第拾壱話 わかれのさきに

わかれのさきに 壱

 放課後の講堂に足を踏み入れるのはこれが初めてだった。傾きかけた日の色が、大きな窓から差し込んで長い影を作る。

 幸い、先生や他の生徒は誰も居ない様だった。こっそりと足を忍ばせてやって来たから、少しホッとし――逆に緊張する。つまり、私はひとりで立ち向かわねばならない。

 精一杯の声を上げた。


「園子さん、居るのでしょう。来たわよ」


 何も無かったはずの壇上の空中から、スッと湧き出る様に園子さんが現れた。本当に人間ではないのだと思い、心臓が冷えた。


「御機嫌よう。やっと来てくれたのね。ずっと待っていたのよ」


 園子さんは以前と何も変わらぬ様子で微笑んだ。本当なら叔父達と示し合わせてここを訪れる筈だった。だが、私は考えに考え、少しだけ早く、ひとりでここに来た。

 私はただ、園子さんと話がしたかったのだ。


「園子さん。私、聞きたい事が沢山あるの。あなたの事、るきへる様の事、あの怪人の事。全部」


 園子さんは優しい顔でうなずいた。関さんは彼らの来歴だのはもう気にするなと言った。それでも、私は知りたかった。一体何が理由で私の尊厳を脅かそうとしているのか、それが知りたかったのだ。


「私もお話がしたかったわ。どこから話せばいい? 翠さんはどこまで知っていて?」

「色々知っているけど、何も知らないのと同じ、だと思う。特に、あなた達の狙いがわからない。どうして私の事にそんなにこだわるの?」


 好きだからよ。園子さんは言った。


「あなたは私とよく似ていたわ。意地っ張りで、よくひとりでいて、本が好きで。だからるきへる様はあなたに恋したし、私はあなたが私の代わりになれると思った」

「代わり?」

「るきへる様がるきへる様で居る為には、核が要るの。それが私。居なければ直ぐにボンヤリしたただの霊の塊に戻ってしまう。でも、私も長い事このままで居過ぎて、じきに飲み込まれてしまうわ。だから次の核が欲しかったのよ」


 それは……それは、果たして恋なのだろうか、と思った。それから、これはこの霊なりの命の繋ぎ方なのだと思い直し、それならば、人の在り方とは違っても、これもひとつの恋なのだろうと、そう考えた。どちらにしろ、私の心中にはあのどす黒い嫌悪感が過ぎる。


「翠さんはるきへる様に借りがあるでしょう。だから、言う事を聞いてくれなくてはいけないわ」

わざとあの怪人をけしかけたのでしょう」


 私は一歩後ろに下がった。


「けしかけた、だなんて言わないで。あれは全部本当の気持ちよ。それに、あれもるきへる様その物だわ」


 ばさり、と外套が虚空に翻り、あの怪人の姿が突如現れた。園子さんの隣に。私の目の前に。私の横に。私の背後に。幾人もの黒い影が、講堂の中に立っていた。


「羽多野翠さん」


 怪人は同時に手を差し出す。


「私と共に来て下さい」


 ばちり、と音のしない音が響き、目の前の怪人の外套が地面に落ちた。園子さんが眉を顰める。


「何か持っていて?」


 私は、関さんから渡され、首からかけていた護符を、服の上から手で押さえる。どこぞの神社だかで貰ったとあの胡乱な口調で説明されたものの、本当に効くとは思っていなかった。


 残った怪人は戸惑った様に手を引き、そうして、それぞれがぶれるようにして倍にも三倍にも増え、私を取り囲んだ。ひとりなら大丈夫だった。でも、この数はどうか。私は焦りながら園子さんに呼びかける。


「お願い園子さん。わかって。私、まだ生きていたい!」

「御免なさい、私にはわからないの」


 園子さんはずっと笑顔で、でも、声は冷ややかだった。


「私、ずっと死にたいと思っていたのだもの。それで、今とても幸せなの」


 幾つもの手が同時に私の身体に伸びる。私は、自分でも嫌になるような甲高い悲鳴を上げた。



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 羽多野翠の親戚なのだが、約束していた刻限になっても戻って来ない。何かあったのかと思い学校を訪ねる事にした、学内で倒れたりしていては大変だから、案内して欲しい、と我ながら胡散臭い説明をしたところ、初老の教師は案外聞き入れてくれた。とは言え、大の大人が三人もぞろぞろと現れたのには少々驚いたようだ。


「ええと、羽多野とはどう言う……」

「叔父です」

「叔父です。父方の」

「従兄……同然の仲です」


 滅茶苦茶な自己紹介に、僕は関と菱田君とを睨む。流石に眉をひそめられたので、僕は慌てて言い募った。


「その、何だか講堂に用があるような事を言っていたのですが、そちらの方を見せては頂けないでしょうか」


 まあ、良いでしょう、と教師は立ち上がる。本来ならば部外者は無しで済ませたかったところだが、法を侵さずに事を済ませる為には致し方がない。関は不法侵入を高らかに主張したが、僕はまだお縄に掛かる気は無い。


 校舎から静かな道を少し歩く。辺りは既に薄い黄昏に包まれつつあった。


「本当に大丈夫かい」

「言ったろう。最終的には、本人に自尊と拒絶の気持ちがあればどうにでもなると」


 僕は口を曲げる。そこが少々問題で、彼女は今不安定な状態にある。それをある程度理解できているのは僕だけで、そして僕も、他人にその繊細な機微を説明できる程には明瞭に言語化出来る自信は無い。そもそも、不安定の原因である菱田君が目の前にいるのだ。


 やがて僕らは白い講堂の前に辿り着く。入り口辺りで姪が待っている筈だったのだが――。


「妙だな。居ないぞ」


 関が呟く。周りには誰の姿も見当たらない。


「もしかして、先に中に行ってしまったのでは?」


 菱田君がそう言い様、かばんを抱え直して走り出した。関も顔色を変える。その時、甲高い悲鳴が響いた。


「今のは……?」

「緊急事態だ。先生、講堂に入らせて貰う!」


 僕らは走り寄り、講堂の大きな扉を引き開ける。錆びた様な音を立てて戸が開き――。


 中では、無数の黒い影に囲まれた姪が、助けを求める様に手を差し出していた。

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