第壱話 くろいつまどい
くろいつまどい 壱
夕暮れ、辺りがとっぷりと暗くなる前に叔父の家に着けたのは
家の前に来たところで、
「叔父さん、
「構わないが、こんな時分に何の用事だい」
私は今来た道をチラリと見、あの影が居る事を確かめてから
「おかしな人がずっとついて来るの。ね、早く。お願い、助けて」
三日程も前の事だ。私はここのところ、委員の仕事で帰りの時間が遅くなっていた。ひとりで薄暗くなった空の下を帰るのは怖くもあったけれど、どこか冒険めいて、気持ちが沸き立つ様でもあった。
そこに、あの影は現れたのだ。
初めは、時折視界に何だか黒い格好の人が映るな、と思う程度だった。見かけたのも女学校の近くで、電車に乗ってからは姿が見えなくなっていたので、気に掛ける程もなかった。だが、それが毎日続いた。黒い影はついに電車を降りて、家に向かおうとする私の後をひたひたと静かについて来るようになったのだ。
私はまさか自分が不審の人、もしかすると
どうしよう。気持ちは
「それでここに来たのか」
叔父のどこか途方に暮れたような声に、私は頷いた。部屋の脇には万年床が敷いてあり、周りにはよくもまあここまでという量の酒瓶がごろごろと転がっている。
「
「
「わかっています。だから、
叔父は障子を細く開けると、外の様子を伺った。生垣の向こうに、あの影があった。黒い
「心当たりは」
「何も無い」
私はかぶりを振る。叔父はそっと障子を閉め、心なしか青ざめた顔でこう言った。
「兎も角、暫くはここに居なさい。あれが諦めてくれるなら有難いが……」
そうして少し、何かを言おうか否か
「これは、見間違いかも知れないが」
叔父は障子越しに外を見やる。私はごくりと唾を呑んだ。
「あの帽子の下――顔が無かった様に思えてならないんだ」
「えっ?」
私は目を見開く。どういう事だろう。
「顔がある
首を横に振った。怖くて、ただ横目でチラリと見るのが精一杯だったのだ。突拍子も無い言い草ではあったけれども、この叔父ならば
私は改めて震え上がった。
「何か、怪しい物なの」
私の問いに、叔父は頭を掻き毟った。
「有り得なくは無い。ただ、ああ、それだと
「拙いって何が」
「あいつがどんな出自の物かは知らないが、怪異と言うのは大概、一度こうと定めたら、曲げる事を知らない。
まるでよく知っているような事を言う。
「困る。その内お母さんが心配してここに来るかも知れないし、そうしたら鉢合わせよ。電話でもあれば良いのだけど」
「無いよ。そんな物があったらここぞとばかりに仕事の催促が来る」
話していても
「叔父さん、あれは
叔父は困った様な、嫌そうな様な顔をして私を見返した。私は取り繕う。
「噂よ」
「君までそう言う……あれは、その。あったと言うか、何と言うか……」
「
「詳しくは無いよ。詳しいのは友人だ。僕は
「それじゃあ、陰陽師だとかみたいな力があったりはしないの。法力で退散させたりだとか、そういうの」
「僕は君の叔父だぞ!?
がっかり、と呟いたら、叔父はそれはそれで傷ついた様な顔をした。良い年をして、
その時、どん、と大きく何かが叩かれる鈍い音がした。どん、どん、音は続く。戸を叩く音だ。誰が? 恐らく――あの影が。私達は顔を見合わせた。
「瓶を持っていなさい」
叔父が低い声を出す。
「何かあったら、それで相手を殴るんだ。いいね」
「叔父さんは」
「逃げる」
「一寸!」
勝手口の方に行こうとするところを、袖を引っ張る。
「それは幾ら何でも酷くはない!」
「わかっているよ。ちゃんと一緒に逃げるとも。だが自然、僕の方が足が速いかも知れないと言う……」
「そこは全力で走らないでよ。置いて行かないで!」
「
戸は
そこにはあの影が立っていた。
黒い外套に黒い帽子。
化け物だ。私は顔を引き
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