あたらぬはっけ 弐

 関さんは重々しい口調で言う。


「まず二陽六陰、これ自体はまあ、良くはないがどうとでもなるところだ。気にしないで宜しい。だが、女石と童子石ふたつとも陰と言うのはこれは女難の相だな。それからここ、石が両方陰の状態で重なっていると言うのは、ことに良くない。仕事を真面目にやれと出ているな」

「やってると言うのに」

「君の真面目は常人ののんびりなんだよ。それから、これが最悪だ。三三の幽門、友人を大事にしないと良い縁を失うとあるぞ」


 叔父はそう真剣にとらえてもいなかった様だが、関さんがあまりに深刻な顔をするのに少々心配になってきた様子だった。


「どうすれば良いんだ」

「兎に角勤勉になる事が大事だ。それから、感謝の気持ちを忘れぬ事。まあ、それで全ての災難を解決出来る訳じゃないが……」

「女難は」

酩酊めいてい即凶、先刻も言ったが酒は程々にし給え」


 叔父は少し考え、何か言おうとしてまた少し考え、絞り出す様に言った。


「考えてみる……」

「考えるじゃないだろう、止め給えよ。碌な出会いが無いとあるぞ」

「心掛ける……」

「……君じゃその程度か。構わんよ。少しずつやり給え」


 そして、急にニヤリと嫌な笑顔になった。


「まあ、全部嘘だがな」

「えっ」

「何!?」


 私と叔父は呆気に取られ、関さんの顔を見る。彼は心底おかしくて仕方がない様な顔で、膝を叩いて笑った。


「信じるなよ! 俺が突然占いなんぞやり出す訳がなかろうよ」

「否、だって、この道具は」

「あちらで拾ったただの石に、小刀で刻みを入れただけだな」

「お婆さんの話はどうなんですか」

「全部作り話だよ。思ったより簡単に騙される物だなあ」


 ハハハと愉快げに声を上げる。


「翠ちゃん。こいつはこういう奴だ。金輪際信じない様に」

「わかった」


 とても良くわかった。と同時に、私は何だか感服してしまった。よくもまあこう堂々と嘘を吐ける物だと。


「まあ、あちらで卜者ぼくしゃの婆さんに声を掛けられたのは本当さ」

「どうせ帝王の相だとでも言われたんだろう」

「だと良いがな。南東に凶兆ありだと。まあ、あとは腰を悪くする前に鍛えろだの言われたが」


 満州は日本の北西に位置する。それでも、この人は態々わざわざ凶兆の土地に帰って来てくれたのだ……と捉えるのは何だか甘い見方だろうか。騙されたばかりと言うのに。


「それにしても僕の卦は酷すぎないか」

「運勢は兎も角、対策は全部君に必要な事だぜ」

「私の結果もそうなんですか」

「おう、大抵の事はな、自分に素直になればどうにかなる物だ」


 恋愛に素直になる気はあまり無いけれど、言葉だけは有難く心に刻む事にした。


「まあどうしても占いがしたきゃ、その辺で辻占つじうらでもやっておけ」

「辻占ですか」

「夕方に四つ辻に立って、人の言葉を良く聞くんだ。それで適当に手前勝手な結果を出して受け取っておくんだよ」


 もう何だか滅茶苦茶である。私は温くなったお茶を飲みながら、占いなんてこれからは信じない様にしよう、と思った。

 そして結局、少し待ったけれど、菱田さんは来なかった。



 黄昏時、私は叔父の家を出た。何もかもが輪郭を失って見える時間、時折ある街灯を頼りに歩く。


 占いとは、この街灯の様なものかも知れないな、と思った。真っ暗闇の中にいる時は、きっと何よりの灯りになるのだ。でも、その光を掴む事は出来ない。


 途中、はた、と気づいて立ち止まる。目の前には塀で区切られた四つ辻が広がっていた。意識しないと道の形なんて覚えていない物だ。

 私は少し気になって、辻の中央でそっと耳を澄ませてみた。声は中々聞こえない。ただ、誰かの足音がさくさくと聞こえて来た。閉じていた目を開ける。目の前にはボンヤリとした人影がある。余程近づかなければ人の顔もわからない程の薄暗がり、ただ、その人の顔は、左目のところに白い物があった。だから、すぐにわかる。


「菱田さん」


 声を掛けると、相手は少し驚いた声を上げた。


「翠ちゃん。やあ。先生の家にこの間忘れ物をしてしまってね」

「叔父と、あと関さんが今家に居ますよ」

「へえ、帰って来られたんだ。挨拶に行かないと」


 待ち人いずれ来たる。関さんの言葉が思い出された。


 それじゃあね、と菱田さんは手を振って歩いて行った。私はその背中を見送ろうとし――。

 どうしよう、と思った。


「あの、私も今、忘れ物に気がついて。一緒に戻っても構いませんか」


 どうしよう。私は多分、菱田さんの事を好いている。今日これだけの会話で、こんなに喜んでいる。これ以上一緒に居たいなどという事すら考えている。それは、私にとってはとても……とても、不快な事だった。不浄で、極端な情動に心が左右される事は、どうしても避けたい事だった。でも、それはもう起こってしまっている。


『己に素直になって、その心に従えば』


 無理です。関さん。私には、この気持ちは面倒過ぎる。


 どうしよう、どうしよう。私は菱田さんの横に並んで歩きながら、只管ひたすらにそう考えていた。吐き気がするのに、私はそれを堪えて媚を売る様に笑っている。


 どうしよう。どうすれば良いのだろう。


 誰か。誰か、助けて。

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