はないちもんめ 弐

「勝ってうれしい花いちもんめ」

「負けてくやしい花いちもんめ」


 クスクスと笑う声が、耳元でうるさい。私の横には四人が並んで手を繋いでいて、前に進んだり後ろに戻ったり。私も同じ様に動く。私は結局運動場に誘われ、遊戯に興じる羽目になっていた。


「ほら、羽多野さんも声を出さないと」


 肘で軽く突かれた。痛くはない。そんな真似は彼女らはしない。馬鹿馬鹿しいと思いながら、声を上げた。


「鬼が怖くて行かれない」


 鬼よりも何よりも今怖いのは、人の心だと思った。こうして大勢に誘われると逃げ切れなかった、自分の案外な臆病さも憎かった。今はまだ良い。人が減っていった後、私はどうすれば良いのだろう。


「あの子が欲しい」

「あの子じゃわからん」

「この子が欲しい」

「この子じゃわからん」


 それから、相談をするのだ。何が相談だ。形ばかりこそこそ話して、こちらは負けが決まっているのに。


「きーまった」


 私は運動場の小石を蹴った。またひとり、抜けていく。私がひとりになる時が近づいていく。ああ。私は目を閉じようとし――。


「羽多野さんが欲しい」


 その場の誰もがギョッとしたろう。私も耳を疑った。もしや新手の虐め方かとも思った。しん、と声が止まる。


「羽多野さんが欲しい」


 声は確かにもう一度聞こえた。皆は不安げにキョロキョロと辺りを見回す。誰が言ったようにも見えなかった。


「羽多野さんが」


 その時。私は肩がぐいと引っ張られるのを感じた。後ろを見る。何も見えないが感触は確かに、透明の手の様な物が私を引いた様だった。ひっ、と悲鳴を上げかける。隣の女子が金切り声を上げた。見えない手が身体に触れたのだろう。それは幾つも幾つも、後ろやら足元やらから伸びてきて、私の腕だの、脚だのを掴んだ。皆の髪を、身体を掠めてぞわぞわぞろぞろとうごめいた。あいつだ、あの透明の、と私の直感が働いた。


「羽多野さんが」

「羽多野さんが」

「羽多野さんが」

「羽多野さんが欲しい」

「欲しい欲しい欲しい」

「欲しい欲しいほしいほしいほしいほしい」

「ちょうだい」


「嫌! 嫌だ!」


 私は叫んだ。級友達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行った。責める気にもならなかった。


「先生、誰か、お父さん、お母さん、叔父さん」


 私は助けを求める相手を必死で探した。駄目だ。誰も近くにはいない。手の力は増し、まるで身体がバラバラになってしまいそうだった。


「助けて、助けて」


 そして私の脳裏には閃光の様に、昨日聞いたばかりの名前が閃いた。どう言う物かは知らない。でも、すがる他に無かった。学校の守護者。堕天使の名を持つ者。


「助けて、るきへる様」


 ざあっ、と風が吹いた。私を押さえつけていた手が、次から次へと、溶けて力が抜けるようにして消えていった。それだけだった。私はいつの間にかひとりで、運動場の隅にぽつりと立っていた。


 私は狐につままれた様な気持ちで、辺りを見渡した。遠くで何も知らない下級生が球技に興じている。長閑のどかな昼下りだった。やがて午後の授業の鐘が鳴るだろう。


 私はかく教室に戻ろうと足早に歩き始めた。何か、夢でも見ていた様な気持ちで。


「ひとつ」


 只、誰かがそう呟いた声が、虚空に聞こえた様な気がした。



「ねえ、こないだのるきへる様って、どう言う物なの」


 帰り道、私は園子さんにそう尋ねかけた。その日は夕方からにわかに曇り出し、少しいつもよりも暗くなるのが早かった。自転車が通り過ぎるのを、私達は横に避けてやり過ごした。


「学校を守ってくれる偉い人よ。困った事があったら、るきへる様にお願いをすれば叶うのだって。ああ、あんまりいい加減なお願いは反対に罰が当たるそうだけど」

「ふうん」


 私の願いも聞き届けられた、と言う事だろうか。あの後級友達は戻った私を質問責めにしたが、適当にはぐらかしたから、皆夢でも見たかと思ったろう。


「ただ、お願いを聞いて貰えたら、その分卒業までにるきへる様にお返しをしないといけないの。あまり頼っていたら、大変な事になるのね」

「何があるの」

「さあ。地獄に落ちるだとか、何かとても嫌な事が起こるとか、色々聞くわ」


 あのひとつ、と言う声もそれだろうか。それなら、私はるきへる様に借りが出来てしまった事になる。


「それ、どうやって返すの」

「翠さん、もしかして何かお願い事をしたの?」


 園子さんが私の伏せた顔を下から覗き込む。大久保の方の血筋らしく、私は母似で背が高く、園子さんは小さく可愛らしい。


「したかもしれない」

「それはるきへる様に聞かないとわからないわ。あのね、講堂にひとりで行くといいのだって。そうしたらるきへる様とお話が出来る事があるそうよ」


 私は気が重くなりながら、しおしおと頷いた。



「それで、講堂に行く事にしたのかい」


 結局私は何もかも決めかねて、叔父のところに寄る事にした。ひとりでは何も出来ない、駄目な人間だと思って悔しかった。叔父は今日も酒の匂いをさせて迎えてくれた。


「わからない。何だか嫌な気がするし。でも、本当に借りを返さないといけないのなら、いつかは行かないといけないとも思うの」

「翠ちゃんは義理堅いからなあ」


 手を出し給え、と叔父が何やら言うので差し出すと、また金平糖がざらりと乗せられた。白い物から選って食べる事にする。


「理不尽は踏み倒すのも手だよ、と言いたいが、相手が怪異ではね」

「叔父さん、踏み倒した事なんかあるの」

「無いよ。打ちのめされ放しだ。僕の友人なんかの生き方が参考に……否、あれはならんかな……」


 兎も角だ、少し考えている事がある。しばらく様子を見ていなさい、と叔父は言ってくれた。私はうなずく。



 叔父と並んで、夜の道を歩いた。街灯よりもうんと明るい月が、低い位置で街を見下ろしていた。その傍に、宵の明星。


 怪異は直ぐに襲って来る。人は恐ろしく、自分は頼りにならず、謎は深まるばかり。でも、隠しには薄紙に包んだきらきらの金平糖。横には叔父がいて、夜は妖しく、光は美しい。

 なんだか、世の中は不思議な形で釣り合いが取れているのではないか、と少しそんな事を思った。



 その後、少なくとも私の周りでは、あの花いちもんめは鳴りを潜めている。私は悪習を止めた人間として、大人しい側の子達に一目置かれるようになった、らしい。本当の事を言っても誰も信じまいし、黙って栄誉だけを受け取っていようと思う。


 勝ってうれしい、という感じは、あまりしないけれど。

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