第拾話 あるにっきちょう

あるにっきちょう

――四月三日 家族で花見。一体何が楽しいのか、丸でわからない。酔っ払いの一団にぶつかりかけ、罵声を浴びせられた。とても情けない心地になった。来年は来なくて済みますよう。


――四月六日 本日新たな学期。憂鬱。母はまだ耶蘇キリストの学校に行けなかった事を愚痴る。そうなっていたら憂鬱は三倍であったろうから、今は少しは良い方なのだと己に言い聞かす。



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「こいつがその日記だ。部屋に隠してあったのを見つけて、借り受けてきた」


 姪を送って行った夜の次の日。関が早速僕に使い込まれた帳面ノートを示す。


「借り受けて、ではないだろう。どうせ無断で失敬してきたのだろうに」

「良いんだよ、両親が見て気分の良いような内容じゃあ無かったんだから」


 僕は言葉尻を捉えたが、関は蛇のようにぬるりとすり抜ける。どんな嘘を吐いて取材を敢行してきたのやら。

 ともあれ、この帳面ノートが――岸園子の日記が何か重要な資料である事は間違い無かった。僕はページめくる。



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――四月十日 想像で、この学校に大きな悪霊が取り憑いて居たらどうだろう、と考えた。これはなかなかに楽しい空想で、修身の授業の退屈を潰す事が出来た。名はるきへる様。堕天使の名を与えた。明星女学園だなんて丁度良い名前である事だし、それらしい。大層冒涜的で愉快な気分になる。


――四月十二日 かごめかごめの悪戯は、年度を跨いでも隆盛で嫌になる。また鬼にされた。■■■■■(原文は乱暴に黒く塗りつぶされている)。


――四月十五日 今日もるきへる様の事を考えていた。きっとそれは虐められっ子の神様(悪魔を神様だなんて呼ぶのは、とても素敵だ)で、呼び出した人を助けてくれるのだ。勿論、その代わりに対価が必要で――対価はどうしよう。あまり簡単でも詰まらないし、重い物では大変だ。


――四月十六日 姉の嫁ぎ先が決まったそうだ。この家に私の居場所はもうじき失くなる。



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「るきへる様が登場するのはここらからだな」


 それは学内で必ずしも良い立場に無かった者の秘め事で――僕は読み進める度に気分が暗くなるのを感じた。自分のあまり愉快でない思い出まで目の前にチラつく様だった。


矢張やはりこの話、こいつがこしらえた物の様だよ。まあ、読み進めてみろ」


 関はそんな事は御構い無しに僕を急かす。以前なら人非人と罵ったであろうところだ。今でもあまり良い性質では無いと思う。



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――四月二十二日 図書館に遊びに行ったのを母に叱られた。聖書以外の私の本はいつも全て奪われてしまう。悔しくて悔しくて■■■■■■。■■。るきへる様なら■■■■■■■■。


――四月二十四日 坂で突き飛ばされた。覚えているといいと思う。


――四月二十五日 こう言うのはどうだろう。るきへる様を怒らせた者は、何がしかの不幸に連続して見舞われる。軽い場合は転んでしまったり頭をぶつけたりする位だが、最悪の場合命を落とすのだ。■■さんや■■さんなどは後者が良いと思う。とても愉快だ。


――四月二十八日 信じられない事が起こった。放課後音楽室に寄ったら、突然ピアノが不協和音を奏で出したのだ。何かが居るのだと私には感じられた。怖いけれど、また聴けたら良いと思う。


――五月一日 またピアノが鳴った。不思議だ。他の怪談もこの透明存在が関わっていたりするのだろうか。父母は幽霊だのの話を悪しき物と決めつけるけれど、私にはどうも自分と近しい物の様に感じられるのだ。


――五月二日 今日はピアノが鳴った瞬間、話し掛けてみた。何も反応はなかったけれども、何かの存在を感じ取る事が出来た。これは私の妄想だろうか。そうで無いと良いと思う。


――五月八日 ■■。


――五月十日 私は思い切ってみた。あの透明存在をるきへる様と言う事にしたのだ。名付けた途端、何だかそれは一回り大きく強くなった様な気がした。私だけの神様。私だけが知っている悪魔。


――五月十二日 ■■■■■ゆるせないもう嫌だここに書くのも嫌になった■■■■■■、■■■■■■。


――五月十八日 音楽室も安住の地では無くなったので、暫くは学内の図書館に通っている。本が沢山読めるし、人も居ないし、居ても静かにしないといけないので何もされないから良い。ここでもるきへる様の気配を感じた。私について来たのだろうか。


――五月二十日 るきへる様お願いしますあいつらを■■■。


――五月二十二日 ■■。


――五月二十五日 ■■■■ば ■■■■。るきへる様も■■■■てくれる。きっと■■■■■■。私だけでは■■■から、■■■■■■■■■■■。


――五月二十八日 みつけた



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 僕は暗澹あんたんたる気分で日記帳を閉じた。この先は白紙だ。炙り出しでも無い限り内容はここで終わりだろう。この後、岸園子は図書館で焼死するのだ。


「つまり、不幸な少女の空想と、偶々学内に居た霊だか何だかとが重なってしまったと、そう言う事なのかな」

「君にしては飲み込みが早いな。そう、音楽室に居た何かに、この女学生は名前を付けてしまった――名前ってのは強いからな。そこからるきへるは段々力と存在感を身に付けていったと言う事だと思うね」


「一体正体は何なんだ」

「色々と推察は出来るがね。例えば、あの学園には震災の時に結構な数の人が避難して来た様だ。そこで随分と死んだろうよ。そんな奴らの無念が凝り固まって――」

「ひとつになった」

「推察だぞ。もっと古い物かもわからん。この頃は少なくとも、人に働きかける程高級な存在ものじゃあなかった様だが」


 霊の正体が何にせよ、この日記を読む限り、僕はどうもこの少女にも同情せざるを得ない。関は呆れるだろう。姪はどうだろうか。


「空想通りなら人のひとりやふたり死んでいてもおかしくなさそうな勢いだったが、変死事件なんてのはあそこじゃ起こっていなかった――と言う事は、初めはそれほど強い力を持っていた訳じゃないのだろう。もしかしたら、今もホイホイ人を呪い殺せる程の存在ものじゃ無いのかも知れんな」

「園子嬢はこの後――」


 関は眼鏡を直した。


「図書館で焼身自殺。家族は否定しているがな。そりゃそうだ、あちらの教義じゃ大罪だ」

「五年前だったか」

「丁度今頃の季節だよ。五月の……二十六日か」


 僕はその時、全身の毛穴が粟立つのを感じた。


「一寸待て」


 震える手で頁を手繰る。最後の日記。どこか不器用に震える筆跡で書かれたその日付は、五月二十八日。


 僕らは顔を見合わせた。


「つまりこの日記は、死んだ後の岸園子が家に戻って――」

「みつけたって、何を見つけたんだ」

「知るかよ。今回の話に関係するなら――君の姪御かも知れん」

「それなら書かれたのは去年かそこらだ」


 ゾッとする。彼女は、彼らは何の為に姪を求めているのか。それは本当に恋の一念だけの為なのか。


「おい、関。それが本当で、今ももし彼女の霊が自宅のあたりもうろついているのだとして、この日記が持ち出された事に気付いたら……」

まずい」

「拙いよ」


 僕はまるで途方に暮れ、助けを求める顔で関を見た。今回の主犯であるこの男は、今度ばかりはうんと考え込んでいた様だったが、ややあって口を開いた。


「攻めるか」

「何?」

「気づかれる前に、こちらから講堂とやらに出向いてやるのさ」

「待て。こちらからと言うのは」

「姪御だけでは手に負えまいよ。正直、勝ち目がどれ程あるかは知らんが」


 少々苦渋に満ちた顔で関は言った。


「俺達も向かうしかあるまい。全く、面倒事に巻き込んでくれたよ」


 いつもは自分が面倒を運んで来る癖に、こう言う事を言い出すのだ。この男は。

 

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