第2話



 パチパチと焚き木が爆ぜる音が時折する。長野ちゃんを寝かせて、俺と師匠だけで話を続けることにした。


「理解できないよ!その人も!磯野さんも!」


 そう長野ちゃんは言ってたな。無理もないか。急にはるか彼方の異星に飛ばされるわ、倒さないと世界が滅ぶが自分が倒すと世界が滅ぶとか、朦朧としたアタマで聞かされたらたまったもんじゃないよな。


「本当に、すまない」


 師匠は心からそう思っていそうである。しかし師匠とは一体何者なんだ。ちょっと料理と武芸に秀でた、アニメ好きのおっさんだと思っていたのだが。カニをバリバリと齧りながら、そう思う。


「そう思ってるなら!帰してよ!地球に!」

「……ここでやることが済んだら帰そう。約束する」

「本当に?」

「あぁ。まずは少し休め」

「……うん」


 そんなやりとりをしているうちに、どこから出したのか、ビニールシートやマットレス、毛布がある。長野ちゃんをひとまずそこに寝かせた。疲れていたのだろう、すぐ寝息をたてはじめた。


「さて……お前が信じるかどうかはわからんが、どちらにせよお前に倒してもらうやつがいる」

「どんな奴だ?」

「……ガンとでも言えばいいのだろうか。とにかくそいつが広がっている」

「ガンなら医者に頼むべきだろ?」


 師匠がクビを横にふる。そんなに医者が嫌なのか?


「その前に、お前にこの世界と私という存在について少し話そう」

「それ必要なのか?」

「話す上では必要だな」

「わかった。わかるかわからんが聞くだけ聞くよ」

「助かる」

「この世界そのものはいつからあるか、それは誰にもわからんが、私がある時夢を見始めた時、今の形が始まったのだ」

「何とも抽象的だ」


 包丁に言われるのも変だが、確かに哲学的なのか抽象的なのかよくわからん話だ。


「そんなある時、私の身体に病魔が巣食ったと思ってくれ。私は完全には目覚めなかった。激痛を感じたが、私は完全には目覚めなかった。目覚めた時、この世界の今の形は終わる」

「……まるで神……いや邪神か……」

「だが、その際に私の意識の一部を寝た状態のまま覚醒させることができた。それが、今の私だ」

「明晰夢ってやつか?」

「そうだな、そんなところだ。私は完全には目覚めないように、しかし意識を持ったままこの夢の世界を見ていた」

「何とも不思議なことを言う」

「胡蝶の夢の故事は知っているな?」

「あぁ」

「その蝶が私だと思ってくれ」

「なんと」


 この世界は師匠の見る夢で、そして師匠が起きたら世界が滅ぶ?そして師匠は夢の中で人間になっているのか……?


「さて、私はなんとか病魔を倒せないか考えていた。そんな時に出会ったのがお前だ」

「俺だったのか」

「あっという間だったが、人間に技を教えるのは面白かった」

「俺も楽しかったよ。そして美味いもんも食わせてもらったしな」

「本来の私の意識からすると、私が今見ている夢は、悪夢だ」

「悪夢!?」

人間おまえ邪神かみがみを襲い喰らい、邪神かみがみは人間にすら劣る存在に零落し、お互い争いあい殺しあう。これが悪夢でなくて何が悪夢だ?」


 確かになあ。そっちの視点で言うなら下等生物に蹂躙され、バカなことやらかすのは悪夢だよなぁ。


「にも関わらず、何だろう、私にはそれが面白かったんだ」

「なんじゃそりゃ?」

「今の私が人間だからってこともあるかもしれないな。故に、人間側の感覚が理解でき、邪神かみがみを人が倒す英雄譚を喜んで見ている」

「なんと」

「おそらく私は、もっと深く、深く眠っていたはずだった。にもかかわらず、何故意識の一部が目覚めたのか?」

「……高次元へのアクセス」

「そう。それが原因だ」


 結局人間による環境破壊かよ。つくづく人間ってのは度し難い存在だ。


「故に、この世界を本来あるべき姿に戻したいのだ」

「人間が産み出したのか……邪神は」

「結果論ではあるがな。もともと我々は存在した。存在したが干渉することもなかった。いないのと同様だ」

「目覚めるとどうなるんだ?」

「何もかもがなくなると言っていいだろう。朝起きたら、夢はどうなる?」


 そうか……夢は、終わる。世界も終わる。パチパチという木の爆ぜる音、長野ちゃんの寝息、遠くの潮騒。まるでもう、世界が終わったかのようだ。


「病魔を倒し、楽しい夢を見させてはくれないか?」

「そうか……師匠だったんだなぁ……鍋を用意してくれたのは」

「バレては仕方ない」

「どのくらい手伝ってくれたんだ?」

「安心しろ。少しだ」

「そうか」

「病魔の大元は黄の王より強いぞ」

「おい!勝てる気がしないぞ!」

「なら、久しぶりに稽古をつけよう。これまでより本気で行くぞ」

「おい、あんまり気合い入れると目がさめないか!?」

「……それもそうか。なら気合い入れずに強化だけさせてもらおう」


 そういうと師匠は俺の頭に手をあてた。なんだこれ?時間が加速して行く?


「今から100年分の修行を一日脳内でやってもらう」

「ちょっと待て!!トイレとかメシとかどうする!?」

「あ」


 時間の加速が収まった。師匠が小屋を指差す。いつの間にあんなもんあったんだ?


「とりあえずトイレだけは行っとけ。済んだら始めるぞ」

「わかった」


 急いでトイレで用を足す。すぐに戻ってくる。


「覚悟はあるか?」

「あるないに関わらずやるしかないんだろ?」

「そうだな。では、行ってこい」


 再び加速が始まる。師匠に教わった型をイメージする。一回。師匠に教わった型をイメージする。もう一回。身体が動くイメージだ。型を何度も繰り返す。


 ……師匠に教わった型をイメージする。一回。師匠に教わった型をイメージする。もう一回。身体が動くイメージだ。型を何度も繰り返す。ん?


 んだ?数字がイメージされる。86400。一日?次の型をイメージする。身体を動かすイメージ……86400?またか。40通りの型を終えると、シャコが現れる。こちらを殴りつけ、俺はもんどりうって倒れる。


 40通りの型を終えると、シャコが現れる。今度は殴りつけられると同時に、こちらも一撃を入れようとするが、俺はもんどりうって倒れる。40通りの型を終えると、シャコが……俺は問答無用で斬りつけた。86400?またかよ。


 シャコの次にテッポウエビが現れ、水弾で胴体を貫かれる。シャコの次にテッポウエビが現れ、水弾を放ってくるからその前に斬りつけようとして胴体を貫かれる。シャコの次のテッポウエビを斬りつける。86400。


 恐ろしい数のイメージトレーニングが行われる。数百万のイメージトレーニングが一秒間で行われる。まるで脳内がサーバーにでもなったようだ。


 大淫婦の娘に何度も潰され、大淫婦に何度も殺され、黄の王に蹂躙され……凄まじい速さの中で、俺の身体が変容して行くのを実感する。これは本当にイメージトレーニングなのか?もっと別の何かなんじゃないのか?


「ちょっと!磯野さん!!」


 長野ちゃんに揺さぶられて目を覚ます。


「あ。こら」


 どうやら師匠が寝ていた隙に長野ちゃんが俺の意識を引き戻したようだ。


「今そやつは訓練してたんだぞ」

「目を開けたまま微動だにしてなかったよ!?」


 まぁな。イメージトレーニングだからな。でも目を開けてたのは目が乾きそうだな。続き初めて目を瞑ってやろう。


「うわぁ、なんか全身が狂ったように痛い」

「イヤな表現はやめろ」


 うるせぇよ包丁、実際痛いんだからな。あちこち痛い中で磯の匂いがしてきた。久しぶりである、この感覚。


「来るぞ!なんだこのトラ模様の長いのは!」

「ウツボか!このサイズだと噛まれると怪我」


 と包丁にいいながら、ウツボのアゴを斬り裂く俺。今俺は何をやった?イメージ通りに身体が動いたぞ?ウツボのアゴが二段構造になっているのがよくわかる。このアゴで本来獲物を捕らえるのだが、最早捕らえることはできないな。


「するからな!……って、あれ?」

「効果がではじめたようだな」

「……これが、成果?」


 師匠がにこやかにうなづく。長野ちゃんは呆然としている。何が起こったかわからないという顔である。俺自身、自分の速さに驚愕している。


「師匠、訓練もいいが、腹が減ってはいくさができないと思わないか?」

「そうだな」

「朝飯にしよう。長野ちゃんも食べよう。熱は大丈夫?」

「う。うん……」


 初めて長野ちゃんに気持ち悪いものでも見られるような表情をされた。強くならないとこの悪夢は終わらない。しかし、強くなると……いや、その方がいい。

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