序章:収斂点
ノートパソコンにずっと接続されていたヘッドホンが壊れ、家で寝ていたい休日の時間を家電量販店に足を運ぶことへ割かれる煩わしさが私の心を暗くさせる頃、窓に映る外の景色は雨であった。
使い物にならなくなったガラクタを間接照明の角に置き、動力を奪われた人形のようにパイプベッドへと倒れる。二度寝へと誘われながらヘッドホンは通販で適当な安物を購入しておけばいいかという自己解決を頭の中で提示した。
足首までしか浸からない浅瀬のようなレム睡眠に溺れていた私が見た夢は、今とあまり変わらない社会人という立場で希望を具現化したような女性と出会っていたのかもしれなく、大学生まで遡って知らない友人と在りもしない青春を共に過ごしていたのかもしれないが、頭がおかしくなって誰かを殺してしまった情景は喩え夢の中でも否定させていただこうと思う。
再び目を覚ました私の頬は涙腺の跡がくっきりと残っていて、より悲しいのは夢なのか現実なのか判然としないその事実に泣いていた。
此処は運命の人と会えなかった世界線であり最も現実らしい現実であるが故に、生を実感しているのは確かである。本当の現実なんて、こんなものだ。何も起こらないのがリアル。夢物語の如くイベントを起こすのがアンリアル。
私は現実世界の住人である。そう自覚しているのであれば、苟もフィクションで構成された存在だったとしても、場のルールに準じるべきである。つまり、夢ばかり見てんな、という叱責を受けるのが正しいのだ。
《だとすれば、私に許された行動は一つ。此処の私ではない別の三代リナがかつて……或いはこれから言表した断片抄を終わらせる責務を果たす外に何ができるというのか。妄想と仮想が混合されている別次元の舞台を放っておく訳にはいかなく、めいめいの幕を下ろす行為が収斂点となる序章へリンクしているに違いない。または此処自体が……終わりを告げる序章であるのだ》
私の幻夢は続いているようで、此処にいる三代リナの限界を超えた憶測が縦へ横へと拡がっていく。明確な答えを得ない疑問符で充満した空間から弾き出されるように雨の降る街へと駆け出した私が見たものは、一面のコールタールと傘をさした二三人の歩行者以外にも沢山あったと思うが。よく覚えていないというか認識しなかったというか……。
「錯綜は時に現実を歪ませる良薬になりますけど、過剰な服用にはご注意ください」
突如として、とある歩行者が私の目の前に立ち止まり、傘を閉じた。知らない顔であるけど、これから知るであろう恋人である事実は疑い得ない無前提な確信もまた疑ってはならない。
「結局、世界の外れにいてもヨシカとは会う宿命なのね」
「有難いことです……けど」
「けど?」
チョコレート色の瞳から注がれるヨシカの視線は斜め四十五度に放下し、全世界の不安と絶望を集約させたような鉛の雲が地上へ迫ってくる。ちっぽけな存在である私達は簡単に圧し潰されるだろう。
「あたしとリナさんの愛は、不明確の概念に包まれた森へ隠したままでお願いしたいのです」
「その森は櫻が咲いているのか?」
「かもしれなく、梅の花かもしれません」
「何れにせよ、同じ季節か」
「ですが、残念なことに一年後の同じ季節となってしまいました」
どういうこと、と私は目顔で訊き、彼女は気取ったポーズで人差し指を立てた。雨粒が艶のある髪に弾かれ、キラキラとした粒子になり彼女の美を際立たせているようにみえた。
「この文章より数行前までの部分は、およそ一年前に書かれたものでした」
「何だそれ。メタフィクションを持ち込んだのか」
頷いた彼女の手を掴み、熱を分かち合った。私の方が冷たい手をしていた。
「私達の役割はここまで、って悟ったような顔をしているな」
「ええ。過去を記述することもできますが、大事なのは未来です。それも、リナさんと一緒に歩む未来でなく、私達という存在を此処へ丁重に保管してくれた世界外=存在の未来であります」
世界外=存在……懐かしい響きだった。
やはり此処は序章であったか、と認知した私が次に……最後に取るべき行動は明白になっており、
「申し訳なかった、と思う気持ちは現実的な努力がいる方角へと向けてくれ」
「それは極北でしょうか、それとも常夏の南南西でしょうか」
彼女の質問は観念小説を構成する一ピースであり、今の私が無視しても問題ない言葉であるが故に、全身を打つ雨の心地良い感触に五感を集中させ、視界を黒に染めた。
《断片抄・(終)》
断片抄 春里 亮介 @harusatoryosuke
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