が言った。

「いや」イヤミにならないよう気をつけながら「俺のバイク、座り心地なかなかだろ」

 その子は、不機嫌な表情のまま、「これ?」

「それ」

 女の子はぼーっと俺を見る。

 頭上では、花火が続いている。

 ドン。ドン。パチパチ。

「だって座るとこないんだもん」とその子は言った。「足、痛いし」

 なるほど。鼻緒ずれか。たしかに近くにはベンチも何もない。浴衣姿で簡単に地べたに座るような女の子じゃないことに、俺は勝手な好感を持った。

「別にいいよ」と俺は笑う。「バイクも、たまには女の子に座って欲しいってさ。いつも男ばっかだからね」

「男ばっか?」

「残念ながら」

 花火の音がうるさくて、俺たちはちょっと声を張り上げるような感じで喋った。それが、とびきり綺麗な女の子と話す緊張感を、うまく消してくれている気がした。

「きれいだね」

 その子の言葉に一瞬戸惑う。

「あれ」女の子はまっすぐ夜空を指さして「さっき自分で聞いてた」

 ああ。最初に声かけたときか。もう忘れてた。

「なんでこんなところで花火見てるの? ひとり?」と俺は言った。

 浴衣着て、ひとりで夏祭りに来る女の子なんて、まず居ない。

「それ、あなたにかんけいある?」

 その子は冷たく言った。

 返す言葉もなく、俺は黙る。

 苦笑して肩をすくめた。

「ちょっとくらいなら、カンケーあるかも」その子が座ってくつろいでいるバイクのオーナーとしては。

 仕方なく、と言った感じで、その子がボソッと言った。

「……オトコと来たけど、置いてきた。ガキっぽいから」

「いや、置いてきたって、そんな。モノじゃないんだから」

 思わず俺がうなった瞬間 ――

 何かのスイッチでも押し間違えたかのように、花火が連発しだした。

 これでもかってほど重なる大輪の花。

 クライマックスだ。

 俺たちは黙って、派手に光る夏の夜空を見上げた。

 夏も、夏祭りも大好きで、花火は何度も見た。

 ひとりで見る花火は、それはそれで、いつだって美しかった。

 けれど、その子が隣に居るだけで、花火がもっとなにか別なものになり、何倍も、何層倍も、美しく美しく見えるように思えた。

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