第伍話 さかみちくだる

さかみちくだる 壱

 私達の学校、明星女学園のすぐ傍には、少し急な坂道がある。遅刻しかけの時に走ると、心臓が痛くなりそうになるくらいの勾配だ。名前もあって、一重坂。由来は知らない。


 行きは少し辛いけれど、帰りは背中を軽く押されたような速度ですいすいと帰れるから、私はこの坂が嫌いではない。特に今時分だと、ちょうど途中の家に白く甘く咲き誇る雪柳の木があって、私の気に入りの道となっていた。



 長袖で歩くと薄く汗ばむほどの陽気の中、私と友達の園子さんは仲良くお話をしながら歩いていた。


「それでね、その目はどうしたのかって聞いたら、『のめり込み過ぎの罰が当たったんだよ』って」

「そうなの」

「その癖、本のお話をずうっとしているの。罰が当たっても何も反省していないのじゃないかしら」


 私は知り合ったばかりの菱田ひしださんの話などを聞かせていた。園子さんはふんふんと頷いて聞いてくれる。


みどりさんは交友が広いのね」

「そう?」

「大人の方と普通にお話を出来るなんて凄いと思うわ」


 どうも園子さんは私を買い被っている節がある。にこにこしながらそう言うので、少し決まりが悪くなった。


「叔父さんのお家に行くと、たまに面白い大人の方に会えるのが一寸ちょっと面白くて」


 それに、私を変な目で――女の子として見る人があまり居ないのも良い。少しくらいなら子供扱いされるのも嫌いではないのだ。


「いいなあ、私もそんな親戚が欲しいわ」


 話しながら、雪柳の家を通り過ぎる。花は盛りを越していたが、香りはふわりと甘かった。


「でも、叔父さんは変な人よ。いつもお酒を飲んでいるし。酔っ払って暴れたりしないのはいいけれど」

「酒瓶屋敷のお話ね」

「そう! この間母に言われて片付けさせられたのよ。叔父とふたりで全部纏まとめてお勝手に持って行って、酒屋さんを呼んで、恥ずかしかった!」

「一度見てみたい気もするわ」

「止した方がいいわよ」


 話しながら、雪柳の家を通り過ぎる。花は盛りを越していたが、香りはふわりと甘かった。


「でも、翠さんは叔父さんが大好きね」

「ええ?」

「そんな嫌な顔しても、良くお話を聞かせてくれるじゃないの」


 話しながら、雪柳の家を通り過ぎる。花は盛りを越していたが、香りはふわりと甘かった。


「それは、面白いからで……」

「何だかうらやましいわあ」


 話しながら、雪柳の家を通り過ぎる。花は盛りを越していたが、香りはふわりと甘かった。


 ……私は立ち止まる。きつい坂道は変わらず上下に続いていた。


「……ねえ」

「なあに?」


 園子さんは呑気に答えた。


「この坂、何だか長くないかしら?」


 雪柳は香る。取り留めもなく話しながら、何度この家を通り過ぎたろうか。それなのに、坂はいつまで経っても終わらないのだ。


 辺りはしんとしていた。小鳥の声さえしない。何よりおかしいのは、ちょうど下校の時刻なのに他の人間が誰も居ない事だ。


「おかしいわ」

「なあに、どういう事?」


 こう言った事態に慣れていないだろう園子さんが、狼狽ろうばいした声を出す。


「戻ろう。戻ったらまた上に出るかも」


 私は焦りながら、きびすを返した。早足で坂を上ると、息が切れた。ふたり分の足音がはたはたと響く。


 雪柳が。雪柳が。雪柳が。雪柳が。雪柳が。雪柳が。雪柳が。雪柳が。


 どこ迄行っても、終わりが無い。坂の端は見えているのに、そこに辿り着けない。


 私達は、坂の中に閉じ込められたのだと、ようやく理解した。見た目も、空気も繋がっているのに、全く違う空間に放り込まれた様だった。血が引く様にゾッとする。


「翠さん」


 園子さんが可哀想に、弱った様子で手を握り締めて来た。これも、あの透明の怪人の仕業なのだろうか。その可能性は高い。

 どちらにせよ、一体全体どうやって対処すれば良いのだろう。巻き込んでしまったのかもしれない園子さんはどうすれば良いのか。私は只管ひたすらにじりじりと頭を焦がしながら考えた。答えは出ない。


 雪柳の香りが、この時ばかりは心に悪かった。

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