NHK創作ラジオドラマ脚本賞応募作品~天高く

霜月りつ

天高く

登場人物


大吉(三七才)凧師

おまき(三二才)大吉の女房(一月前に死亡)

昇太(七才)おまきの連れ子

丸屋(四〇才)凧店店主・大吉へ凧の注文を出す

紅吉(こうきち)(三六才)陰間茶屋・紅屋(べにや)の主人・大吉の幼なじみ

芳三(三二才)凧師仲間

茂平(六五才)金貸し

金太(九才)昇太の遊び仲間

古着屋(四〇代)

子供A・B

男A ・B

物売り

長屋のおかみさんたち

凧揚げの観客




丸屋のN「江戸っ子ってのは凧揚げが好きでね。こいつぁ正月に限ったことじゃね  え、年がら年中揚げてるんだ。ただのんびり揚げてんじゃねえよ? 凧同士、ぶ

 つけあって相手を落とす喧嘩凧ってので遊ぶのさ。俺の店でもそんなんばっかだ  よ。

 え? 俺? 俺は丸屋というただの凧屋だよ。今もこれから凧を作ってる凧師の大 吉さんちに行くところさ」


○ 大吉の長屋(内)


  六畳一間の大吉の長屋の部屋。

  手に持った徳利を床に投げつける大吉。

  ガチャーンと陶器の壊れる音。


大吉「(酔っている)酒だ、酒買ってこい、昇太っ!」

昇太「(冷たく)もう酒屋は閉まってるよ、父ちゃん」

大吉「だったら居酒屋にでも行って徳利に酒をいれてもらってこい!」


  ガタガタっと引き戸があく。


丸屋「こんばんわ、大吉さん……なんだ、また飲んでんのかい」

大吉「ちっ、丸屋かよ」

昇太「こんばんわ、丸屋さん」

丸屋「ああ、こんばんわ、昇坊。父ちゃんずっとこうかい?」

昇太「ああ、昼からずーっと飲んだくれてるよ、酒くさくってたまんねえ」

大吉「うるっせえっ! 昇太」

丸屋「息子にそう言われたくなけりゃちょっとは控えなよ。大吉さん、注文した凧は どうなったい」

大吉「できてねえよ」

丸屋「ちょっとあんた……」

大吉「俺は今凧を作る気分じゃねえんだよ」

丸屋「そりゃあ、女房のおまきさんが死んでまだひと月だけど……そろそろ仕事を始 めないとさ」

大吉「わかってんならほっといてくれ」

丸屋「でもねえ、あんたは凧師なんだ。凧師が凧をつくらないでどうすんだよ」

大吉「うるせえっ、出てけっ」

昇太「父ちゃん!」


ガタガタっと引き戸が開いて二人の男がもみあう。


丸屋「大吉っつあん、あたしァあんたのことを心配して」

大吉「(かぶせ気味に)うるせえってんだよ、余計なお世話だ!」

丸屋「あんたの喧嘩凧を待ってる客だっているんだよ。在庫がなくて困ってるんだ」

大吉「ほかの奴の凧があるだろうが」

丸屋「あんたの凧がいいんだよ。凧をつくんなきゃ、おまんまの食い上げだろうが」

大吉「おまんまくらい食ってらあ!」

丸屋「おまきさんの薬代に借金だってこさえてたろう? どうすんだよ」

大吉「ほっといてくれ! とにかく今はほっといてくれってんだよ!(押し出す)」


  ぴしゃりと引き戸の閉まる音。


丸屋「(ため息)大吉さん……」


○ 大吉の長屋(外)


  カタカタとそっと引き戸が開く。


昇太「丸屋のおいちゃん」

丸屋「おお、昇坊」

昇太「せっかくきてくれたのにごめんね」

丸屋「いや、あたしは仕事だし、大吉さんの凧が好きだからな。それにしても毎日の んだくれてんじゃ昇坊も困るな」

昇太「ほんとだよ、大吉父ちゃんがあんな男だって知ってたら、母ちゃんが一緒にな るのを止めたのに」

丸屋「おいおい昇坊」

昇太「連れ子があってもいいから一緒になってくれえって大騒ぎしてさ、母ちゃん、 可哀相だから嫁にきたんだぜ」

丸屋「(笑い)まったくだ。おまきさんはよくできた女房だった」

昇太「母ちゃん、あの世で愛想つかしてらあ」

丸屋「だけどなあ、今大吉さんの面倒をみられるのは昇坊だけだ。父ちゃんのことよ ろしく頼むぜ」


  木枯らしが長屋の前の道を吹き抜ける。


丸屋「ぶるる、うーぃ、寒ィ。すっかり冬だあ。凧師はこれからが稼ぎ時っていうの によ。昇坊、あったかくして寝るんだぞ」

昇太「うん……」


丸屋が速足で去ってゆく。木枯らしの音、追いかける

ように。


○ 大吉の長屋(内)


大吉の長屋に朝が来る。

コケコケと鶏の鳴く声。

 長屋のおかみさんたちの元気のいい話し声が障子戸の向こうから聞こえてくる(今 日はあったかいねえ、とか亭主がいつまでもぐずぐずしやがってとか)。


物売りの声「あさりぃー、しぃじみーよーい」


トントンと大吉の部屋の障子を叩く音。


茂平「大吉さん、凧師の大吉さん」

大吉「(まだ眠い)だれでえ」

茂平「わしだよ、寿屋の茂平だぁ」

大吉「(焦って)あっ」


バタバタと布団から起き上がる大吉。

引き戸を開ける。


大吉「茂平さん、なにもわざわざこなくても」

茂平「なに、それがわしの仕事さね。で、大吉さん、今日が約束の日だがね」

大吉「あ、その……」


大吉、握っていた財布からチャリチャリと小銭を出し茂平に見せる。


茂平「なんだい、これは」

大吉「今はこんだけしかなくて……」

茂平「貸した金は二両と六〇文。利子がついて三両ちょうどだよ」

大吉「わかってるよ、今日、着物とかなんか質に入れて金を作ってくるから……」

茂平「(わざとらしいため息)わかったよ。それじゃあ三日待つからね」

大吉「ありがてえ、頼むよ、すんませんね」


引き戸の閉まる音。


昇太「父ちゃん……」

大吉「なんだよその面は。ふん、父ちゃんが凧を作りゃ借金くらいぱっと……(ため 息)」


○ 町中


人が大勢行き交う道。


物売りの声「笊やぁー、味噌こしぃー」

店先の声「いらっしゃいませ」「さあ、どうぞ見てってください」などざわざわと話 し声がする。

昇太「父ちゃん、あそこ、古着屋だよ」

大吉「ああ……行ってみるか」


○ 古着屋


ガタガタと戸を開く音。


古着屋「いらっしゃい」

大吉「あーこんちわ……着物を買ってほしいんだけどよ」

古着屋「どれどれ……」


バサバサと着物を広げる音。


古着屋「ああ、これだと三文くらいしかだせねえな」

大吉「なんだよ、それっぽっちかよ」

古着屋「こんなくたびれた着物にこれだけ出すだけでありがたく思いな」

大吉「そいつぁ俺の女房の形見なんだぜ」

古着屋「そりゃあ御愁傷様。いやなら他あたりな」

昇太「もういいよ父ちゃん、よそ行こう」

大吉「くそっ」

大吉、ばさっと着物をまとめる。


ガラガラバンッと勢いよく戸を開ける。


○ 町中


大吉「ちくしょう、足元みやがって」

昇太「父ちゃん」

大吉「ああ?」

昇太「やっぱ、凧、作ンなよ」

大吉「なんだと」

昇太「せっかく丸屋のおいちゃんが仕事くれるんだからさ……」

大吉「うるせえな、お前は簡単に作れっていうがな、ああいうのは気持ちが大事なん だ。気持ちがはいんなきゃ凧は揚がらねえんだよ」

昇太「でも」

大吉「なんだよ」

昇太「母ちゃんだって父ちゃんに凧を作ってほしいって 思ってるよ」

大吉「(怒鳴る)お前におまきのなにがわかんだよ!」

昇太「……っ(息をのむ)」

大吉「あっ……いや、その……」


色っぽい三味線の音などがBGMで。


紅吉「おや、大吉っつあんじゃないの、こんな町中で会うなんてね」

大吉「なんだ、紅屋の紅吉かよ」

紅吉「久しぶり。おまきさんの葬式いらいだねえ。おや、昇太もこんちは」

昇太「(固い調子で)……こんちは、紅屋のおいちゃん」

紅吉「おいちゃんはやめとくれよ、おにいさんって呼びな」

大吉「なあ紅吉。ものはそうだんなんだけど」

紅吉「なんだえ。幼馴染みだ、なんでも言っとくれ」

大吉「このおまきの着物、買ってくんねえか」

紅吉「おまきさんの着物?」

大吉「古着屋へ持っていったんだけど全然話しにならなくて」

紅吉「金がいるのかえ?」

大吉「ああ……」

紅吉「買ってもいいけどさ、そんなんで足りるのかい」

大吉「さあな」

紅吉「さあなって……しょうがないねえ。いいよ、ほらとっときな」


紅吉が財布から出す小銭の音。


大吉「すまねえな」

紅吉「いいさ、あとでまとめて返してもらうよ。なんだったら昇太をうちに預けない かい? かわいいから売 れっ子になるよ」

大吉「ばっ、ばっかやろう! 昇太を陰間になんかするけえ!」

昇太「おいら、陰間になったら売れっ子になる?」

紅吉「ああ、芳町一の陰間茶屋の店主のアタシが保証するよ」

昇太「ふうん、貧乏凧師よりか、いいかもね」

大吉「てめえっ、昇太!」

紅吉「はっは、言うねえ昇太」

大吉「まったくよお、憎ったらしいガキだぜ」

紅吉「昇太、なんかあったら相談にのるよ」

昇太「ありがと、紅屋のおいちゃん」

紅吉「お、に、い、さん!」


○ 河原


子供たちの遊び場になっている河原。

三人ほどの子供たちの歓声。

浅い場所を流れる水の音。


子供A「わあっ、また昇太の凧が勝った!」

子供B「昇ちゃん、つよいねえ」

昇太「へへへ」

子供A「父ちゃんに作ってもらったんか?」

昇太「ちげえよ、あんなやつ、凧なんか作っちゃくれねえよ」

子供B「じゃあ自分で作ったの?」

昇太「うん、まあな……(ためらいがちに)」

子供A「昇ちゃんの凧、よこっちょに刀がついてんのな、それで相手の糸切っちゃう んだな。おいらも刃をつけてみたけど、どうもうまくあがんねえんだ」

昇太「貸してみろ、おいらが見てやるよ」


ざざざ、と別な少年が土手を滑り降りてくる。


金太「おーい、昇太」

昇太「あ、金ちゃん」

金太「おいらの凧と勝負しろ! 昇太!」

昇太「金ちゃん……その凧……(動揺)」

金太「前に買ってもらった喧嘩凧だ!」

子供A「昇ちゃんの凧は負けやしねえよ!」

子供B「そうだ、昇ちゃん、やっつけちゃえ」

昇太「う、うん……」

金太「よし、あげるぞ!」


二人、凧を揚げる。

風の音が上空で。

 凧が上空にあがり「唸り」という音を出す。


子供A「金ちゃんの凧、すげえあがるなあ」

子供B「うん、あんなでっかいのに早いね」

子供A「昇ちゃん、がんばれ」

昇太「うん……(不安げに)」


風の音、凧の唸り。


子供A「あっ、金ちゃんの凧が突進してくる」

子供B「昇ちゃん、よけて!」


ばーんと凧がぶつかる。


昇太「あっ」

子供A「あーあ……」

子供B「昇ちゃんの凧が負けちゃった……」


昇太、河原を走って凧を取りにいく。


金太「みたか、昇太。おいらの勝ちだ!」

子供A「金ちゃん、その凧みせてよ」

子供B「すっごいなあ、金ちゃん」


子供の声、フェードアウトしてゆく。


○ 河原


川の流れる音。

川辺に一人でいる昇太のもとへ、さくさくと草を踏 んで丸屋がやってくる。


丸屋「おい、昇坊」

昇太「あ、丸屋のおいちゃん……」

丸屋「見てたぞ、今。昇坊お前、ズルしただろ」

昇太「えっ」

丸屋「わざと負けただろ」

昇太「ち、ちがうよ」

丸屋「あたしだって凧で食ってんだ、そのくらいわかるさ」

昇太「……」

丸屋「なんでだかあたしが当ててやろうか」

昇太「え……」

丸屋「あのふとっちょのガキの持ってた凧、ありゃあ大吉さんの凧だよな」

昇太「……っ(息を飲む)」

丸屋「あたしが見間違うわけねえ。うちの店で扱ったやつじゃねえけど、大吉印の凧 だ。おまえは父ちゃんの凧を負かしたくなくて、遠慮ってやつをしたんだろ」

昇太「ち、ちがわい!」

丸屋「違うもんか、大吉印の凧がガキの凧に負けちゃ名が地に落ちちまわあ、だから お前は勝てなかった、いや、勝たなかったんだ」

昇太「ちがうちがう! おいらの凧が弱かっただけだ!」

丸屋「昇坊……」

昇太「なんでおいらがあんなやつに遠慮なんかしなきゃなんねえんだ、あいつ、前は ちょっといい凧を作ってたかもしんねえけど、今はただの酒飲みじゃねえか、そん なやつにどうして」

丸屋「(かぶせるように)昇坊、」

昇太「放っておいてくれよ!」


昇太が川の中を走ってゆく。


丸屋「まったく……似た者親子だよ」


水の跳ねる音フェードアウト。


○ 大吉の長屋(内)


大吉が長屋の部屋で昼間から一人、酒を飲んでいる。

ガタガタと障子戸の開く音。


丸屋「大吉さん、いるかい」

大吉「(舌打ち)またきやがったよ、こいつぁ」

丸屋「とんだご挨拶だね、いい話をもってきてやったのに。ああまた昼から飲んで」


ぐびりと酒を飲む大吉。

部屋にあがりこむ丸屋。


大吉「凧を作れってんだろ、わかってる……」

丸屋[(かぶせ気味に)勝負だよ、大吉さん」

大吉「なんの話しだよ」

丸屋「日本橋に中村屋って炭問屋があるんだが、そこのご隠居が凧好きで有名なん  だ。とくに喧嘩凧がね。それで正月を前に喧嘩凧の公開勝負に賞金を出すってんだ よ」

大吉「公開勝負……」


バンと畳を叩く丸屋。


丸屋「どうだい、凧師として燃えてくるだろう、あんたの凧で勝負しないかい?   勝ったら賞金で借金なんかすぐ返せちまうよ!」

大吉「丸屋さんよ」

丸屋「なんだい」

大吉「あんたが俺を心配してくれんのはわかるよ。だけどよ、ほっといてくんねえか な」

丸屋「大吉さん」

大吉「俺はまだ凧を作る気になんねえんだよ……もうちょっとだけ……ほっといてく れ」

丸屋「あきれたね、大吉さん」

大吉「……」

丸屋「あんたがそんなんだから、昇坊の作る凧にも負けちまうんだ」

大吉「昇太の凧が、なんだって?」

丸屋「こないだ昇坊が自分で作った喧嘩凧あげてるのをみたよ、そりゃあいい出来  だった。だけど、近所の金持ちの子の持ってきたでかい凧に負けちまったんだ   よ。でもそれはわざとだ。わざと負けたんだ」

大吉「なんでわざとなんて」

丸屋「その凧があんたの凧だったからさ」

大吉「(衝撃)――え、」

丸屋「昇坊はあんたの凧に勝つわけにいかないってわざと負けたんだ。あんたの名前 に傷をつけたくなくてね」

大吉「う、……」

丸屋「実の子でもないのに、そこまであんたを思ってくれる昇坊の気持ちを考えな  よ。あの凧はおまきさんが病気のときに、あんたが気もそぞろにつくったダメ凧  だ。あんたが新しい凧を作ンないかぎり、ああいう凧が大吉印になっちまうんだ  よ、それでいいのかい」

大吉「う、うるせえっ」


ガシャンッとお膳を払いのける大吉。徳利や茶碗が

壁にぶつかって割れる。


大吉「人のうちのことをどうこうと。俺が作れないって言ってんだからほっとけよ! 大体、昇太が凧を作ろうとどうしようと俺には関係ねえ! あいつが凧を作ったっ て、俺はあいつを跡継ぎにしようだなんてコレっぽっちも思ってねえ! あいつは 俺の子じゃねえんだから!」

丸屋「大吉さん!」

大吉「あてつけみたいによぉ! 勝手に凧なんざ作りやがって、頭にくる! あんな やつどうとでもなるがいい!」


カタンと凧を落とす軽い音。昇太が戸口で聞いてい た。


丸屋「しょ、昇坊!」

大吉「えっ?!」

昇太「……父ちゃん」

丸屋「昇坊……」

昇太「(泣く)父ちゃんなんか大嫌いだっ」


昇太走り去る。子供の軽い足音。


丸屋「ああ、どうしよう。昇坊、今の聞いちまったよ、大吉さん」

大吉「(うろたえつつ)ふ、ふん、ほんとのことだ、別に俺ぁ……」

丸屋「(かぶせ気味に)昇坊、待っとくれ!」


走ってゆく丸屋、昇太に比べどすどすという鈍い音。

大吉、戸口まで出て様子を見る。


大吉「くっそぉ……」


○ 大吉の夢


ほのぼのとしたBGM。


大吉「おまきさん、頼む! 俺と一緒になってくれ!」

おまき「大吉さん……」

大吉「お前ぇをきっと幸せにしてみせるから」

おまき「あんたの気持ちは嬉しいけど……でも、あたしは子持ちなんだよ」

大吉「昇太だろ? 凧師の俺に昇太って名前は縁起がいいや。俺は昇太も必ず大事に するよ」

おまき「大吉さん……」

大吉「な、昇太。おいちゃんの子供になりな、俺の跡を継いで凧を作ってくれ。俺た ちは家族になるんだよ」

昇太「おいら……」

大吉「昇太」

昇太「おいら、あんたなんか嫌いだ!」


○ 大吉の長屋(内)


コケッコッコと鶏の声、長屋のおかみさんたちの

「おはよう」の声。

大吉、がばっと布団をはねのけ、


大吉「昇太!」


チュンチュンと間の抜けた鳥の声。

大吉、溜息をついて顔を覆う。


大吉「昇太……とうとう戻ってきやがらなかった。くそっ、あいつ……ガキのくせし て家出かよ」


トントンと障子を叩く音。


大吉「(息をのむ)……っ」


飛び起きて戸口に駆け寄る。

ガタガタッと勢いよく障子を開く。


大吉「昇太、てめえっ」

茂平「わあ、驚いたね、大吉さん」

大吉「も、茂平さん」

茂平「おはようさん」

大吉「あの、金ならもう少し待ってくんねえ」

茂平「金ェ? いや、それならもう返してもらったよ。今日は証文を持ってきたん  だ」


カサカサと茂平は薄い紙を開く。


大吉「へ?」

茂平「昨日、昇太ちゃんに渡せればよかったんだけど、わしも出先だったもんでな。 ほれ、証文―――」

大吉「(かぶせて)しょ、昇太に会ったのか」

茂平「いやしかしあんたもよく決心したね。息子を陰間に売るなんて」

大吉「うえっ?!」

茂平「昇太ちゃんがそう言ってたよ。これから紅屋さんにお世話になるって。それで 三両きっちり返してもらったよ」

大吉「な、なんだってええ!」


○ 町中


物売りの声「竹やぁ~樋竹ぇ~」

男女の笑い合う声。

町中を走ってゆく大吉。

どん、とぶつかる。


男A「おっと、あぶねえ!」

大吉「(はあはあと荒い呼吸)」

女「きゃあっ」

大吉「どいてくれ!」

男B「おい、てめえっ、ぶつかっておいて」

大吉「急いでんだ、通してくれ!」


町中を駆けてゆく大吉。


○ 陰間茶屋、紅屋(店先)


艶っぽい三味線の音色が聞こえている。

広い土間で叫ぶ大吉の声が響く。


大吉「昇太! 昇太ぁ!」


木の床を素足で歩く足音。

店主の紅吉がぞろりとした振袖をひきずって出てくる。


紅吉「おや、大吉っつあん、いらっしゃい。とうとう男に転ぶ気になったかえ」

大吉「紅吉! てめえっ!」

紅吉「なんだいやぶからぼうに。着物を離しとくれ、破れちまう」

大吉「昇太はどこだ! 昇太を返せ!」

紅吉「返せってどういうことだい。昇太とはちゃんと売買の取引が済んでんだよ」

大吉「馬鹿を言うな! 昇太はまだガキだ!」

紅吉「ガキでもちゃんと自分のおつむで考えた末のことさ」

大吉「(かぶせて)昇太! 昇太ぁ! 出てこい、帰ぇるぞ!」

紅吉「ちょっと、大吉っつあん」

大吉「父ちゃんの言うことが聞けねえのか!」


ガタンと戸の開く音。


大吉「昇太!」

昇太「あんたはおいらの父ちゃんじゃないんだろ!」

大吉「昇太!」

昇太「おいらだってあんたの子じゃねえ、おいらは売れっ子の陰間になるんだ!」

大吉「しょ、昇太」

昇太「もう帰れ!」


ぴしゃりと戸の閉まる音。


大吉「昇太……」

紅吉「大吉っつあん。あんた、昇太に、実の子じゃない、どうとでもなれって言った んだって? だから昇太はアタシんとこに来たんだよ」

大吉「そ、それは……」

紅吉「あんたが昇太を取り返したきゃ、身請け代三両、きっちり耳を揃えて持ってく るんだね」

大吉「紅吉!」

紅吉「幼なじみのよしみだ、一〇日待ってやるよ。一〇日後には昇太は店に出すよ。 いいね、一〇日後、三両だよ!」


○ 陰間茶屋、紅屋(座敷)


紅吉がスー、カタン、と襖を開ける。


紅吉「昇太」

昇太「……」

紅吉「大吉っつあん、帰ったよ」

昇太「(放り出すように)そう」

紅吉「ほんとにいいんだね」

昇太「いいんだよ。おいちゃん言っただろ、おいら売れっ子になれるって。おいら貧 乏凧師より陰間の人気者になって金を稼ぐんだ」

紅吉「昇太……」

昇太「凧師なんてくだんねえ。凧を作らねえ凧師なんて、もっとくだんねえよ……」


○ 大吉の長屋(内)


たったったと丸屋が道を走ってくる。

ガタガタッと戸が焦って開かれて。


丸屋「(息せききって)だ、大吉さん」

大吉「ああ……なんだ、あんたか」

丸屋「さ、酒なんか飲んでる場合かよ、昇坊が紅屋に行ったって本当かよ!]

大吉「ほんとだよ。あいつが自分から紅屋に身を売ったんだ」

丸屋「ばかな、昇坊はまだ子供じゃないか。そんなこと考えるわけが……」

大吉「(さえぎって)自分から行ったんだ! 売れっ子の陰間になりたいって!」

丸屋「大吉さん……」


カチカチと徳利と杯の触れ合う音。

酒を注いでずずっと飲む大吉。


大吉「ちきしょう、あいつ……俺の気持ちもしんないで……」

丸屋「(ため息)俺の気持ちって、大吉さん。あんたあの子に親らしいことしたこと あるのかい」

大吉「え……」

丸屋「おまんま食わせるだけが親じゃないよ。子供は親の背中みて大きくなるんだ。

懸命に仕事してる親の背中をさ。今のあんたの背中は親のものじゃないよ」

大吉「う、うるせえ」

丸屋「ちゃんと親の努め果たして、それから文句を言いなよ」

大吉「……」


○ 陰間茶屋、紅屋(座敷)


つたない三味線の音。雨だれのようにぽつんぽつんと鳴っては消える。

陰間茶屋・紅屋である。


紅吉「昇太やい」

昇太「あ、おいちゃん……じゃねえや、おにいさん」

紅吉「三味の練習かえ?」

昇太「うん、陰間はこういうのうまくないといけないんだろ」

紅吉「まあ、芸は身をたすくって言うから、何ももってないよりはマシだけど……」


ぽつんぽつんと三味線を鳴らす昇太。


紅吉「下手だねえ」

昇太「仕方ねえだろ、始めたばかりだし」

紅吉「貸してごらん」


紅吉、昇太から三味線を受け取り弾き始める。


昇太「おにいさん、上手だねえ」

紅吉「(弾きながら)ふん、アタシがどれだけ練習したと思ってるんだい」

昇太「おいらだって練習したらうまくなるよ」

紅吉「お前の手は三味線を持つにはむいてないんだよ。お前の手が似合うのは竹ひご

や紙や糊……凧だろう?」

昇太「おいら、凧はつくんねえ……」

紅吉「大吉の凧を負かすくらい強い凧を作ってたって丸屋が言ってたよ」

昇太「負かしてねえよ」

紅吉「そうかえ……」

昇太「おいら、凧なんか嫌いだよ」

紅吉「そうかえ……」

昇太「三味線、貸して」


紅吉、昇太に三味線を返す。

ぽつんぽつんと三味線を鳴らす昇太。


○ 大吉の長屋


障子戸を開ける丸屋。


丸屋「こんにちは、大吉さん」

大吉「(寝ころがっている)ああ」

丸屋「これ、返しにきたよ」

丸屋が畳の上に凧を置く。

大吉「なんだいこれは?」

丸屋「こいつぁ昇坊の凧だよ。あんたんちから飛び出た時、落としていった凧だ」

大吉「(起き上がる)これをあいつが……」


大吉、凧をとりあげる。


大吉「角凧か。てっぺんに何か塗してあるな」

丸屋「ああ」

大吉「こいつぁ、……そうか、シジミの殻を砕いて糊で張ってあるのか」

丸屋「昇坊みたいな子供にはガラスは手に入れられないからな」

大吉「いい工夫だ。それに刀みたいに両脇から爪が出てる。こいつも貝殻か。やるな

あ、あいつ」

丸屋「うれしそうだね、大吉さん」

大吉「そ、そんなことねえよ、こんな凧、不格好だし、まだまだだな」

丸屋「あんたの仕事をちゃんとみてなきゃ作れないと思わないかい」

大吉「う……」

丸屋「その凧をしっかり見なよ大吉さん。そんで昇坊のこともしっかり考えるんだ

ね」


○ 大吉の夢


にぎやかな祭りの音。

笛や太鼓、人のざわめきや笑い声。


幼い昇太「父ちゃん、母ちゃん、こっちだよ、ほらあんなに凧が揚がってる!」

おまき「昇太、そんなに走ったら転ぶよ」

幼い昇太「父ちゃん、肩車しとくれよお」

大吉「わかったわかった。ほらよ」

幼い昇太「わあ、高い! 父ちゃん、遠くまでよく見えるよお! 凧がいっぱいだ

あ、ねえ、あの一番揚がってんの父ちゃんの?」

大吉「ああ、そうだ。大吉印の凧だぞう」

幼い昇太「わあ、すげえ、すげえなあ」


ぶうんと凧の唸りの音。


大吉「おいおい、そんなに足をばたばたすると落っこちるぞ」

今の昇太「大丈夫、おいら飛べるもん」

大吉「(笑い)飛べるって……あ、(うろたえ)おい、昇太?」

今の昇太「(遠くから)ほら、おいら飛んでるだろ」

大吉「昇太! どこいくんだ! 降りてこい!」

今の昇太「(遠くから)おいら、母ちゃんのとこ行くんだ……」

大吉「昇太! 戻ってこい! 昇太、戻ってくるんだ、俺を置いていくな! 昇

太ぁ!」


○ 大吉の長屋(内)


ちゅんちゅんと雀の声コケコッコと鶏。

長屋の女将さんたちの朝の挨拶。


大吉「昇太……」


あはは、と子供が笑いながら家の前を駆けてゆく。


大吉「(息を飲む)……っ」

大吉「昇太……」

 

ぱんっと顔を手で覆う大吉。


○ 丸屋の店


ガタガタと戸の開く音。


丸屋「らっしゃいませ……って、なんだ、大吉さんかい。珍しいねあんたの方から」

大吉「丸屋さん」

丸屋「どうしたね」

大吉「その……炭問屋の旦那の開く公開勝負の話し――もっとよく聞かせちゃくれね

えか」

丸屋「大吉さん……」

大吉「俺はあんたの言う通り、親の勤めを果たしていなかったよ。おまきが死んで俺

ばっかり悲しくて。でもほんとはお袋を亡くした昇太が一番悲しいんだよな」

丸屋「大吉さん」

大吉「昔は昇太も俺に懐いてくれてた。それは俺が凧を作ってたからだ」

丸屋「その通りだよ、大吉さん。憎まれ口は叩くが、あの子はあんたの凧とあんたが

大好きに違いないよ。でなきゃあ、あんな立派な凧は作れない」

大吉「俺……昇太もなくすわけにはいかねえんだ。あいつを大事にするっておまきと

約束したんだから」

丸屋のN「その日から大吉さんは人が変わったように熱心に凧に取り組み始めた。

もともと腕のいい職人だ、凧はすぐに形になった。だけど―――」


○ 河原


河原の石を踏む音。水のせせらぎ。


丸屋のN「大吉さんが凧を作り出して最初の試作品ができた。大吉さんはそれで同業

者の芳三さんと試し勝負をすることにした。あたしもその場に立ち会ったよ」

大吉「じゃあ、試しに揚げてみるぜ。芳三、頼むよ」

芳三「ああ、俺も賞金を狙ってるからな。大吉が相手ならこっちも文句ねえ」

大吉「よし、勝負だ!」


風の音。


丸屋「おお、大吉さんの凧も芳三さんの凧も勢いよくあがってくなあ!」

大吉「俺は糸にガラスをまぶしてみたんだが」

芳三「ちょいと糸が重そうだぜ」


凧のうなりの音と風の音。


丸屋「芳三さんの凧、すばやいな」

芳三「紙を工夫してみたんだ」

大吉「勝負してみるぜ」

丸屋のN「先に上をとったのは芳三さんの凧だった。それを大吉さんの凧が迫ってい

く。糸を絡ませてまぶしたガラスで切るつもりなんだ。あ、芳三さんのが逃げた、

と思ったら上から急降下、ああっぶつかった!」


バシンと凧同士のぶつかる音。


大吉「あっ!」

芳三「やった!」

丸屋のN「大吉さんの凧は試し勝負した芳三さんの凧に負けてしまった。大会の日ま

であと七日。大吉さんは部屋にこもって凧の改良にとりかかった」

大吉「ちっくしょう!」


バリバリとやけくそに凧を壊す音。


丸屋のN「大吉さんの凧はなかなか完成しなかった」


○ 陰間茶屋・紅屋


少しはましになった昇太の三味線。それでもまだ拙い。


紅吉「昇太、ちったあ上達したみたいだね」

昇太「(弾きながら)そうだろ? おいら陰間の才能あるかな」

紅吉「ねえ、昇太。大吉っつあんが凧を作り出したってさ」

昇太「えっ?」


バチン、と大きく音を外す。


紅吉「公開勝負に向けて凧を作ってるらしいよ。賞金はなんと一〇両」

昇太「へえ……」

紅吉「まあ試しに作った凧はすぐに負けちまったらしいけどね。大吉っつあんも腕が 鈍ったかねえ」

昇太「そんなことねえよ、父ちゃんが本気になりゃあ、すごい凧が作れるさ」

紅吉「ふうん」

昇太「父ちゃんの本気の凧はくるくるよく動いて敵の凧をすぱすぱ切っちまうすげえ 凧なんだよ、格好いいんだ」

紅吉「(笑い)昇太、お前、本当は父ちゃんのこと好きだろ、大好きだろ」

昇太「ち、ちげえよ。おいら、父ちゃんの凧はいいって言ってるだけだ」


ジャカジャカと三味線を鳴らす昇太。


○ 大吉の長屋(うち)


障子戸を開ける丸屋。


丸屋「どうだい、あんばいは」

大吉「うまくいかねえ」

丸屋「うまくいかねえって、……また酒を飲んでんのかい」

大吉「俺はどうやって凧を作ってたのかよくわかんなくなっちまったよ、丸屋さん」

丸屋「泣き言かい」

大吉「……」

丸屋のN「大吉さんは芳三さんに負けてからほとんど寝ていないようだった。毎晩凧 を作っては壊し、作っては壊し、期日だけはどんどん迫っていていたけれど、なか なかものにならないようで」


○ 大吉の長屋(内)


しゅんしゅんとお湯のわく音。

長屋の部屋にいる大吉。


大吉「(うつろに)昇太……おまき……」


バタバタと駆け込んでくる足音。

勢いよく戸が開く。


丸屋「(はあはあ)大吉さん!」

大吉「ああ……?」

丸屋「(息せききって)大変だよ、駒形の源次って奴の 凧、とんでもない物らしい よ!」

大吉「とんでもない……?」

丸屋「凧の上に角があるんだけど、そいつが本物の刃物なんだって!」

大吉「ばかな。そんなのつけたら重くてあがらねえだろう」

丸屋「それが、鍛冶屋に特別に打ってもらった紙みたいに薄い刃だって話さ! 試し 揚げを見た奴の話じゃ、するする揚がったらしいよ」

大吉「紙みたいに、薄い刃、か」

丸屋「大吉さんはやっぱりガラスの粉を使うのかい」

大吉「そのつもりだったが」

丸屋「だめだよ、相手は刃物だ。太刀打ちできねえよ」

大吉「くそう……」


○ 陰間茶屋・紅屋


艶っぽい三味線の音色。

こっそりと廊下を進む足音。

キィッと床が鳴る。


紅吉「昇太!」

昇太「ひえっ」

紅吉「こんな夜更けにどこへ行くんだい」

昇太「あ、お、おいら便所に」

紅吉「嘘をお言い。陰間が勝手に茶屋を抜け出したらお仕置きだよ」

昇太「お、おいら」

紅吉「明日の凧勝負を観に行くつもりなんだろ。大吉っつあんの応援かえ」

昇太「ちがうよ、おいら、あんなやつなんて」

紅吉「安心おし。明日アタシが深川に連れてってやるよ」

昇太「えっ?!」

紅吉「大吉っつあんが無様に負けるとこみせてやるよ、そしてお前は陰間になるん  だ」

昇太「……っ」


○ 府下側十万坪(埋め立て地)


ひゅーっと風の吹く音がする。

ざわざわと大勢の話声が風にちぎれてとぎれとぎれ。

どーんどーんと太鼓の音。

 ときおり「おおーっ」と歓声があがる。


丸屋のN「いよいよ賞金のかかった喧嘩凧大会がはじまった」


   「うおーっ」と歓声。


丸屋「場所は凧揚げの名所、江戸深川十万坪の埋め立て地。正月ともなれば毎日ここ でたくさんの凧があがっている。でも今日はそんなのどかな風景じゃねえ。揚がっ てるのは全部殺気走った喧嘩凧。あっちこっちで凧が落ちたり流されたり、当たる を幸いの乱戦だ」


ひゅうと風の音。凧の唸りも聞こえる。


芳三「(駆け寄ってくる)丸屋さーん」

丸屋「おお、芳三さん、残念だったね」

芳三「面目ねえ、いいとこまでいったと思ったんだがな。源次にやられた」

丸屋「さすがにあいつの凧は強いようだね」

芳三「あの刀は反則だよ。俺の凧も袈裟掛けみてえにばっさりだ、ほれ」

丸屋「ほ、ほんとだ。真ン中の骨まで切れてやがる」

芳三「大吉はまだ来ねえのかい」

丸屋「ああ、ったく、なにしてんだか」

大吉「(遠くから}おおーい」

丸屋「あっ、大吉さん!」


大吉が駆け寄ってくる。


大吉「(はあはあ)まだ間に合うだろうな」

丸屋「遅いよ大吉さん、さあ早く手続きしてくれ」

大吉「源次の凧はどうでえ」

丸屋「ああ、スパスパ辻斬りみたいに切ってまわってるよ」

大吉「そいつもこれで打ち止めだ」

丸屋「(驚く)大吉さん、これはやっこ凧じゃないか」

大吉「そうだ、やっこだよ。このやっこが源次の凧を返り討ちにしてくれる」

丸屋「いまどきやっこだなんて」

大吉「流行おくれだと言いたいんだろ。だがな、俺の工夫にはやっこが一番なんだ」

丸屋のN「江戸凧の世界にもはやりすたりがある。ひところは鳶凧という、トンビの 形をした立体の凧が流行ったが、そのあと、やっこ凧が一世を風靡した。だが最近 ではそれも飽きられ、今は華麗な絵が描かれてい る角凧一色だ。大吉さんのやっ こはいかにも野暮ったくみすぼらしく見えた」

大吉「見てろ」


風の音、唸りの音。


芳三「丸屋さん、やっこ凧なんて、大吉の野郎、何を考えてんだい」

丸屋「さあ、わかんねえ。これだけの角凧の中じゃあ、大吉さんのやっこは小さく見 えるなあ」

丸屋のN「空には豪華な絵の角凧がたくさん揚がっている。その中に混じって大吉さ んの凧は小さい。だけどその小さい凧は、縦横無人に角凧の間を飛び回った」

芳三「あっ、角凧の糸が!」

丸屋「切れた! 大吉さんの凧が通り過ぎたら。あっ、あっちも! こっちもだ!」

芳三「なんでだ? かすめているだけなのに」

丸屋「あのやっこには刀も角もない、なのになんであんなに相手の凧を切ってしまう んだ?」


渦巻く風の音。


大吉「よぉし、よし、もうちょいこっちこい、こっちこい、かかってこい。俺のやっ この餌食となるがいいぜ」


バスン、と紙を裂く音。

観客の歓声。

どーんどーんと太鼓の音。


丸屋「だ、大吉さん」

大吉「おお、丸屋の。俺の凧を見てるか」

丸屋「見てるよ、びっくりだ。いったいどういう仕掛けなんだい」

大吉「ああ、見せてやるよ」


風の音。

大吉が凧を引き寄せ、紙の面を触る。


大吉「見てみろ、俺のやっこの腕と頭を」

丸屋「おお、こいつぁ」

大吉「俺は凧の骨を削ってこいつ自体を刃のようにしたんだ。この竹を探すのに苦労 したぜ。軽くて薄くて硬いこの骨をよ」

丸屋「こいつぁすごい工夫だ」

大吉「昇太の凧が骨に貝殻の粉をまぶしているのを見て思いついたんだ。骨自体を武 器にすればいいって」

丸屋「いける、いけるよ、大吉さん」

大吉「さあ、もう駒形の源次の凧しか揚がってねえな。勝負といくぜ」

丸屋「がんばっとくれ、大吉さん」


どーんどーんと太鼓の音。

風と唸りの音、観客のどよめき。


丸屋のN「青い空の中に、あれだけいた凧はもう大吉さんのやっこと源次の角凧だけ になっていた。今そのふたつの凧がぶつかりあう」

大吉「ちくしょう、源次のやつ、でかいくせによく動く」


風の音。


丸屋のN「大吉さんの凧と源次の凧は、二間ほどの間を置いて睨みあった。源次の凧 がするする揚がる。大吉さんの凧が追いかける。糸をかすめるが、源次の凧糸は特 別な細工がしてあるらしくなかなか切れない。大吉さんは糸をあきらめ、直接角凧 に向かっていった」

大吉「どてっぱらに風穴開けてやる!」

丸屋のN「大吉さんの凧が斜めに駆け抜ける。源次の凧がひらりと避ける。避けて体 勢を立て直し、下からぶつかってきた」

大吉「あっ」


観客のどよめき。


丸屋「大吉さんの凧がななめにかしいだ! いや、しのいだ、下に下がって持ちこた えた。そこにまた源次の凧が上からぶつかってゆく。巨大な源次の凧はその重みで 大吉さんの凧の紙をやぶろうとする、あぶない!」

大吉「くそっ、くそっ! でかいくせにせこい真似を」


ドーンドーンと太鼓の音。


紅吉「ごらん、昇太。大吉っつあんの凧、負けそうじゃないか」

昇太「(不安げ)あ、あ……」

紅吉「やっぱりダメだね。大吉っつあんはもう凧を作る才能がないんだよ」

昇太「ち、ちがう」

紅吉「ほら、逃げてばっかじゃないか」

昇太「ちがう! 父ちゃんの凧は、父ちゃんは……」

紅吉「昇太……」

昇太「父ちゃーん!」

大吉「(息を飲む)……っ」

丸屋「大吉さん! 向こうの土手に昇坊が!」

昇太「父ちゃん、がんばれ! 負けんじゃねえ! 大吉

印は、大吉印は、絶対に勝つんだ―――!」

大吉「昇太……昇太ぁ!」


風の音。


丸屋のN「大吉さんは源次の凧から距離をとった。二人とも冷たい風の中で額に汗を 光らせている。凧がふたつ、空の中で睨みあっている」

昇太「父ちゃん……」

丸屋のN「源次の薄い刃が勝つか、大吉さんの鋭い骨が勝つか」

芳三「動いた!」

丸屋「ふたつの凧が同時に動いた。一撃に賭けるつもりだ。刃と骨、角とやっこ、凧 を繰る糸の一瞬の操作が明暗を分ける」

大吉「駒形のぉ!」


ざくり。


どよめき。歓声。


丸屋「や、やったー!」

芳三「勝った! 大吉が勝った! 源次の凧を切りやがった!」

昇太「父ちゃん! 父ちゃん!」

紅吉「やったね、大吉っつあん」

大吉「昇太ァッ!」


かけ下りてくる昇太。大吉、昇太の体を抱きしめる。


昇太「父ちゃん、やった! やったね!」

大吉「昇太、昇太、すまねえ、勘弁してくれ」

昇太「父ちゃん……」

大吉「息子じゃねえなんて言ってすまなかった。ずっと謝りたかった。お前は俺の息 子だ。お前の凧のおかげで俺は勝てたんだよ」

昇太「父ちゃん……」

紅吉「大吉っつあん」

大吉「紅吉、昇太を返してくれ」

紅吉「金さえ返してくれれば文句ないよ」

大吉「賞金はやる、だから……」

昇太「おいちゃん、」

紅吉「あいよ」

昇太「ごめんね。おいら、陰間にはなれねえ。おいら凧

師になるんだ、父ちゃんみたいな凧師になりたいんだ」

大吉「昇太……」

紅吉「わかってたよ。お前みたいな三味線の下手な陰間はいらないよ」

丸屋「(感激して泣いている)大吉さん、よくやった。あたしは信じていたよ」

大吉「丸屋さん、ありがとう、あんたのおかげだ。あんたが俺を見捨てなかったか  ら」

丸屋「なに言ってんだい。ほんとにおめでとう(鼻をすすりあげる)」

大吉「昇太!」


大吉、昇太を抱き上げる。


昇太「と、父ちゃん、おろしてくれよ。おいらもうそんな子供じゃねえよ」

大吉「そうかな、お前はまだまだガキだよ」

昇太「ガキじゃねえって」

大吉「そうら、どうだ。遠くまで見えるだろ」

昇太「父ちゃん……」

大吉「なんだ?」

昇太「おいら、凧が揚げてえ。大吉印の凧を」

大吉「よおし、わかった。じゃあ凧を揚げようぜ。俺とお前の、新しい凧だ」

昇太「うん!」


太鼓の音、人のざわめき、歓声。

昇太や大吉の笑い声とまじって、FO。



            終わり

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

NHK創作ラジオドラマ脚本賞応募作品~天高く 霜月りつ @arakin11

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ