第捌話 あたらぬはっけ

あたらぬはっけ 壱

「それで、直接話をしただと!?」


 その日の帰り、私が関さんと叔父の家で会った時、当然ながら大層怒られた。


「馬鹿か……ああ、いや、済まん。頭の具合が少々お悪いんじゃないのか」


 私と叔父に気を使ったのかどうか、言い直して余計に酷くなった感のある罵声を投げつける。それは、言われても仕方がない事だ。私は随分な危険を冒した。


「向こうには明らかに狙いがある事を忘れるなよ。何もせず引き下がったのが信じられん位だ」


 はい、とつぶやく。それでも、もしかして、園子さんが何か手心を加えてくれたのではないかと期待する気持ちがどこかにあったように思う。


「そいつが優しさを見せただの思っているんじゃないだろうな」

「…………」


 私は目を伏せる。


「思うのは勝手だ。実際そうなのかも知れん。が、あちらはもうこちらとは別の理屈で動いていると思えよ」

「……はい」

「しかしまあ、本当にとんでもない事をやらかすよ。ゾッとするね」

「…………」

「なあ大久保。君の姪はいつもこんな調子なのか。これじゃ命が幾つあっても……」

「何なんですか! もう! 先刻から!」


 私はついカッとなって卓袱台ちゃぶだいに両手をついた。


「反省しているじゃありませんか! ネチネチネチネチ納豆みたいにうるさいわ! 私が悪かったのは確かでしょうけど、そこまで……」

「火が戻ったな」


 向かいで膝を崩して座っている関さんは動じずに、そんな事を言って顎を撫でた。私は毒気を抜かれてしまう。


「いちいち辛気臭い顔してるなよ、女学生。怪異を追っ払うには体力と突っぱねる気持ちだ。覚えとけ」


 怪異に効くかどうかは兎も角、私は何だか今の怒りで少しだけ心がスッとなったような気がしていた。


「この大久保なんぞ、気鬱だ何だといつでもじめじめしているから、よく訳のわからん物にとっ憑かれる」

「散々な言い様だな……」


 叔父がお茶を運んで来る。湯呑みはふたつで、お銚子とお猪口ちょこがひとつ。


「叔父さん、取り憑かれたりするの」

「昔の事だよ」


 大きな背中を丸めて恥ずかしそうにするので、私はそれ以上の追求を止した。関さんもからからと笑って何も言わない。このふたりは、学生の頃からの友人なのらしい。昔って、どれ程昔なのかしら、等と思った。それから、園子さんの事を思い出して――首を軽く振る。


「おい、女学生。ここに上海の土産がある」


 突然、関さんは汚れた麻の袋を取り出した。少し重そうな、ザラリと言う音がする。


「土産なら先日茶を貰ったじゃないか。折角せっかくだから今日淹れてみたんだが」

「なら自分でも飲み給えよ。何だ、ひとりで李白気取りか……まあ、こいつは土産とは言ってもな、君にやる訳じゃない」


 ザラザラと何かを取り出す。それは妙な文様の刻まれた幾つかの石だった。賽子さいころの様でもあるけれど、形がもっと丸く……言ってしまえば、そこらの河原にでもありそうな石ころ、と言う様相だった。


卜占ぼくせんの一種だそうだ。こいつを転がして、その形で運勢を占う。中々面白そうだろう」

「占い? 君が?」

「奉天でたまたま卜者の婆さんと知り合ってね。もう年で引退をするってので、買い取って来た」


 関さんはざらざらと石を混ぜ、両手に持つと、私に押し付けようとする。


「やってみろ、女学生。恋愛だの何だの、好きだろうが」

「私、別にいいです……」


 少しムッとして断った心算つもりが、上から石を落とすので、つい拾ってしまった。


「それを適当に撒いてみろ」


 仕方がないので、ゆっくりと石を溢した。からからざらざら、音を立てて転がっていく。


「ふん、三陽五陰。パッとせんな。君の恋は直ぐに目出度く叶う訳じゃなさそうだ」

「あのう、私別に恋愛を占って欲しいとは言ってないのですけど」

「それ以外を占えとも言ってないだろう。ええ、柱石が陽、これは悪くない。待ち人いずれ来たる、だな」

「待ち人」

「心当たりがあるならそいつだ」


 何だろう。今日は菱田さんは来ないのかしらとか、そんな事を思ってはいたけれど。


「それから排福の相。自分から幸運を遠ざける傾向がある」

「はあ……」

「己に素直になって、その心に従えば即ち運も開けようと、これはまあ、恋愛だけではないな。何にでも当て嵌まる事だ。心に留めておけよ」

「……わかりました」


 何で人生訓の様な物を聞かされているのだろうと思ったが、兎も角うなずいた。年頃の少女であれば恋愛に興味があるはずと決めつけられるのは業腹だったけれど。


「そんなところか。心掛け次第で好転は出来る。精進しろよ。次、大久保」

「僕も占うのか!?」


 ボンヤリと眠そうな顔で石を眺めていた叔父は、驚いた声を出した。


「おう。恋愛だろうと稼業の方だろうと何でも来いだ」

「何で私の時は選択肢が無かったんですか」

「俺がやりたかったからだよ」

「酷い……」


 叔父が不承不承石を転がすと、今度はその内ひとつが卓袱台から転げて畳に落ちた。


「落鳳とは縁起が悪いな」


 関さんは首を曲げて下を見る。


「おまけに柱石ときた。おい大久保、お前健康には気をつけろよ」

「気をつけているよ」

「酒を飲みながら言うな。ええ、表の方は……」


 関さんの言葉が途切れた。難しい顔をして、あちこちに視線をやり、石と石を見比べている。


「何だよ。何が問題なんだ」

「……大久保」


 少し、顔色が悪い様に見えたのは気のせいだったろうか。


「俺は正直こんな酷い卦は見たことがないぞ」

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