さかみちくだる 弐

 坂を上ったり下りたりを繰り返して、私達はへとへとになり息をついていた。どうやっても出口が無い。音のしない空はいつまでも変わりなく青い。

 このまま出る事が出来なかったらどうしよう。そう思い始めた時だった。


みどりさん、ね、るきへる様にお願いしてみてはどうかしら」


 園子さんがおずおずと言い出した。


「ここは学校のすぐそばだもの。もしかしたら助けて下さるかも知れない」


 私は少し躊躇ためらった。先日、私は確かにそれに願って助けられたのだけれど、負ってしまった借りの件が未だ心にのし掛かっていた。


「他に頼れる方なんて居ないでしょう。やらないよりはずっと良いと思うの。一緒にお願いしてみない?」

「でも、どんな物なのかも私、わかってないのに」

「言ったじゃない。るきへる様はとても頼りになるの。学校と私達を見守って下さっているのよ」


 園子さんは力強く頷く。


「私ね、一度だけ講堂でお願いをした事があるの。球技会の前に脚を怪我してしまったから、早く治ります様にって。次の日には包帯は取れたわ。代わりに頼まれたのは、教室の花瓶から花を一輪持って来なさいと、それだけ」


 園子さんは熱を込めてそんな事を語った。私は少し圧倒される程だった。


「とても優しいのよ。だから大丈夫。一緒に講堂に行って、何をすればいいのか聞きましょう。ふたりなら平気よ」


 背に腹は代えられない、と思った。特に、これがあの怪人の仕業なのだとしたら、一刻も早く抜け出したかった。私は頷く。園子さんはとても嬉しそうにした。


「それじゃあね、お名前を呼んで、お願いしますって言うだけなのよ」


 私達はお祈り風に手を組んで、空に向かって声を上げた。


「るきへる様、るきへる様。どうか助けて下さい。お願いします」


 途端、びしり、と青い空に、まるで古い天井の様にひびが入った。そのまま、空は細かく割れていく。青い欠片が初めぱらぱらと、やがて物凄い音を立ててどっと、藍玉アクアマリンで出来た篠突く雨の様に降って来る。それらは全て中空で溶けて消えた。思わず手を伸ばしても、届く事は無かった。チカチカとした光だけがあちこちに乱反射していた。


 空が砕けたその先には、また空があった。今度は橙色に染まりかけた真実ほんとうの空だ。雲がぽかりと浮かび、鴉が二羽三羽、連れ立って巣の方へ飛んで行った。


「……これ」

「試してみましょう、出られるかどうか」


 私達はうなずき合い、急ぎ坂を下った。半ばで雪柳の家を通り過ぎ、そうしてしばらく歩いて行くと、坂の下の三叉路さんさろに辿り着いた。通りの向こうには、人が歩いているのが見える。


 私達は、脱出に成功したのだ。


 はあ、と息を吐いた。どっと疲れが出た様だった。園子さんは感無量な顔で、矢っ張りるきへる様で間違いがなかった、などと喜んでいる。ともかく、良かった、と安心する。


「ふたつ」


 背後から声がした。私は振り向く。そこには誰も居なかった。ただ、暖かい風がすう、と通り抜けただけだった。



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「そう言う訳で、大変だったの」


 帰り際に寄って報告をすると、叔父は頷く。


「無事帰れて何よりだよ」

「本当に。私もだけど、園子さんがあのままだったらとても可哀想だった」

「お友達かい」

「そう。岸園子さん。前々から仲良しなの」


 私はついでとばかりに台所でお米を研いでいる。放っておくと叔父は直ぐに食事を抜くのだ。手が掛かる生き物だと思う。


「僕も少しは調べ物をしたんだ。君の学校の辺りに活発な悪魔崇拝や神秘主義の倶楽部クラブがあったりはしない様だよ。それと、透明の怪人の話は時折目撃の例があったらしい」


 私は驚いて手を止めた。


「そんな事、どうやってわかるの」

「知り合いにインチキ霊能者が居る。色々と話をして来たんだ」

「インチキなのにわかるの」

「インチキだからさ。代わりに情報網を持っている。思ったよりも売れっ子の様で、捕まえるのに時間が掛かってしまった。済まなかったね」


 私はぽかんとして、叔父の人脈に呆れるばかりだった。


「考えている事があるって、その事」

いや、本命は別なんだ。頼りたい奴が今は海外行きでね。出来る範囲のことはしたが、船が遅れず到着するのを待つしか無い」

「叔父さん」


 私は濡れた手を拭きもせず、少し涙声になりながら言った。


有難ありがとう」

「泣かないでくれよ」

「有難う」


 叔父はあんなに怖がりなのに、私の為に少しでも動いてくれていたのだ。借りを数えるあの声を思い出す。あの時は助かったけれど、私、私は。


 叔父さん、私、なんだかわからないようなるきへる様より、叔父さんの方がずっとずっと好きよ。


 照れ臭くて言えなかったけれど、私は心の底からそんな事を思ったのだった。

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