第3話

 突然の奇妙な問いかけに、かばんたちは思わず顔を見合わせる。

 一方のクジラは、ただ黙ってこちらを見つめている。その目には不安と……わずかばかりの期待の光があった。

「……聞こえたから助けにきたんだけどな、あたしたち」

 沈黙を破ったのはヒグマだった。身を硬くするクジラを不思議そうに見ながら、彼女は続ける。

「誰かー、ってフレンズを呼んでたの、お前だろ? ここにいるみんな、全員お前の声を聞いてここまできたんだ。かばんだって聞こえてたよな?」

「はい。ぼくでも聞き取れました」

 迷うことなくかばんも頷く。他のフレンズよりも耳が利かない自分でも聞こえたのだ。間違いなくヒグマたちには声が届いていたことだろう。

 その答えを聞いたクジラが目を大きく見開き……震え始めた。

「あ、あの」

 大丈夫ですか? その一声をかける暇もなく、クジラは海の中に沈み込む。思わぬ反応に、かばんは伸ばしかけた手を引っ込めた。

 ヒグマたちが顔を見合わせる。

「あ、あたしなんか悪いこと言ったかな?」

「いや、そんなことは」

 そんな会話を打ち切るように、大きな水柱が噴き上がる。

 かばんは顔を上げた。太陽が眩しい。そんな中、大きくなっていく影。

 クジラだった。

 かばんめがけて降ってくる。

 避けるという考えが浮かぶ前に、あっという間に押し倒された。

「たっ、食べないでくださ」

 反射的に出かかった言葉は、喉に引っかかってしまう。こちらを覗き込むクジラの目に涙が溜まっているのが見てとれたからだ。

「ほっ、本当に……本当に、聞こえてるんですか、私の、声……」

「は、はい。聞こえて、ます」

 ぽたり、と。かばんの頬に涙が落ちる。

 どうしたらいいのかわからない。困惑したまま見上げていると、クジラが大きく息を吸う。

「あっ、あのっ、はじめまして! 私クジラといいます! といっても自分でもどんなクジラかはよくわからないんですけど、とにかく泳いでいるうちにいつの間にかこんな姿になってしまって、距離感が掴めずに陸地に乗り上げてしまったみたいで! まさか誰か助けに来てくれるなんて思わなくて、本当にありがとうございました! そもそも私、陸地に上がるのは初めてで、陸地の動物を見たのは初めてなんですけど、ここではみんな今の私と同じ姿なんですか? あなたはいったいなんの動物で」

「お、おいおいおいちょっと待て!」

 息をつく暇もなく投げかけられる大音声。かばんの頭がくらくらしてきた頃合いに、待ったをかけてくれたのはヒグマだった。

 きょとんとしたクジラが、ようやく身を起こす。

「あのさ、もう少し落ち着きなって。そんな大声で話さなくても聞こえるし、あんまり早口で喋られたら、かばんも答えられないだろ?」

「あ」

 言葉を失うクジラ。その隙に乗じ、かばんはかろうじて声を上げることができた。

「あ、あの~……そろそろ、降りてくれると……」

「ふぇっ? あっ、ああっ!? ご、ごめんなさ……ひゃあーっ!?」

 慌てて立ち上がったクジラが、バランスを崩して仰向けに倒れこむ。砂煙が舞い上がった。

 そのままわたわた手足を動かすも、どうやらうまく起き上がれないらしい。

「た、助けてぇ~!」

 二度目の悲鳴に、キンシコウとリカオンが慌てた様子で駆け寄ってきた。



「──ご迷惑おかけしました」

 ヒグマたちの手により、再び海の中に戻されたクジラが頭を下げる。傍目からもわかるくらいしょんぼりしていた。

「き、気にしないでください!それよりクジラさん、どうして、そんなに自分の声が聞こえるかどうか気にしてたんですか?」

 かばんの一言に、クジラがうつむきがちに語り始める。

「……私、この姿になるまで、一度も他の子とお話しできたことがなくて……」

「一度も?」

「他のクジラと出会えなかったとか?」

 キンシコウの言葉に、クジラは小さく首を横に振った。

「なんというか、私の声が聴こえてないみたいで。なんでかは、全然わからないんですけど……」

「うーん……ラッキーさん、なにかわかりますか?」

 手首に巻いたラッキービースト(の首輪)に尋ねてみると、レンズがやおら点滅し始めた。

 そして。

『周波数ガ 合ッテナカッタ ノ カモ シレナイネ』

「周波数?」

 フレンズたちが異口同音に繰り返す。かばんにとっても耳慣れぬ言葉だ。

 その空気を察したのか、無機質な声がさらに説明を続ける。

『クジラハ 超音波ヲ 発シテ 仲間ト 会話ヲ スルンダ。ソノ 周波数ガ ズレテルト 他ノクジラ ト コミュニケーションガ 取レナクナルヨ』

「そんなことがあるんですか?」

『ソウイウ 個体ガ 過去ニ 発見 サレテイルンダ。「52ヘルツのクジラ」ト 呼バレテ イタンダヨ』

 淡々とした説明に、かばんは目を丸くする他ない。

 仲間と話すことができないというのは、どれだけ寂しいことだろう。想像もつかなかった。

「……ええと、かばん、さん? そんなに私たちのことに詳しいなんて、すごいです」

「いえ、これはラッキーさんが」

「ラッキーさん? ラッキーさんってどなたですか?」

 興味津々、と言った様子で言葉を投げかけてくるクジラに、かばんは困ってしまう。そもそも、こうなる前のラッキービーストを説明するところから始めなくてはならないだろう。海の中にまでラッキービーストはいないだろうし。

 そこに割り込んできたのは、ヒグマだった。

「あー、悪いんだけど……そろそろあたしたち、セルリアンの見回りに行きたいっつーか……」

「せるりあん?」

 クジラがきょとんと首を傾げる。当然というか、海の中までセルリアンはいないのかもしれない。

 その様子に、リカオンがぽりぽりと頬を掻いた。

「どーするッスかねー。やっぱり、海の中で暮らしてたフレンズに、いろいろ説明するの難しいッスよ」

「そうねぇ。実際に自分の目で見てもらうのが早いとは思うんだけれど」

「いや、セルリアンに関しては話だけで済ませるのがいいだろうと思うけどな。自分の目で見られる状況、わりと危ないし」

 キンシコウの言葉に、ヒグマがさりげなくツッコミを入れている。

 その微笑ましい様子を横目で見つつ、かばんは少しばかり考えこんでいた。

「ええと……クジラさん、これからどうするんですか?」

「これから? 私、もっと皆さんとお話ししたいです」

「じゃあ、途中まで一緒に行きませんか? 海辺なら、お話ししながらいけると思うんです」

 その提案に、クジラはぱっと顔を輝かせた。




 海辺と海との言葉のキャッチボールは、和やかに続けられた。

 特にかばんがこれまで自分が経験してきた出来事を話すときのクジラは、特に目を輝かせていたように思う。

 だけどそんな楽しい時間も、そろそろ終わろうとしていた。ヒグマたちの海辺巡回コースが終わりに近づいていたのだ。

 あからさまに寂しげな様子を見せるクジラに、全員が思わず足を止めていた。

「その……そんな顔するなよ! あたしたち、今後もこの辺見回りに来るから! な?」

「博士たちへの言い訳がひとつ増えたッスね」

「黙ってろリカオン」

 意地悪げなリカオンの言葉を一蹴し、ヒグマはクジラへ背を向ける。だが、まだ立ち去ろうとはしない。

 かばんは少し躊躇してから、ぽつんと海の中に佇むクジラへ近づいた。

「あの、クジラさん。ぼく、考えてたんですけど」

 と、手に持っていた木の棒を差し出す。見回りの途中、拾ったものだ。

「これで、陸地で歩く練習をしたらどうでしょう?」

「練習……?」

「ええと、陸の上でバランスを取るのが難しそうだったので、これを支えにすれば、歩く感覚がつかめるんじゃないかって。それに、浅瀬ならもし転んじゃっても大丈夫だと思うんです」

 目を丸くするクジラに、かばんは笑いかけた。

「今度、ぼくのともだちを連れてきます。そのときは、また一緒にお話ししましょう!」

「……! はい! ありがとうございます!」

 クジラが勢いよく頭をさげた。



 ……手を振ってくるクジラに何度も手を振り返しながらも、かばんはヒグマたちと一緒に山の方へと歩いていく。

 もうすぐ夕暮れ。きっとサーバルもそろそろ帰ってくるだろう。

 帰ってきたら、今日出会ったフレンズのことを話してあげよう。

 そうして輪を広げられたらいい。そんなことを考えながら、かばんはヒグマたちを追いかけるのだった。

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うみべ 鹿奈 しかな @shikana

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