第参話 みあうひととき

みあうひととき 壱

 その日は朝から小雨降りで、しっとりと湿った空気の中、私は叔父の家を訪ねた。すると、案の定寝癖のついたままの髪と寝ぼけ顔で出迎えられる。


「お早う。何でまたみどりちゃんが?」


 私は傘を持たない方の手を腰に当てると、びしりと言ってやった。


「お母さんが迎えに行きなさいって言うから来たの。叔父さんはどうせまた準備もせずに寝ているだろうからって」


 果たして、母の予測はその通りだった訳だ。伊達にこの叔父の姉を長年やってはいない。


「お見合いの日くらい、しゃんとしなさいな、叔父さん」


 ううん、と叔父は少し面倒そうに頭を掻いた。



 もう三十になる叔父は未だに独り身で、姉である私の母が幾らせっついてものらりくらりと躱し、その癖冬場はいつも気持ちを崩して寝込んでいたりする物だから、ついに母の堪忍袋の緒が切れた。兎に角良い人を紹介してそのまま収まるところに収めてしまおう、という腹だ。


 私としては、叔父の家に遊びに行きづらくなるのは少し残念ではあるけれど、あの酒瓶屋敷が少しは整えられると思うとそれも良い様に思う、という消極的賛成の立場だ。


「叔父さんはお見合いが嫌なの?」

「そうでもないが」


 髭を当たってさっぱりした顔の叔父が戻ってくると、私は気になっていた事を聞いてみた。こんなにも長く独りで居るのだから、何か嫌な理由でもあるのかと思ったのだが。


ただ、僕はこんなだし、冬は寝て過ごすばかりだろう。ひとりの人に世話ばかり掛けるのも申し訳ないと思ってね。姉さんにもそう言ってはいるんだが」

「ふうん」

「まあ、ここまで話が進んだのならもう諦めたがね。年貢の納め時という奴かも知れん」


 成る程、叔父も叔父で消極的賛成なのだ。樟脳しょうのう臭い紋付の羽織を纏った叔父は、上背がある分いつもより少し男前に見える気もした。見た目だけなら悪くはない。


「最近は、周りにおかしな事は無いのかい」

「何も無いわ」


 あれ以来、しばらく透明の怪人は現れないし、まだ講堂にも行って見てはいない。


「なら良いが。気をつけなさい」


 叔父は玄関先の黒い蝙蝠こうもり傘を手にした。


「さて。出掛けようか」


 何だか死刑台に向かって進む罪人めいた顔をしていたのは、私の気のせいだろうか。



 本当は私はそこで帰って、家で弟と留守番をするのが筋なのだが、今回は違った。叔父を連れてくる駄賃代わりに、私も座敷の末席に連なり、一寸ちょっと良い料理を口に出来る事になっていたのだ。親孝行はする物だと思う。隣家に預けられている弟に、話の土産でも持って帰ってやろう。


 言われた通りに電車に乗って数駅(叔父は雨に濡れた窓の外を見て考え事をしているので、危うく乗り過ごしかけた)。普段あまり寄らない、良さそうな老舗の立ち並ぶ通りを歩いて、少し路地に入ったところの料亭前に私と叔父は立っていた。入り口には「羽多野様、輪島様」と記された紙が貼ってある。何だか少し緊張しながら、雫のこぼれる傘を畳んで中へと入った。

 中では女将さんに連れられ、粛々と二階に案内される。


「帰っては駄目かな」


 階段をぎしぎしと上りながら、今更叔父がそんな事をつぶやいた。私は耳を疑う。


「駄目に決まっているじゃない。叔父さんが主役なのに」

「何だか怖くなって来たよ」

「そんなだから意気地無しって言われてしまうのよ」

「誰だい、そんな事を言うのは」

「私よ」


 だが、女将さんは速やかに座敷へと案内してしまう。中には私の両親と、それからあちらのお家の方なのだろう、年配のご夫婦と、そして、予想外に綺麗な女性がこちらを見てお辞儀をしてきた。


「間に合って良かった事」


 虫干しの時にしか見た事のない、何だか高価そうな帯を締めた母がぴしりと言う。こんな時なのにどうも母は遠慮を知らない。


「大久保純です。宜しくお願い致します」


 少し斜めに傾いだ礼と、もごもごした名乗りではあったけれど、叔父はともかく挨拶をした。そうして、お見合いの会は始まったのだ。



 高級なお膳なのだろうけれど、私は何だか味がわからなかった。ひとえに、叔父の受け答えがいちいちふわふわと宙に浮いた様な風だったのが気に掛かって仕方がなかったからだ。周りが大人ばかりで気が張り詰めていたせいもあるだろう。


「新聞の方のお仕事もされていらっしゃるとか」

「ええ、まあ、その、はい」

「幽霊のお話だとかを書かれるのですってね」

「書いたりもします……」


 万事がこの調子である。幾らもうある程度話がまとまっていて、後は男側がうんと言うだけだという話だとしても、向こうが流石に呆れるのではないかと思った。

 私はチラと女の人の顔を見た。輪島弥恵わじまやえさんと言う、目元の涼しげな人は、それ程気を悪くした風でもなさそうに柔らかく笑っていた。この人が叔母さんになるのなら、それ程悪くないかも、等と思った。



 さて、そのまま穏やかに席が纏まれば良かったのだが、事件はその後に起こった。ふたりきりで話をさせようと私達が次の間に移った後。私はお手水ちょうずを借りに階下に下りていた。


「ねえ、上の方達はお見合いなのよね?」

「そう言う話だったけれど」


 店の人が話している声が耳に届く。何の気も無しに私はその噂話に耳を傾けていた。


「でもおかしくない事。それにしては人が多すぎない」


 私がくっついて来たからだろうか、と少し済まなく思う。


「あの女の方の側、だって、男の方がひとり付いているでしょう。最初はあの人がご主人だと思ったのよ。それが、お見合いだって言うし、ご家族が席を移った後もその人は残ったままで、今三人で話しているのよ。変ね」


 私は耳を疑った。今は確かに二人だけが残っているはずだ。それなのに。


 叔父の相手は、一体何者なのだろうか。

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