もえるまぼろし 参

「るきへる様? なあに、それ」

「噂。……園子さん、岸園子さんから聞いたの」

「ふうん、岸さんてどこの学級クラスの方かしら。知らないわ」


 学級を変えて、もう五人に聞いたけれど、誰もるきへる様と園子さんの事を知っている人は居なかった。あの新聞記者さんの言う事を鵜呑みにするのもどうかと、一度思い直した私の気持ちは、硝子ガラスの様に粉々に打ち砕かれた。


 ともあれ、わかったことがある。園子さんがさも学校中に密かに広まる秘密の様に話していたるきへる様は、少なくとも今は決してそんな有名な物では無い、もしかしたら、園子さんしか知らない様な物かも知れない、と言う事だ。

 だからと言って、脅威が減る訳では無いのだけれど。


 反対に、透明の怪人の話は多少手応えがあった。黒い外套の人影を学校の中で見かけたとか、透明の何かに引き止められた事があるとか、そう言った話だ。

 今迄私は、園子さんとしか話していなかったんだ、としみじみ思い知らされた。そうしてその園子さんは、もはやこの世に居ないはずの人で。


 関さんは、出来るだけ園子さんを避けろと言った。それはそうだろう。るきへる様と私を結びつけて、何を狙っているのか未だにわからないのだ。


 でも。


みどりさん」


 いつも待ち合わせに使っていた、門の近くの花壇前で、私は振り向いた。園子さんがにこにこと笑みを浮かべ、こちらに歩いて来る。私は手を振って彼女に駆け寄った。



「ねえ翠さん、そろそろ講堂に行きましょうよ。るきへる様、きっと待ち兼ねていてよ」


 一重坂を下りながら、園子さんが言う。ちくりと胸が痛んだ。私は生返事をしてから、単刀直入に切り出す。


「……それより園子さん。私、この間図書館に行ったの」

「図書館」


 別段、どうと言う事のない場所の筈だ。私が普段から通っている事は園子さんだって知っている筈なのだし。でも、何だか今見ると、少し不審な反応に見えてしまうのが辛かった。


「そこでね、火事の幻を見たの。その火の中で、生徒がひとり焼けていくところも。あれは……」


 園子さんが大きな目を瞬かせた。


「園子さん、あなたね」


 彼女はしばらくきょとんとした顔のまま黙っていた。そうして、ややあって首を傾げる。


「どうしてわかったの?」


 今度は私が黙る番だった。叔父や菱田さんの話はとっくに漏れているけれど、関さんの事は最新の話だ。聞かせる訳にはいかない。


「お気に入りの叔父さんかしら。残念ね。私、あなたとお友達になれてとても嬉しかったのに」

「私だって嬉しかった」


 嬉しかった。こんなに楽しかった時間は無い。ひねくれ者の私と、ずっと一緒に居てくれた人。明るくて、楽しくて、可愛らしい園子さん。


「ねえ、一体どうして私に近づいたの。普通にお友達になりたかっただけなら、私、何も無かった事にしたっていい。園子さんが何だって、私、お友達でいるわ」


 とんでもない事を言っていると思う。だけれど、それでも私は園子さんの事を嫌いになんてなれなかったのだ。


「私があなたに近づいたのはね」


 ごう、と東から強い風が吹いて、園子さんの髪を揺らした。


「るきへる様がおっしゃったからよ」


 私は、嘔吐おうとするような気持ちで肺の中の空気を全部吐き出した。


「気づかれてしまったのは本当に残念。ねえ、でも本当に近いうちに講堂に来てくれないと駄目よ。でないと、嫌な事が起こるわよ」


 園子さん。私は口を開こうとした。園子さんは言っていたでしょう。図書館の火事で死んだ生徒の話。正体に勘づかれるのが嫌なら、どうしてあんな話をしたの。何か、わざと手がかりを残していたのではないの。ねえ、園子さん。

 でも、声は出なかった。私は窒息する金魚の様に口ばかりを動かしていた。


「それじゃあね、翠さん。御機嫌よう」


 園子さんはくるりとスカートをはためかせ、私に背を向けた。そのまま、学校に戻って行く。私は地面に半ばしゃがみ込んでいた。


「ねえ、あなた大丈夫。先生を呼んで来ましょうか」


 通りがかりの親切な生徒が声を掛けてくれたけれど、わたしは黙って首を振り、立ち上がった。


「平気です」


 そう、平気であらねばならない。私は、強くなければならないのだ。


 園子さんの後ろ姿はもうどこにも無かった。ただ、ほんの少し焦げた匂いの風が吹いた気がした。



 こうして私は、大好きなお友達を失ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る