丘の上の大学

 丘の上に、俺たちの大学はあった。

 偏差値はともかく、眺めはいい。

 今朝もいろいろなバイクが、正門前のムダに長い坂道をぐんぐん上っていく。バイク通学が異様に多い大学なのだ。

 その脇では、バスから吐き出された学生たちが、しかめっ面で坂を上っていた。

 バス停を坂の下に作るんじゃねえええ、とみんな顔に書いてある。

 校門をくぐったとき、見覚えのあるクリーム色のオシャレな軽自動車を見かけた。助手席から大柄な男がのっそり降りてくる。

 大学での俺の、唯一の友達と言っていい男『カスヤ』だった。

 カノジョに送迎してもらったのだろう。カスヤも俺と同じバイク乗りだが、最近はもっぱらカノジョの助手席ばかりだ。

「よう」

「おー。タキ」

 中・高・大と長い付き合いだけに、いちいち「おはよう」なんて挨拶はしない。運転席のカノジョとも面識があるが、俺のほうをあからさまに無視して、さっさと立ち去った。どうも、よく思われていないのだ。

「ギリギリだよ」

 にこにこ顔のカスヤが近づいてくる。

 穏やかな性格と柔和な顔のせいでトロそうに見えるが、テニスでインターハイにも出たアスリートだった。

「ヨユーだよ」と俺は言った。

 それにしても、何万もの学生が居る大学で、唯一と言っていい友達とわざわざ出くわすとは。この世には、およそ確率とかでは測れない不思議な『縁』ってのがあるのかねえ。まあコイツとはクサレ縁だけど。

 縁という言葉で、ふと、夏祭りで出会ったリンのことが頭をよぎった。

 今さらながら、ちょっともったいなかったかな……とか考えたりして。


 バイクのエンジンを切り、カスヤと並んで歩きながら、駐輪場へと押す。

 一限目はお互い同じ講義だ。

『はっぱねこ』でゆっくりしすぎたせいか、いい場所はあらかた取られ、校舎から遠い第二・第三駐輪場まで歩くハメになった。

 バイク通学が多い大学だけに、駐輪マナーにはうるさく、指定の場所以外に止めようものなら、速攻で張り紙を貼られ、しばらくバイク通学禁止にされてしまう。

 カスヤと会ったから、なんとなくエンジンを切って押し歩きしているが、こんなことなら乗ったまま空きを探すべきだったか、なんて一瞬考えた。

 でもまあ、焦ることはないか。まだ時間はある。

 そのとき、歩く俺たちの目の前で、大きなバイクが突然倒れた。立ちゴケだ。

 ヘルメットを脱ごうとしていた痩せた若い男子学生が、悲鳴を上げてバイクの下敷きになった。

 街路樹の根元に駐車しようとして、柔らかい地面にサイドスタンドが埋まり、そっちのほうに倒れたらしい。場所がなくて焦るあまり、そんな場所に止めようとしたのが祟ったのだ。

 俺とカスヤは慌てて駆け寄った。

 まわりには他にもひとが居たが、横目で見るだけで、校舎に急ぐ学生ばかりだ。始業直前とはいえ、薄情なやつらだ。

 カスヤと協力してそのバイクを起こした。

 大型バイクだけに、体格のいいカスヤと一緒じゃなかったら大変だったかもしれない。

 その学生は足を怪我したようだった。鮮やかな緑色のカウルも無残に割れてしまっている。でも自分の怪我より、愛車の傷に激しくショックを受けている様子で、

「バイクに傷が……傷が……」と情けない声を出している。

 助けてやった俺とカスヤは、複雑な表情で互いの顔を見合わせた。礼を言われたくてやったわけじゃないし、ショックなのもわかるけど、助け起こした俺たちにひと言の礼もないってのも、なかなかすごい。

 九時の始業のチャイムが無情にも響き渡った。

「タキ。講義はじまるぞ」

 カスヤが男子学生に聞こえないようにささやいた。

「おまえ先行ってろ」と俺もささやき返す。

 見ず知らずの学生を助ける義理はないのだが、足を怪我したままだと駐輪もできないだろうし、放ってはおけない。

 俺は、その緑色のバイクを、空いた駐輪場に運んでやった。カスヤは、何も言わずため息をつきながら、俺の愛車を同じように運んでくれた。

 それから、俺たちは大慌てで法学部棟へと走った。


 大学の講義室はコンサートホールのような作りをしている。巨大な大学だけにその規模も大きく、三百人くらいは楽に収容できる。

 けっきょく遅刻してしまった俺とカスヤは、『民事訴訟法』の教室のドアをそっと開いた。

 だいたいの授業はワイワイと騒がしく、学生がこっそりドアから入ったくらいじゃ目立たない。だが中山の『民事訴訟法』は、しん、と静まり返っていて、俺たちの出入りは、上映開始後の映画館のように目立った。

 気配を殺し、姿勢を低くして、空いた席を探す。なかなか見つからない。すり鉢状の講義室の底にあたる部分に、マイクを持った中山の姿が小さく見えた。

「おう。コラ」と突然その中山がマイクでうなった。「一番後ろの、立ってるおまえら」

 ドスの効いた声に、俺とカスヤはびくっとすくむ。

 教室中の視線が一斉に俺たちを向いた。

「遅刻とはいい度胸だ」

 どこかのんびりした口調で、中山は言った。まるで裏切り者を粛正するマフィアのボスだ。法と秩序の研究者たる、法学部教授とはとても思えん。

「出てけや」

 中山があっさり言った。何百人も居る講義室が、物音ひとつ立てずに静まり返った。

「ちょっと待ってください」と思わず俺は言った。「遅刻の理由を説明させてください」

 いまここで、さっきのことを説明してもしょうがないのはわかってる。だが、俺のせいでカスヤまで追い出されることに納得がいかなかった。

「タキ」と鋭くカスヤが俺を止めた。

「いらん」と中山はマイクできっぱり言った。俺のほうを見もせずにテキストに目を落とす。「さっさと出てけ」

 俺はそのまますり鉢状のスロープを教壇のほうへずんずん歩いた。カスヤは引きずられるように俺の後ろをついてくる。

「コイツだけでも勘弁してください。ただのとばっちりです」

 ホワイトボードの前に立つ中山に近付き、カスヤを指して俺は言った。

「いいって、タキッ。ほら。出よう」

 中山は、威圧するような妙にスローモーな歩みで俺たちに近付き、ゆっくり腰に手を当て、首を突き出した。

「五秒以内に出てけ」低く押し殺した声で「さもないと、残りの講義全部欠席にする」

「すいません! 以後、気を付けます!」

 カスヤはそう言って頭を下げると、俺の背中を押し、講義室を出た。

 誰も笑わなかった。


 最悪の気分で、俺たちは法学部棟から離れ、学食前の自販機コーナーに行った。

 ゴミ箱を蹴り上げそうになるのをギリギリで踏みとどまった。

 アイスコーヒーを続けて二本買い、一本をカスヤに無言で投げる。

 それから俺たちは大学の外れにある緑地に向かった。

 途中、ひと言も口を聞かなかった。

 カスヤは、デートのプランは全部丸投げ、という大人しい女の子のように、ぼんやり付いてくる。

 大学の敷地とは思えない静かな森の中、木で組まれた遊歩道が敷かれ、その奥の綺麗な池のほとりに、六角屋根のレトロな東屋が建っている。

 避暑地の別荘の、秘密の庭みたいな雰囲気。いつも俺が本を読んでいる場所だ。

 日陰になったベンチに座った。気持ちのいい風が通り抜けた。

 まわりを囲む樹々からは、セミの大合唱。地面には濃い影が落ちている。

「タキよう」とカスヤはプルタブを開けながら薄く笑った。「……別にいいんだよ。このくらい。俺たちの仲だし。今日のぶんのノートも誰かに見せてもらえばいいしさ。一回くらい欠席しても、単位には関係ないし……でも、俺にひとこと『ゴメン』くらい言ってもいいんじゃない?」

「別に頼んだわけじゃねーからな」と俺はつっけんどんに言った。「先に行けって言ったのに、おまえが勝手に残ったんだろ」

 めちゃくちゃなこと言ってるってのは、自分でもわかっている。

 でも、俺はどうしても「悪かった」のひと言が出せなかった。

 むしろ、俺を手伝ったりせず、さっさと講義に行けばよかったのに、残ったあげく自分も遅刻したカスヤに、なんとなく腹が立った。それで謝れっていうのも、恩着せがましく思えた。

 はあ、とカスヤは息を吐いた。

「タキって意味不明」困った顔で苦笑いしながら「知らんひとにあそこまで親切になれるのに、どうして友達には冷たいの」

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