街に願いを ~When you wish upon the city~

藤川才人

第1話 プロローグ -願いの叶う街-

 人間は、怠ける生き物だ。


 そんな僕たちが、今日まで生きてこられたのは、「〆切」というルールを発明したからに他ならない。

 小さなことから大きなことまで、何かを成し遂げるには、〆切を設定しないことには、ヒトという生き物は、なかなか本気を出すことができない。

 

 といっても、〆切にもいろいろある。

 短くて余裕のない〆切。長くて余裕のある〆切。多少過ぎても大目に見てもらえることもあれば、一秒たりとも伸ばすことが許されないものもある。


 〆切、という言葉を聞いて、ウキウキしたり、テンションが上がる人など、いるのだろうか。

 〆切とは、ルールである以上、守るのが当たり前。破れば怒られるのに、きっちり守っても、ほめてもらえることはほとんどない。

 いわゆる体育会系の人ならば、叱られたり、自分を追い込むことで能力を開花させるのかもしれないが、僕のように、ほめられてのびるタイプの人のことも、考えてあげて欲しい。


 そうだ、〆切を守ったときは、記念日として祝日に加えるというのはどうだろうか。これならば、〆切を破る人は激減するだろう。 

 ということで、〆切は、ぜひとも平日に設定してもらいたいものである。


 んっ?「ほめるとのびる」ということは、〆切を守った自分じゃなくて、「〆切」そのものをほめてあげれば、〆切がのびるんじゃないか?


「いやー、シメキリって、ホント偉いよな。たくさんの人に破られまくっても、文句ひとついわないもんな。オレたちが今日まで生きてこられたのも、シメキリのおかげだよ。シメキリなんてなければいいのに、っていうヤツもいるけど、オレはシメキリのこと、ずっと応援してるZE☆」


 こんな感じだろうか。誰だ、コイツ。


 でも、「〆切を応援する」ってどういうことだ。


 〆切の仕事は、決められた期日までに何らかの目標を達成することだから、応援するというのは、それに間に合うように努力することなわけで、その結果シメキリ本人が期日を伸ばしちゃったら、本末転倒ではなかろうか。


 何はともあれ、できることならば、〆切とはなるべく無縁な日々を過ごしたいものである。しかし、そんなことが果たしてどの程度可能なのだろう。

 貧乏暇なしというけど、お金持ちであればあるほど、何不自由なく、なんの制限もなく、つまりは締め切りに追われることのない人生を歩むことができるのだろうか。


 石油王に、「〆切という言葉から、何を連想しますか」と、アンケート調査をしてみたいものである。

「石油王だけど、何か質問ある?」みたいなスレがあったら、みんなも、ぜひ質問してみよう。


 ところで、すでにお気づきの方も多いように、貧富の差に一切関係なく、すべての人が経験せざるを得ない、決して避けて通ることのできない〆切が少なくとも一つ存在する。


 そう、命日である。


 いずれ、体や脳を機械化することによって、不老不死が実現するかもしれないが、今回はひとまず置いておこう。


 それよりもまず注目すべきなのは、この命日という名の〆切が、いわゆる普通の〆切とは大きく異なる点である。


 それはつまり、期日がいつであるのか、はっきりとは誰にも分らないところである。

 〆切ギリギリや、少し過ぎてからようやく本気を出すタイプの人が少なくない。僕もそのタイプである。しかし、もし〆切が自分の命日であった場合、走馬燈が見え始めてから、あるいは三途の川を渡り切ってからでは、もう手遅れだ。


 寿命ならば、ある程度目安を知ることは出来るだろうが、事故などで急に命を落とすこともあるわけで。それはつまり、タイムマシンでもない限り、一人一人が、自分の命日を正確に知ることは不可能であるを意味する。


 でももし仮に、世界中の人々が、自分たちの命日を知ることができたのならば、世界はどのようになるのだろう。

 絶望を感じる人や、多少の混乱はあるかもしれないが、きっと最終的には、一人一人が残された時間を最大限有意義に過ごすために、一致団結することで、戦争のない、幸せに満ち溢れた世界が実現するのではないだろうか。


 僕はそう信じたい。


***************


 夏休みの宿題に全く手を付けることなく始業式を迎えた僕は、職員室で、担任の先生にこっぴどく叱られながら、世界平和についてあれこれ考えていた。


 そんな僕が、反省していないように見えたのか「自由研究でもなんでもいいから、せめて一つくらいは何かやってこようよ」と先生があきれ返っている。


 そうだ、たしか「戦争と平和」というタイトルの有名な本があるらしい。それを読んだことにして、さっき思いついた内容を読書感想文にしてしまおう。それがいい。

 我ながら、深い洞察とユーモアにあふれ、知性がにじみ出ている、素晴らしい考察である。


 夏休み中、ずっとこのことについて考えていたせいで、漢字ドリルなど手につかなかったことにしよう。実に名案である。

 あぁ、でもコンクールとかに入賞したらめんどくさいなぁ……


などと考えている間も、先生のお説教は続き、

「いいかい。夏休みの宿題というのはね、いつもの宿題とは、ちょっと違うところがあるんだ。たくさんある課題を、ただ終わらせるだけじゃなくて、夏休みという長い期間の中で、始業式の日に間に合うように、自分で計画を立てて、それを実行する。これが大事なんだよ。」


 僕としては、「宿題をやらない」という計画を、信念をもって実行したまでである。

 さらに言えば、計画を立てて、それを実行する練習というのなら、遊園地やプール、キャンプに海水浴、花火大会や肝試し、盛りだくさんのイベントをやり切った自分には、すでに十分な計画性と実行力が備わっているので、心配には及ばない。


 そう言って先生を安心させてあげようとしたその時、私と先生、そして地球上のすべての人たちが、ある「〆切」を言い渡されることになったのである。

 とある難題と共に……


********


 忘れもしない、あの小学1年生の夏休みから早くも6年が経ち、僕は中学生になっていた。


 今や世界中の教科書に載っているあの衝撃のニュースは、一人の天文学者の発見が始まりであった。


 当時、地方の大学に職を得たばかりのその天文学者は、森の奥深く、山のてっぺんにある天文台に住み込みで観測を続け、ある信じられないものを発見してしまうのである。


 彼が観測に使用していた望遠鏡は、当時利用できるありとあらゆるテクノロジーをこれでもかと盛り込んだ、最新鋭の電波望遠鏡であった。

 超伝導センサーと量子コンピュータを組み合わせ、さらに地上のアンテナと軌道上を周回する人工衛星とを同期させているらしい。 

 そのかいあって、従来のものに比べて、数億倍高い感度と分解能が実現された。


 そのため、十分に扱える研究者は非常に少なく、得られた観測データは、どれもこれも新しいものばかりなので、その天文学者は、当時論文が書き放題であった。

 新しいデータが得られるたびに、これまで長年の謎であった現象が次々に解明されると同時に、宇宙や地球の成り立ちについて、新しい説がどんどんと生まれたのである。


 天文学の歴史において、もっとも輝かしい時代が訪れ、天文ブームが巻き起こった。

 各地で宇宙に関するイベントが開催され、プラネタリウムが次々に開園し、なりたい職業ランキングの1位に、宇宙飛行士が返り咲いたのである。


 しかし、ある分析結果が、そのブームに水を差すこととなる。


 なんと、冥王星などが位置する太陽系の外周部を周回する、月と同じぐらいの大きさの小惑星が、あと100年ほどで、地球に衝突するという分析結果が発表されたのである。 

 その可能性がある小惑星は、有名なスペースSF作品にちなんで、「デス・スター」と呼ばれることになる。


 人間は、自分にとって都合の良いことばかりを信じ、都合の悪いことは、見て見ぬふりをするのが得意である。

 また、最新の装置といえども、その小惑星を直接観測できたわけではなく、膨大なデータを総合的に分析した結果であった。


 百聞は一見に如かず、ということわざは、裏を返すと、いくら状況証拠がたくさんあっても、自分の目で見るまでは、信じたり納得したりすることが難しいことを物語っている。

 このため、専門家の意見も、装置の故障や測定誤差に違いない、との見解が大半を占めていた。


 しかし、その分析結果を明確に否定できるデータが得られていないことも事実であったため、ついには、ある計画が実行に移されることになった。


 その計画は、後に「ハヤブサ・ガリレオ計画」と呼ばれることとなる。

 詳細に関しては諸説あるが、ガリレオ・ガリレイが、望遠鏡を自作し、それを使って月の表面を世界で初めて観察したことは、有名である。


 最新式の電波望遠鏡と同様に、当時で最高性能の望遠鏡を手に入れたガリレオは、数々の新発見をした。

 その一つとして、月の表面を観察し、大小さまざまなクレーターに覆われている様子をスケッチに残している。


 しかし、彼の発見が、当時の人々に受け入れられるまでには、かなりの困難があったのをご存じだろうか。


 なぜならば、ガリレオが作製した望遠鏡も、それによって得られたスケッチも、世界で初めてのものだったからである。

 ガリレオの望遠鏡が本物であることを証明するには、見えている月が本当の姿であることを証明する必要がある。しかし、その月の様子が本物であることを、当時、誰が保証できただろうか。

 もちろん、その逆もしかりである。月の表面の様子が、真実の姿だと証明するには、ガリレオの望遠鏡の性能を証明する必要がある。

 しかしやはり、新発明の性能を、ガリレオ以外が保証することは、困難だったのである。


 「ニワトリとタマゴ」のジレンマは、こんなところにも潜んでいたのだ。


 おまけに、当時の宗教観も災いした。


 月は、全知全能なる神が作りたもうたのだから、その形は、表面が非常になめらかで、傷一つない完璧な球体である、という説が広く信じられていたのである。

 表面が実はデコボコだらけである、というガリレオの発見は、それだけで、当時の人々にとって、受け入れがたいものだったのだ。


 ではなぜ、我々は、月の表面がクレーターだらけであるという、ガリレオの発見を信じることができるのだろうか。


 それはおそらく、アポロ計画のおかげだろう。


 陰謀論などが絶えないが、宇宙飛行士が月面場を歩く映像は、一度は目にしたことがあるだろうし、月の表面を軌道上から撮影した写真とガリレオの主張は一致している。

 百聞は一見に如かず。

 デス・スターまで、人間が行って帰ってくることはできないが、衛星を飛ばし、写真とサンプルを回収して帰って来ることはできる。

 その結果でもって、白黒ハッキリさせようというわけである。


 ちなみに、ハヤブサというのは、かつて、長旅の末、数々の困難を乗り越え、イトカワという名の小惑星にたどり着き、そのサンプルを回収して、地球へと帰還した実績をもつ、探査機の名前にあやかっている。


 こうして実行に移されたハヤブサ・ガリレオ計画は、往復50年という長旅の末、無事達成され、良いニュースと悪いニュースを持ち帰ったのだった。


 悪いニュースとは、もちろん、デス・スターの存在が証明されてしまったことである。

 いいニュースとは、地球の命日の計算結果が、当初の予想よりもあと50年分延長されたことである。

 持ち帰られたサンプルによると、デス・スターの質量が想定よりも大きかったため、地球に到達するまで、より時間がかかることが判明した。


 しかし、いずれにせよ、このまま予想外のことが起きなければ、いずれ地球に衝突するという事実に、変化はなかったのである。


 この結果を受けて、NASAは緊急声明を全世界に向けて発信した。国連での協議を経て、地球規模での対策組織を設立することが決定されたのだ。


 対策の方針は大きくふたつ。


 一つはデス・スターが地球に到達する以前に、これを排除するプランA。


 もう一つは、地球からの脱出および移住を図るプランB。


 幸いにも、猶予はあと100年あるため、今後、予期せぬ事態により状況が変化することも考慮し、長期的な対策計画がとられることとなった。

 すなわち、プランをどちらかに搾らず、全世界を挙げて、宇宙開発に関連する研究を重点的に促進するという方針である。

 その後、最終的に、有効性の高いプランに搾り、実効性の高いものから順次実行に移される。


 対策組織の本部は、様々な事情から、極東のある島国に設置され、本部を中心に、世界最大規模の研究都市が再開発されることとなった。


 かつてのアポロ計画や、マンハッタン計画の時と同様、世界中から優秀な人材が集められ、研究が進められた。

 しかし、デス・スターという人類共通の敵に対処するという目的意識のおかげで、人種や宗教観といった些末な違いによる摩擦は、うまく緩和されていた。

 島国にもともと根付いていた風土の影響もあってか、世界中の文化が調和・融合し、研究都市は、独自の発展を遂げていった。


 研究成果のうち、民間転用可能なものは、積極的に、市街部へと導入され、そのデータは、世界中に公開された。

 特に、地球からの脱出を想定したプランBに関する技術は、研究都市内の文化的水準を、加速度的に進化させていった。


 一方、月規模の小惑星であるデス・スターの排除を目指すプランAに関する技術は、環境への負荷も大きく、よからぬ目的への転用が容易であるため、関わることができる研究者は制限されており、その研究成果について知るものは、ごく少数であった。


*********


 研究都市への再開発が一段落してから、3年ほどが過ぎ、市街区の人口も徐々に増えてきた頃。

 新設される研究セクションのグループリーダーとして、とある研究の第一人者が、研究都市のメンバーに加わることとなった。


 研究都市への招聘がかかった研究者や技術者の家族は、いくつかの条件を満たせば、市街区で暮らすことができる。

 彼には、今年で中学生になる息子がいた。


 名前は藤谷統也ふじたにとうや


 小学生の頃から、研究都市にあこがれていたため、市街区への引っ越しを断る理由は特になかった。


 統也は、研究都市の入り口近くにある建物へと到着した。

 市街区で暮らすための最後の条件である、「面談」を受けにきたのである。


*********


「ここが、面談センターか。ちょっと、緊張してきたな」

 人類共通の敵の出現によって、人類は一致団結した。とは言っても、やはり、人間の一番の敵は、いつの時代も人間そのもの、あるいは自分自身である。


 研究都市の担当部局では、技術者や研究者として優秀な人材をスカウトするうえで、本人だけでなく、その家族や友人のことも、あらかじめ一通りの調査を行っている。

 そのため、ヘッドハンティングの声がかかった時点で、その家族が、市街区への移住を拒否されることは非常に稀である。


 この面談センターで面談を受けることが、研究都市で暮らすための条件の一つであるが、ここで何かをしくじって、やっぱり駄目でした、とつまみ出されることもまずない。

 履歴書や住民票といった、書類による事前審査はすでにパスしており、学園都市唯一の学校であるアカデミーへの編入手続きも、無事完了している。


 なので、緊張の原因は別にある。


 ちなみに、編入試験の成績は、主席だったらしく、入学式では、新入生代表として挨拶をしなければいけなくなってしまった。

 目立つのは嫌いじゃないが、文章を考えるのが、正直かったるい。こんなことならば、もう少し手を抜くべきだったと少し後悔している。


 そんなことよりも、今は、面談の「最後の質問」にどう答えるべきか、そのことでオレは頭がいっぱいだった。


 まことしやかに噂されている、通称「最後の質問」。


 どれだけ科学技術が進歩しようと、都市と名の付く以上、天下の研究都市といえども、「都市伝説」と無縁でいることは不可能に近いようだ。


 再開発が始まってから、10年も経っていないこの研究都市にも、この街ならではの都市伝説が、すでにいくつも広まっていた。

 その中でも、最も有名なのが、この面談にまつわるものであり、「最後の質問」と呼ばれている。


 曰く、面談を行うのは、この街の「市長」である。


 曰く、面談での受け答えは、公にされることは決してない。しかし、守秘義務も一切ないので、どのような受け答えをしたのかを秘密にする必要もなく、誰かに話しても特に問題はない。


 曰く、面談を受けた人は誰でも、最後に、次のような質問をされる。

「あなたの『一番の願い』はなんですか」


 曰く、研究都市で暮らし続けることができれば、ここで答えた「一番の願い」が叶う。


 もちろん、何でも、とはいっても、生身で自由に空を飛びたいだとか、タイムスリップしたいだとか、そういった物理法則に反するようなことは暗にNGらしい。


 なるほど、技術水準が、数世代進歩した研究都市らしいウワサである。


 物理法則に反しない限り、というのは、裏を返せば、それが一見どれだけ無茶な願いでも、物理法則に則ってさえいれば、この都市の魔法のような技術力が、いずれそれを可能にしてくれる、そういう意味であると解釈することができる。

 叶えたい望みがない人なんて、おそらくいないのだから、そう信じたくなるのが人情というものだ。


 自分にとって、「一番の願い」とは何だろう。それをどう表現すればいいのだろう。


 自分に強い自信がある人は、いつ誰に問われても、自分の夢を人前で語ることができるのだとういう。今更、面談担当者にそれを質問されたところで、いつもと同じように答えるだけであろう。


 では、自分はどうか。

 

 自分に自信がないわけではないが、他人に自分の夢や願いを語るというのは、うちあけるというのは、やはりどこか、こっぱずかしい気持ちがする。

 人は慣れる生き物なので、恥ずかしく思う気持ちや、プレッシャーといったものは、繰り返していれば、いずれ大したことではなくなるらしい。だが、あいにく、自分はその域には達していないようだ。

 その域には達していない、などという表現をすると、いかにも、ある程度の経験はあるようかのように聞こえるかもしれないが、正直に白状しておこう。

 

 そもそも、自分はその手の質問を誰かにされて、真面目に答えたことなんて、一度もない。


 たしか、小学生の低学年の頃に、そのようなテーマの作文が宿題で出されたことがあったかもしれない。

 しかし、当時、信念をもって不真面目を通していたオレは、たとえ書いたとしても、きっとジョークや皮肉だらけの思いつきばかりでごまかしたはずだ。

 つまり、この面談で、オレは、自分の願いを、他人に初めてうちあけるのだ。


 オレの初体験は、今日初めて会う、見ず知らずの市長さんに奪われてしまうのである。


 なるほど。緊張してくるのも無理はない。

 せめて、市長さんがオレのタイプであることを祈ろう……。



 いや、ちがう。



 小学校よりも、もっと前だ。


 オレは過ぎ去ったことに興味はない。過去を振り返ることなど、ほとんどしないのだが、慣れないことを考えていたせいで、ぼんやりとではあるが、唐突に思い出した。


 小学校より以前だから、おそらく幼稚園の頃。


 オレは、この手の質問を、誰かにされたことがある。


 それが誰だったのか、自分はそれに何と答えたのかまでは思い出せない。

 しかし、オレはその時、ガラにもなく、大真面目に、正直に、自分が信じるそのままを答えたのだ。

 得意げに答え終わった後、その答えをあまりにもベタ褒めされてしまった。それで、ものすごく恥ずかしくなったことを覚えているから、間違いない。

 どうやら、初体験はすませていたようだ。


********


「藤谷様、面談室にお入りください」

 一安心したところで、ちょうど、アナウンスが流れた。

 初体験でないことが判明したが、市長さんがどんな人なのかは、それはそれで興味がないわけではない。

 それには、やはり、別の都市伝説が関係している。


 曰く、市長さんの姿は、会うたびに違っており、自己紹介の名前も毎回異なっている。


 曰く、こちらからの質問には、面談の内容に関係するもの以外、一切答えてくれない。


 面談が決まってすぐ、小学校の頃の友達で、一足先に市街区に引っ越したやつに、噂について聞いてみた。

 するとやはり、市長がどんな人だったのか、という質問に対する答えは、見事にバラバラだった。

 いかにも市長っぽい、黒人の中年男性だったというやつもいれば、20代くらいのセクシーな白人のお姉さんだったという人もいる。アジア系のよぼよぼなおじいちゃんの場合もあれば、スーツとメガネの良く似合うイギリス紳士のパターンもあったそうだ。


 面談は、机をはさんで向かい合った形で行われるのが基本のようだが、遠方に出張中のためか、モニター越しの時もある。

 他に共通していることといえば、面談に関すること以外の質問、例えば、市長さん自身に関する質問などをいくらしても「ご想像にお任せします」と言って、にっこりほほ笑むことぐらいのようだ。


 なぜそのようになっているのかについて、様々な推測がある。

 面談を終えたばかりの人が、次の市長役をしているのだとか、研究都市の住人から代表を選んで、持ち回りで「市長役」をやっているだとか、正体を隠したい市長が、ロボットを代役にしているのだとか。

 どれもこれも、それっぽくはあっても、わざわざそうする理由が、いまいちピンと来ないものばかりである。

 とは言え、オレにも、これといった納得のいく説は心当たりがない。

 心当たりがあるとすれば、有名なおとぎ話に登場するペテン師ぐらいである。


 いずれにせよ、初対面の目上の人と、机をはさんでしばらく同席するのだから、どうせなら、きれいなお姉さんのパターンであれば、真相など特にどうでもよかった。

 しかし、部屋の中で、エメラルド色の机の向こうから、オレを迎えてくれた今回の市長さんは、期待はずれにも、30代ぐらいの人の好さそうなおじさんであった。


 ハズレか。モニター越しだったらよかったのに。


「どうぞお座りください」

「失礼します」

 うながされるままに席につくと、「はじめまして。この研究都市の市長をしている者です」と手短な自己紹介があり、さっそく面談が始まった。

 その男が名乗った名前も、やはり、事前に調べたどの名前とも違っていた。


「お名前はなんですか?」


「藤谷統也です」


「生年月日は?」


「2078年の6月11日です」


「今年からアカデミーの中等部に編入されるのですね?」


「はい」


「市街区での住所は?」


「アカデミーの寮に入ります」


 事務的なやり取りが淡々と続く。


 もうすぐ例の質問に答えなければいけないのだが、何と答えるべきか、オレはまだ決めかねていた。

 そして履歴書などで提出済みな個人情報の確認が一通り済んだあと、

「お疲れさまでした。面談は以上となります。これで、藤谷さんも、研究都市の仲間入りですね。正式な書類は、後日寮の方に郵送されますので。」


 えっ?これで終わり?


 なんて答えようかまだ決まってなかったから、助かった気もするけど、なんか納得いかない。


 そういえば、友達に面談の様子を聞いたとき、市長の様子ばっかり聞いて、最後の質問になんて答えたのか訊くの、すっかり忘れてた。訊いても答えてくれたとは限らないけど、もしかして、「最後の質問」は単なるうわさだったのか?

 市長の姿が会う人ごとに違うことはどうやら事実みたいだから、そこから勝手に派生して、「願いが叶う」なんて伝説が生まれたにすぎなかったのかよ。


「ありがとうございました」


 モヤモヤして仕方ないが、用件は済んだので、立ち去るしかない。

 オレが席を立とうとすると


 「少しお待ちください。最後に一つだけ、おききしてもよろしいでしょうか」


 市長に呼び止められた。


「『面談』は先ほどで以上となります。なので、ここからは、私個人のお願いとなります。ですから、答えていただく義務はありませんし、お急ぎでしたら、今すぐお帰りいただいて構いません」


 突然のことで驚いたが、オレは席に座りなおすことにした。


「もちろん、お答えいただいた内容や、質問を聞いた後にお答えいただけなかったとしても、面談結果に一切の影響はありませんので、ご安心ください。」


 座りなおしたものの、例の質問にどう答えるかは、まだまとまっていない。

 それに、考えもしなかったが、もしかすると、全く別の質問をされる可能性だってある。もしそうだったとき、自分はどう答えるのだろうか。


「わかりました。お答えできるか分かりませんが、とりあえず、おききします」


 質問を聞く前にアレコレ考えても、それこそ仕方ない。質問の内容をきいてから判

断してもよいというのだから、そうしてみよう。


「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて、最後に一つお聞きします。あなたが『一番叶えたい願い』とは何ですか?」


「……。あっ……」

 

***************


 記憶というのは、自分のものでありながら、不確かで、案外思い通りにならないものである。

 詳細に思い出したいと思っても、楽しかったはずの思い出は、どんどんと薄れていってしまう。

 かと思えば、ふとしたきっかけで、二度と思い出したくない出来事が、そのときの感情や感覚と共に急にフラッシュバックすることもある。


 自分で自分に問いかけた時は、あいまいな答えしか浮かんでこなかったというのに、いざ他人から問われてみると、随分と勝手が違うようだ。

 その証拠に、市長に問われた瞬間、幼かった自分が、当時何を考え、それをどう語ったのかを、一字一句、鮮明に思い出したのだ。


 思い出してみてわかったことが二つあった。

一つは、昔の自分が思い描いた言葉や考えが、新しい言葉を覚えたり、経験を積むうちに、埋もれていってしまっていたこと。

 もう一つは、今の自分も、昔の自分と同じことを願っていて、だからこそ、昔の自分を誇らしく思えること。


 もしかすると、当時のオレがされた質問と、市長がした質問がそっくり同じで、それがきっかけになったのだろうか。でも、幼稚園児があんな丁寧なしゃべり方をするとも考えにくい。やはり、オレの思い違いだろう。

 なんと答えたのかは思い出せても、それを尋ねたのが誰だったのかは、やはり思い出せないが。


 もし、違う相手から同じ質問をされたとして、答える内容が同じだったとしても、一言一句同じ答えをする必要など、どこにもない。

 だが、そのときオレは、幼かったオレが自信満々に語ったその答えを、そっくりそのまま、もう一度答えることにした。


「僕の『一番叶えたい願い』は………」


 ***************



 オレは、この街で、たくさんの人と出会うことになる。みな、それぞれの願いを胸に、この街で暮らしている。



 ―――これは、オレと、オレが出会う大切な人たちが、それぞれの願いを叶えるまでの物語、そのほんの一部だ。



 ***************


「私の急なわがままにお付き合いくださり、ありがとうございました」


「いいえ。おかげで、私もずっと忘れていたことを思い出すことができました。こちらこそ、ありがとうございます」


 オレは、面談が始まる前の緊張がウソのように、すがすがしい気分になっていた。


「今お聞きした内容は、面談時にお聞きした個人情報と同様、我々からは、一切外部に公開いたしません。ですが、私に何を質問され、あなたがどのように答えたのか、あなたがそれを秘密にする義務もありません。」


「はい」


「では、私からは以上です。お気をつけてお帰り下さい」


「失礼いたします」


 ********


 面談室を出て、受付に向かうと、小さな端末を渡され、簡単な説明を受けた。


 これは、学園都市に出入りする人が全員もっている端末で、オレにとってはアガデミーの学生証も兼ねているそうだ。

 これ一つで、公共交通機関の利用や登録者同士の通信など、様々なことができるらしい。


「藤谷様のID情報はすでに登録済みですので、今から研究都市のゲートをお通りいただけます。」

 これでようやく、オレも研究都市の一員として認められたようだ。


 必要な荷物は全部寮に送ってある。

さっさと新生活の準備を終わらせて、研究所に父の顔でも見に行ってやろう。


父が務める研究所に向かう途中、オレは、ある女と出会うことになる。


そう。


お察しの通り、彼女が、今回のヒロインだ。


**********

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